大光明世界の建設 病貧争絶無の世界 (病貧争絶無の世界を造る観音運動とは何? 昭和十年九月十五日)

 病貧争絶無の世界などと言えば、それは、理想であって、到底実現し得らるるものではないと世人は謂(い)うに決まっている。然るに、我運動は、その可能を確信して憚(はばか)らないのである。然らば、病貧争を絶無ならしむる、その根本は、何であるかと謂えば、それは、何と言っても、病気の絶滅である。先ず、人が病気に罹るとする、其為の費用と職務に就けない損失と、二重の負担は、病気が長びけば長びく程、弥(いや)が上にも累(かさ)んで、大抵の財産は失くなって了う、長年汗で貯めた貯金も費い尽し、親戚知人からは、借りる丈は借り尽し、去年迄はいとも饒(ゆた)かに、平和に、楽しく暮していた家庭も、今は、見る影もない、ドン底に陥って終(しま)って、貧と病苦に喘(あえ)いでいるという実例は世間余りにも尠(すくな)くないのである。併(しか)も、一人の重病者が出来た場合、其本人のみかは、その家族全体が、無限責任を負わされる。親戚知人は固より、時に依っては勤め先までさえに、大なり小なりの痛手を蒙らせるのである。故に、病人一人が苦しむ計(ばか)りか、四人も五人もの家庭から、外部の者に迄打撃を与えるという結果は恐ろしい事である。死ぬ程の病人が、二、三人も続いたとしたら、先ず万以上の財産家と雖も、裏長屋へ引っ込むの止むを得ない境遇になるのは、数多くの実例が示している。

 人々が貯蓄をするのに、二つの目的がある。一つは、財産を造ろうとするものと、一つは病気の場合の治療費に充(あ)てる為とである。前者は、積極的で、後者は、消極的であるが、此消極的貯蓄の方が、断然多い事は、誰でも知っている。

 故に、貧乏の最大原因は、病気であると断定しても否定は出来まい、次いで、であるが、国と言わず、人と言わず、其最大原因は、経済上からである事も、又悉知(しっち) の事柄である。故に、病貧争を絶無ならしむるとしたら、先ず、根原である病気から解決付けてゆくのが本当の順序だ。病気のない人間、是が先決問題である。如何なる救いと雖も、それより外にありよう筈がない。而して之を実現する力こそ、観音力を措いて外に、絶対にないのである。故に、斯んな素晴しい事業は、釈迦、基督と雖も、夢想だもしなかった事であって、之を信じ得る人こそは、未だ嘗てない幸福者であると言えよう。

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