大光明世界の建設 観世音菩薩の御本体(病貧争絶無の世界を造る観音運動とは何? 昭和十年九月十五日)

 今日迄、観世音菩薩のみは、全く御秘仏とされて、御本体は誰も識らなかったという事は、寔(まこと)に不思議な訳である。随而(したがって)、多くの仏者は、菩薩の名に迷って、阿弥陀如来や、釈迦如来よりも、下位と思い、中には又、阿弥陀が本体であって、観音は阿弥陀の化身などと、途方もない解釈をなし、又、釈迦の脇立であるとさえ説くに到っては、沙汰の限りである。然らば、観世音菩薩の御本体は、如何なる御方かと申すに、実は、畏れ多くも、天照皇大御神の慈悲に依る救世の代現神仏で被在(あらせ)らるるのである。

 天照皇大御神は、主神の表現神で被在られ最尊最貴の御神格を具し給い、一あって二無き大神で被在られ、天孫降臨の際、畏(かしこ)くも、皇孫瓊々杵尊(こうそんににぎのみこと) に、豊葦原瑞穂国(全大地球)は、天壌(あめつち)と倶(とも)に窮(きわま)り無き云々との御神勅を賜り、万世一系たる天皇に、統治の大権を、永遠に委ねさせ給うたのである、それより後代に到って、天地経綸上、国津神たる国常立尊に審判の権を与え給い、同尊は幽界の主宰神として、閻魔大王となられたのである。又一方、伊都能売之大神に対し、救世の力を与え給いしに由り、爰(ここ)に、同神は観世音菩薩と化現され、絶対の慈悲を以て、一切衆生を救わせ給う本願を立てられ、今日に至ったものである、其事を、今一層判り易く申せば、如何に世を救わんとなし給うと雖も、天照皇大神としては、御神格上、直接、人類を救わせ給う事は不可能であらせられるのである、畏れ多き例えながら、一天万乗の大君としては、直接御手を下され、人民を労(いた)わらせ給う事の難く重臣を代らせらるると同一の理である。それが為、仏菩薩という下位に墜ちられ、如何なる卑下階級と雖も無差別的に救いを施させ給うのである。之を懐(おも)えば、天祖大神の大慈大悲なる、洵に感激の極みである。

 二千五百年以前、前述の如く、天祖大神より、救世の権限を附与せられ給いし、伊都能売之大神は、月氏国即ち、今日の印度に渡らせられ、同国の南方、布咀洛迦山(ふだらくさん)に居を構えさせ、当時の諸天善人に、普く法を説かれたのである。

 其事に就て(華厳経には、南方に布咀洛迦と呼ぶ山あり、観自在菩薩其処に居ます、或時善財童子(釈迦)が遊行して、山の頂きに登り、観音を訪ねて、面接する事が出来た、そこには樹木生い茂り、諸処に流泉と浴池あり、その園の柔かい草地の上の金剛宝座に、観自在菩薩は、結迦趺坐して、多くの聖者達に恭敬され乍ら、大慈悲経を講話されていた、其時、観音の侍者として、二十八部衆が居た)。(因に観自在菩薩とは観世音菩薩の別名である)

 又支那天台の開祖南岳大師が(昔は、霊山会場に在って妙法蓮華経を説き給い、今は西方浄土に在して、阿弥陀仏と名付け奉る。而も、人界普門に示顕(じげん) しては、救世観世音菩薩となり給う。過現未に渉る三世の利益は、之悉く、観音一体に帰すと)之に由っても判る如く、其弟子の一人たる、善財童子は、その妙説に随喜し、飜然、悟りを開いて、彼の檀特山(だんとくざん)に登って、七年の苦行をなし(此七年の年数は観音よりの霊示である)成道の釈迦として、愈々仏法を説かれたのである。是を以てみれば、真の仏法の開祖は、観世音菩薩であって、釈迦は、観音の御弟子であったのは間違いない事実である。

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