大光明世界の建設 「宗教の使命」(病貧争絶無の世界を造る観音運動とは何? 昭和十年九月十五日)

 今日の宗教と名の付くものが、大部分は宗教本来の使命を、没却しているのは、困ったものである。大宗教団の多くが、社会事業が、重なる仕事になってしまって、病院や養老院や、孤児院などを営(や)っているが、本当の意味から言えば、是等は、都市の公共事業か、富豪の慈善事業の範囲である。宗教が社会事業を、行(や)ると言う事は、最早それは、宗教ではなくなっている。

 又宗教は、教化事業でもない、教化事業は文部省あたりの仕事である。又、宗教は、道徳でもない。倫理道徳は、教育家の任務である。又宗教は哲学でもない。世に、宗教哲学などという言葉や、クリスチャンサイエンスや、神学なぞという言葉があるが実に、誤れるの甚しきものである。宗教は宗教である。哲学は哲学である。科学は科学である。宗教は、あらゆる分野の最高峰に、超然と立って、普く人類を救うべき最大権威と力を有って居るべきものである。唯然し、宗教の一部としては、教化も、道徳も、哲学も、科学も含まれている事は、否めない。故に宗教は宗教としての、独自の使命があって、一切衆生の霊体を不幸から永遠に脱却さす事である。教化や道徳や、倫理や哲学では一時的の救いである。無量無辺に、魂を救う事は出来ないのである。

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