宗教改革

第十二篇「自観説話集」

進歩的宗教  (自観叢書第十二篇 自観説話集 昭和25年1月30日)

現代人の生活をよりよく改善し、指導的役割を遂行する事こそ真の宗教の使命であるべきで、一言にしていえば、進歩的宗教こそ現代人を救い得る価値あるものというべきであろう。
光新聞

宗教 教育 政治 (光24号 昭和24年8月27日)

今世の中は誰が見ても、実に社会悪が充満しているといえよう、あちらこちらに忌はしい事が次々起り、人心不安はその極に達している、一体斯んなになった世相は、その原因はどこにあるかという事を深く考えてみなくてはなるまい
栄光

宗教と病院  (栄光181号  昭和27年11月5日)

愈々時期到来夜と昼との交替が始まったのである。それに就ては先ず霊界に於ける黎明期であるが、以前もかいた通り、昭和六年六月十五日をエポックとして、漸次昼の世界に転換しつつあるので、此表われとして其頃から各宗教に於ては、漸次病気が治らなくなって来たのである
御教え集3号 

*世の中の一切はねじれちゃった 御教え集3号 昭和二十六年十月五日⑥

今読んだ通り一番肝腎な事で、つまり今迄の世の中は苦しむ事を良いとして来たんですね。その結果人類は苦しみを楽しむと言う事になった。色んな宗教や精神の修養場と言うものの説き方は、苦しみを楽しめと言う様に説いてある。
御教え集3号 

天国的宗教と地獄的宗教 (栄光127号 昭和二十六年十月二十四日)

科学迷信ばかりではなく、宗教迷信も加わって、地獄世界を作っているのであるから、この盲点を充分判らせなければならないのである。それには宗教以上の超宗教、即ち天国的宗教が出現する事であって、それが我メシヤ教である事を明言するのである。その理由こそ今迄は夜の世界であったが為で
御教え集

*法難、宗教改革 御教え集2号 昭和二十六年九月十八日

こう言う具合に色々説いていくんですが、興味があって、知らず知らず深い所が分かっていくんです。深い所に入っていくと、中々面白いんです。仏教から神様に入り、そう言う関係を説いていく。
大光明世界の建設

大光明世界の建設 「低級宗教」(病貧争絶無の世界を造る観音運動とは何? 昭和十年九月十五日)

現当利益その物は、必ずしも、低級宗教ではないのである。しかしながら実際、低級宗教はあるにはある、しかも、その害毒たるや、恐るべきものであって、寧ろ、その筋の取締りを
大光明世界の建設

大光明世界の建設 「現当利益」(病貧争絶無の世界を造る観音運動とは何? 昭和十年九月十五日)

世に、現当利益が、心から嫌いだという人は、実は一人もあるまい、如(も) し、有るとしたら、その人は狂人である。病気が治るのは、嫌いだという人はあるまい。金が欲しくないと拒絶する人も、一人もあるまい。俺は、不幸が好きで、幸福は 真平(まっぴら)だと逃げる人は、恐らくこの娑婆には、絶対にない事を保証する。
大光明世界の建設

大光明世界の建設 「膏薬張の救い」(病貧争絶無の世界を造る観音運動とは何? 昭和十年九月十五日)

凡ゆる罪悪と不幸の原因は何か。それは人間の魂である。其魂を浄化してこそ、社会は良くなるのである。宗教としての使命も、其処(そこ)にある。これこそ他の何者も企及(ききゅう)し難い権威であり、それが宗教の貴い存在意義である。之を他所(よそ)にして、宗教の意義は無いのだ。
大光明世界の建設

大光明世界の建設 「真の救い」(病貧争絶無の世界を造る観音運動とは何? 昭和十年九月十五日)

人間の智慧でやる宗教の最後は、社会事業となって了(しま)う。神の力と、神の智慧で行く宗教は、奇蹟から奇蹟で、本当に世を救ってゆく。
大光明世界の建設

大光明世界の建設 「宗教の使命」(病貧争絶無の世界を造る観音運動とは何? 昭和十年九月十五日)

故に宗教は宗教としての、独自の使命があって、一切衆生の霊体を不幸から永遠に脱却さす事である。教化や道徳や、倫理や哲学では一時的の救いである。無量無辺に、魂を救う事は出来ないのである。
大光明世界の建設

大光明世界の建設 東京が中心(病貧争絶無の世界を造る観音運動とは何? 昭和十年九月十五日)

西から、いろいろの種類の宗教や文化が東の中心へ集中されたのは、富士山の裾野から頂へ、沢山の人が登って来るような訳であった。求心的であった、そうして、その集ったものを綜合し、コントロールして、完全無欠の文化として、遠心的に、全地球へ向って、放射するのである。
光明世界

阿呆文学 東西愈々入れ替り (光明世界三号 昭和十年五月二十一日)

東方の、光の本の観音会、東に生れた宗教は、最初であって最後であり、之が唯一の救世教、之から天の日月と、歩調を揃えて東から、西へ西へと照しゆき、日本は愚か唐天竺(からてんじく)、大千世界の果までも、照して救ふ、すばらしい、万教帰一の二度とない。世界救済の大神業、
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宗教は世界的たれ  (救世 四十九号  昭和二十五年二月十一日) 

今日の如くすべてが世界的となり、国際的になった時代、尚更宗教もそれと歩調を共にすべきが本当である、本教が今回日本の二字を冠していたのを改め、世界救世(メシヤ)教としたのも以上の如き意味に他ならないのである。
信仰

宗教に自由はあるか (救世 四十八号 昭和二十五年二月四日)

他人に些(いささ)かでも障害を与えるとすれば気が咎める、不愉快であるから、そこに天空海闊(てんくうかいかつ)的の気持にはなり得ない、どうしても他人に愉快を与える事によって自分も愉快になる、之が真の自由である事を知るべきである。
教えの光

既成宗教の救い『教えの光』(1.宗教、科学、哲学、芸術の問題 ) 昭和二十六年五月二十日

【御垂示】ぜんぜん救われなかったのでなく、救われ方が微弱であった。というのは過去の宗教には力が薄かったからで、それは夜の世界のためであった。夜は月の光だからである。しかし暗(やみ)の中にいる人間が月光に浴したのでありがたいと思っていた。ところが今度の私の救いは太陽の光で、太陽は月の六十倍の力がある。そのくらいの違いがあると思ってよい。いままでの教えは月の光だからはっきりしない。今度の『信仰雑話』ははっきりしている。これを読んでも判るように、ごくわずかの言葉で浩瀚(こうかん)な経文と同じことが判る。だからいままでは霊界へ行っても寂光(じゃっこう)の浄土に救われた。寂光とは月の光である。太陽の光なら陽光(ようこう)である。
教えの光

宗教、芸術、文化の誠『教えの光』(1.宗教、科学、哲学、芸術の問題 ) 昭和二十六年五月二十日

それを人類が利用する場合それがため社会が良くなり、人類の発明や発見を利用して人殺しや世の中を悪化させるのは誠の文化ではない。かように人間の使いようによって文化は善(よ)くも悪くもなるのである。
対談

明主様と読売新聞社科学部次長 為郷恒淳氏との御対談 現代人の悩みは何 (栄光百七十九号 昭和二十七年十月二十二日)

宗教には余り興味がありませんよ。宗教家が斯んな事を言うのは可笑しいが、と言って科学でも仕様がないのです。特に現代の青年層などが学校で科学を習って社会に出ると結局科学では駄目だという事が分って、矢張り理屈通りに行きませんので、もっと深い大きな何かを欲しいと言う希望は必ず起るのです。では宗教をと言った処でどうも今迄の宗教と言うものは、あまりに現実離れがして、行る気になれないという感じが……非常に多いと思います
信仰雑話

宗教と分派 (信仰雑話 昭和二十四年一月二十五日)

以上の如くであるから私は出来るだけ難解を避け、何人にも理解出来得るよう、新しい形式の下に教の道を説かんとするのである。
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不安なき社会を造る これが宗教の真の使命 (新宗教新聞三号 昭和二十七年五月二十五日)

現在世界において最も脅威とされているものは、何といっても極端な思想問題であろう。勿論これとても精神面に欠陥があるからで、この欠陥というのが無神思想に胚胎したものであるから、今後大いに有神思想の教化によって解決すべきであろう。
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[メシヤ講座]“最上級の勉強”・・・・とは、侵されている概念を払拭する学び!  2016年1月⑦(私達の学び目からウロコの内容より)

みんなが概念を侵されているので、それを払拭するという“最上級の勉強”をする。『最上級の詐欺』にやられているので、それを払拭していく、そういう勉強会をしていくということです。