宗教は世界的たれ  (救世 四十九号  昭和二十五年二月十一日) 

      抑々、宗教なるものは如何に他の条件は完備していても、その根本は世界的でなくては真の宗教とは言えないのである、何故なれば民族的、国家的だとすれば、今日迄の世界の実態と同様、争を生ずる事になるからである、という訳はお互い自分の宗教の優越を誇り、他教を卑下する事になり易い為、融和し得ないばかりか、時によりその国の為政者がそれを政治に利用する事さえある、彼の日本の軍閥が太平洋戦争の際、神道を極端に利用した事などもその一つの表われである、彼の古代ヨーロッパの十字軍の戦争などもよくそれを物語っている。

      斯様(かよう)な例は少くないが、その原因が前に述べた如く、民族的宗教であった為である、とはいうものの、その時代が今日の如き交通の未開発や、国際関係の区域的であったからでもあり、文化の揺籃(ようらん)時代ともいうべき時とすれば亦やむを得なかったのである。

      処が、今日の如くすべてが世界的となり、国際的になった時代、尚更宗教もそれと歩調を共にすべきが本当である、本教が今回日本の二字を冠していたのを改め、世界救世(メシヤ)教としたのも以上の如き意味に他ならないのである。

   

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