日々雑感

[日々雑感]三好ドクターが語る、健康イメージの「健康病」(その5)

今の商業主義、営利主義は、売る側の都合のいいことしか言わず、都合の悪いことは公表されないことが多いです。売る側が示すメリットだけを信じて鵜呑みにはできません。
東方の光

『阿呆文学』 空々寂々 (東方の光六号 昭和十年六月)

或先生が例えば人間の肉体は此通り実在はしているようだが、真実は空なものであると言われたが、それは真理であろうか?
光明世界

阿呆文学 東西愈々入れ替り (光明世界三号 昭和十年五月二十一日)

東方の、光の本の観音会、東に生れた宗教は、最初であって最後であり、之が唯一の救世教、之から天の日月と、歩調を揃えて東から、西へ西へと照しゆき、日本は愚か唐天竺(からてんじく)、大千世界の果までも、照して救ふ、すばらしい、万教帰一の二度とない。世界救済の大神業、
対談

明主様 夢声氏対談記 (下) (栄光九十九号 昭和二十六年四月十一日)

やがては科学の進歩によって実証されるでしょうが、現在ではこの中間子の極点と神との間が空白になっているんですが、そこまで科学者の頭が行っていないので分からぬのです。わたしはこれを科学的に説明して、理論神霊学と名付けてますが、これを読めば分からないはずはない。
対談

明主様 夢声氏対談記 (上) (栄光九十八号 昭和二十六年四月四日)

春季大祭四日目の二十一日、明主様は吉川英治氏原作、徳川夢声氏解説の『宮本武蔵』「宝蔵院道場のくだり」を約一時間に渉って御熱心に御傾聴あそばされ、閉幕後奥様御同席にてただちに夢声氏の希望により、親しく御対談あそばされた
日々雑感

[日々雑感] 三好ドクターが語る栄養成分の「健康病」酢、乳酸菌、サプリ(その4)

善玉菌とか悪玉菌とか区別することがおかしいのであってどちらが多いかはその人の食生活の結果なのです。間違った食生活をしていて腸内細菌の善玉菌だけを増やそうとしてもそんなことはできません。
東方の光

日本医術に依る健康法の提唱(三) (東方の光七号 昭和十年八月十六日)

天地間、森羅万象凡ゆる物の生成化有は陰陽の理に外れるものはない。昼と夜、夏と冬、天と地、火と水、男と女という様な訳であって、食物にも又陰陽があるのである。
東方の光

日本式健康法の提唱(二) 食餌と栄養 (東方の光六号 昭和十年六月)

今日大いに発達せる如くに見ゆる、栄養学が其根本に於て、一大誤謬のあるということは、私は、断言して憚(はばか)らないのである
日々雑感

[日々雑感] 三好ドクターが語る栄養成分の「健康病」玄米、発芽玄米、粒食文化(その3) 

玄米に限らず食べ物そのものの栄養成分が多いからといって、食べた時も吸収が多いとは言えないのです。
東方の光

日本式健康法の提唱(一) 一、日本人と白人との相違 (東方の光五号 昭和十年四月八 日)

元来私自身が、稀なる弱体者であったのが、現在稀なる健康者になっている。夫(それ)は今日の西洋式衛生の大誤謬を悟り、日本式衛生を独創実行したるが為であって、夫等の体験を基礎とし、観世音菩薩の霊告を真髄とした健康法を大成し、茲に日本式健康法の名に依って、社会に提唱しようとする
日々雑感

[日々雑感] 三好ドクターが語る栄養成分の「健康病」(その2) 

未知の栄養成分がまだたくさんある食べ物を、きわめて複雑で神秘的な機能を持った人間が食べた場合、体内でどのような働きをしているかをすべを解明することは非常に困難なことです。
生活

易学の将来、生年月は運勢・性格に影響するか等『教えの光』(2.天文、地文、易学、人事等の問題)昭和二十六年五月二十日

名前で運命が決まるとは言えない。大いに影響はあるが絶対ではない。善(よ)い名のつくのも悪い名のつくのも、その人の運勢によるのである。私など頼まれても、すらすらとつけられる時と、つけられない時がある。
教えの光

潮の満干と人の生死、物価の動きと月『教えの光』(2.天文、地文、易学、人事等の問題)昭和二十六年五月二十日

かくの如く人間の肉体は月と密接な関係があり、月の霊線は肉体と繋がっているので、月の呼吸が人間の生死に関係するのである。
教えの光

虹、雷、二百十日・二十日、気候の暖化と植え付け 『教えの光』(2.天文、地文、易学、人事等の問題)昭和二十六年五月二十日

神様が造った一つの天然の美である。丸くなるのは太陽でも月でもそうであるが、すべて物質は円状であるのが原則である。
日々雑感

[日々雑感] 三好基晴ドクターが語る「健康病」の蔓延 (その1) 

効果効能の情報に振り回されるのではなく、自分自身の自然治癒力を発揮させるには食べ物を、安全で美味しく、楽しく頂くことが基本となってくるようですね。
救世

欲張ったヨクのない人 (救世48号 昭和25年2月4日)

今茲(ここ)にかく、ヨクナイ人間というのは善くない人間の事ではない、欲ない人間の事であるというと一寸変に思うであろうが、以下の説明によって誰しも成程と思うであろう。
救世

宗教は世界的たれ  (救世 四十九号  昭和二十五年二月十一日) 

今日の如くすべてが世界的となり、国際的になった時代、尚更宗教もそれと歩調を共にすべきが本当である、本教が今回日本の二字を冠していたのを改め、世界救世(メシヤ)教としたのも以上の如き意味に他ならないのである。
救世

世界的名所としての瑞雲郷 (救世48号 昭和25年2月4日)

右の如き建造物を企画した抑々(そもそも)の目的は、私の常に言う、日本の使命は芸術国家であるとして、日本の自然美と人工美とをタイアップした処の渾然たる一大芸術品を造るにある
メシヤ講座

[メシヤ講座]御守護願いの在り方 2016年9月⑨(私たちの学び目からウロコの内容)

“この問題が起きるためには、何年前にどういうことが起きているのか”というようにしてって・・・、その問題を解決するため、そこに力をいただくのが、メシヤ様から頂く御力なのだ、
生活

道祖神とは、断食の功罪『教えの光』(1.宗教、科学、哲学、芸術の問題 ) 昭和二十六年五月二十日

食は間違っている。そのためその間は生産に影響するから、それだけ怠けの罪を犯すことになる。故に断食は一時はよくても罪を着ることになる
教えの光

御簾の由来、鳥居と賽の河原、珠数『教えの光』(1.宗教、科学、哲学、芸術の問題 ) 昭和二十六年五月二十日

      除夜の鐘も百八つ打つが、百八は非常に意味がある。百という字は十を十集めると百すなわち十十で、十十を合わすと井(いげた)の字の形になる。すなわちミロクの世の形になる。また十字架の形にもなり、経緯結んでいづのめという意味である。八は開く形で、無数の数を表わす。
教えの光

明神、天王、天神、七福神について『教えの光』(1.宗教、科学、哲学、芸術の問題 ) 昭和二十六年五月二十日

明神—最初は偉い神様などにつけていたが、それがだんだんでたらめになった。こういうことが世の乱れる元になる。下の位の者が、上の位の神の名を犯したりしている。それが人間界へ移って位の上の人が下へ落ちたり、下の人が僭上(せんじょう)の位置になったりいろいろ乱れた。
メシヤ講座

[メシヤ講座]迷信錯覚 2014年1月① (私達の学び目からウロコの内容より)

今この世の中は錯覚に陥らされているということです。メシヤ様御在世中から今日まで、みんな錯覚させられてるんですね。だから私たちはこの世の中に生きているので、”自分が錯覚を起こしていないか”ということを絶えず自分に問いかけておかないと、生活をキチンとしていく上においては、様々なことが生じて来るということ
教えの光

神力・金剛力・観音力、千手観音御頭の御顔『教えの光』(1.宗教、科学、哲学、芸術の問題 ) 昭和二十六年五月二十日

神仏は人間と違って親子夫婦など場合によりいろいろにかわる
霊界

神龍・天龍・金龍・銀龍に就て、神龍のお働き『教えの光』(1.宗教、科学、哲学、芸術の問題 ) 昭和二十六年五月二十日

    【御垂示】神龍はたくさんある。神様の仕事をする働きをする龍はみんな神龍で、天然現象なども神龍がする。神様の命によりいろいろな御用をする。人間にも憑る。ただし金龍は一柱である。
教えの光

法身、報身、応身に就て『教えの光』(1.宗教、科学、哲学、芸術の問題 ) 昭和二十六年五月二十日

応身は一番働きが大きいんで、三位の働きを一身でなされるのである。応身とは種々の面に応ずることで一つものに囚われない。それで六観音三十三相に化身(けしん)されるのである。[何事も、]融通がきかなくてはいけない。
日々雑感

[日々雑感] 元気で長生きするための私なりの取り組み。(苦笑)

私は昔から一日の中必ず一回は外出する。雨が降らうが風が吹かうが欠かした事がない。そうして出来るだけ歩くのである。之は老いて益々健康などという人にそういう事をよく聞くのである。
救世

宗教に自由はあるか (救世48号 昭和25年2月4日)

他人に些(いささ)かでも障害を与えるとすれば気が咎める、不愉快であるから、そこに天空海闊(てんくうかいかつ)的の気持にはなり得ない、どうしても他人に愉快を与える事によって自分も愉快になる、之が真の自由である事を知るべきである。
救世

冷えるという事 (救世48号 昭和25年2月4日)

発汗は誰も知る如く熱の為であるから、夏の暑い時に多量に出るのである、故に寒い時は発汗が少量となるからその分だけ尿量を増す事になる、つまり尿も発汗も同じものであるから、臭気も似ている訳である。
救世

男女合権論 (救世48号 昭和25年2月4日)

      吾等が男女合権論を説くのは、此意味に外ならないのである、合権とは等級を付ける即ち五分と五分ではなく、男六分女四分という事にするのである、というのは大抵は生活上男子の力量の方が勝るからである、然(しか)し世間には女子の力量が勝って男の方が従属的の場合もあるから、そういう夫婦は女六男四でいい訳である、此様にするとすれば大いに争は減り、夫婦生活の幸福は増す事になるのは保証し得よう。
みあとしのびて

[みあと] 大正末期、岡田茂吉教祖がアルプス登山の中で訪れた上高地

上高地は千古斧鉞せんこふえつを入れざる大森林で、山気 さんき身に迫り、見たこともない木や草が繁っている状さまは全く人間界を遠く放れた別世界で、今にも白髪の仙人が忽然こつぜんと現われて来そうな気がする。
教えの光

キリストと十二人の弟子について『教えの光』(1.宗教、科学、哲学、芸術の問題 ) 昭和二十六年五月二十日

当局の圧迫がひどく、弟子達はみんな逃避し10年の間はひっそりしていた。十年以上経って皆寄り合って教えの元を作ろうというので、みんなでイエスから聞いた心覚えを書いた。それが『バイブル』であるから、キリスト御自身の書いたような訳にはゆかないであろう
教えの光

既成宗教の救い『教えの光』(1.宗教、科学、哲学、芸術の問題 ) 昭和二十六年五月二十日

【御垂示】ぜんぜん救われなかったのでなく、救われ方が微弱であった。というのは過去の宗教には力が薄かったからで、それは夜の世界のためであった。夜は月の光だからである。しかし暗(やみ)の中にいる人間が月光に浴したのでありがたいと思っていた。ところが今度の私の救いは太陽の光で、太陽は月の六十倍の力がある。そのくらいの違いがあると思ってよい。いままでの教えは月の光だからはっきりしない。今度の『信仰雑話』ははっきりしている。これを読んでも判るように、ごくわずかの言葉で浩瀚(こうかん)な経文と同じことが判る。だからいままでは霊界へ行っても寂光(じゃっこう)の浄土に救われた。寂光とは月の光である。太陽の光なら陽光(ようこう)である。
教えの光

大宗教の予言について『教えの光』(1.宗教、科学、哲学、芸術の問題 ) 昭和二十六年五月二十日

私も世の終わりとか最後の審判とか書いているが、これは『聖書』によったまでである。こういうことははっきり時期が判っても言えない。言わないところに価値がある。例えば人間の寿命が判ったら働かないことになる。私は予言しないようにしている。誤解されやすいからである
教えの光

音楽奏者の働き、世界平和、宗教教育『教えの光』(1.宗教、科学、哲学、芸術の問題 ) 昭和二十六年五月二十日

会主義は実に不公平な政治であり、共産主義はピラミツドを逆さに立てたのと同様である。資本主義は福助(ふくすけ)政治で頭だけ大きくて、身体や足がやせている。すべて片寄った主義は全部駄目でいまに理想的なものがで
救世

株価値下りの原因と其前途 (救世48号 昭和25年2月4日)

それに就て以前斯ういう事を聞いた事がある、人間は商売でも何んでもそれと心中をしてはいけない、いつでも離れる事の出来るようにしてやる、そうすれば決して失敗する事はないので、実に味がある言葉と思ったのであ
救世

栃木地方の地震の原因  (救世 48号  昭和25年2月4日)

此の地震は気象台でも原因は判らないとしているが、之は判らない筈である、現在の気象学では、今回の如き地震を判る程度には達していないからで、唯物科学の研究だけでは何世紀かかるか判らないのである、処が神霊科学に於ては容易に判るにみても偉大というべきである。
救世

今流行のインフルエンザ (救世48号 昭和25年2月4日)

今回の感冒は、人体の表面の浄化作用であるからいいが、何れは内部に固結している毒素の大浄化作用が起る事である、此時こそ簡単には済まされない、続々重症者、死亡者が出来るであらう
メシヤ講座

[メシヤ講座] この世の審判は不幸をつくる医学から  2014年6月①(私達の学び目からウロコの内容より) 

主神様の審判というのは、まず医学から審判を行っていくということであります。しかし、その審判というのが今までされてきたかというと、なかなかそれを担う側の所謂今までのメシヤ様の弟子達がそこまでやれなかったために、これはずれ込んできている面があります。
教えの光

芸術の極致 『教えの光』(1.宗教、科学、哲学、芸術の問題 ) 昭和二十六年五月二十日

芸術の極致は自然のままを描写するのでなく、人格を通して真善美を表現するのである。西洋でも印象派以前は写真のように克明に画いた。これは本当の芸術ではなかった。ところが日本の光琳の画がフランスへ行った。光琳の画は無線で、単純なもので、これを見たフランス人はびっくりした。