二、キリスト教の起源とその根本観念 自観叢書第7篇『基仏と観音教』

昭和24(1949)年10月25日発行 観音教団編纂部


 人類がこの地球上に発生したのは今から三、四十万年以前のことと考えられております。それは地質学上で言われる「沖積世」時代の初期でありますが、勿論こうした古い時代に文献などがある訳はありません。ただ人類が残した遺物や化石などに依って推測するだけであります。従ってこの時代――先史時代――の人々の思想問題を研究することは不可能としなければなりません。

 文献による記録の残っておる時代即ち歴史時代に入ったのは今から約四、五千年前であります。しかも当時文明は地球上のある限られた地域――エジプトのナイル川の流域、メソポタミアのチグリス、ユーフラテス川の地方、インドのインダス川流域と中国の黄河流域等――に萌芽したに過ぎなかったのであります。結局早く文明が生れたところは、アジア大陸とアフリカ大陸の北東隅とでありました。その内アジアの中国文明とインドの文明とを仏教を通じて交渉し、またエジプトとメソポタミアの両地方は、早くから文化的、政治的交渉をもっておりました。更に地中海の東岸のフェニキア、パレスチナの地方から小アジア、及びイラン方面までが一つの文化圏をなすようになり、後には政治的に支配統一されるようになりました。この文化的な領域はヨーロッパから見て東に当るのでオリエント――日の昇る所――と呼ばれました。

 エジプトは農業を生命とする国だけに、その主神は太陽神ラー(アモン)で、国王はこの神の子と考えられていました。またこのラーの外にも多数の神々があり、動物まで神と見なされましたし、死後の生活に非常な関心が持たれていたことが特色とされています。

 メソポタミアもエジプトと似たところが多く、いわゆる多神教が行われ、後年には天体の運行が人間の運命を左右するという占星術が盛んでありました。

 地中海付近に住んでいたヘブライ人は、多神教を信ずる世界の中で、ヤーヴェ(エホバ)の一神教を固持していました。この神はもと、シナイ山に宮居すると考えられていた一つの自然神であったけれども、ヘブライ人がエジプト人の迫害に破れた結果、モーセに率いられてエジプトを脱出してからカナン(後のイスラエル、ユダヤの地)に定住している間にこの神を唯一神とする信仰が確立されるに至ったのであります。即ちモーセはヤーヴェ神に対する信仰を核心として一民族ヘブライ(彼ら自身はイスラエルと呼んだ)を造りあげ、そして一神的思想がここに確立されたのであります。

 ヘブライ人は紀元前二世紀の頃王政となり、一時都をエルサレムに定めたのであるけれども、ソロモン王の死後北部イスラエルと、南部のユダヤとに分裂して対立するようになった。ところがイスラエルはアッシリアに(七二二年)またユダヤはバビロニアに(五八六年)、それぞれ滅ぼされ、その後ペルシアがバビロニアを滅ぼすに及んで、ユダヤ人は許されて故国イスラエルにヤーヴェ神殿を再興し、ここにユダヤ教が生れることとなったのであります。

 ペルシア人は、オリエント諸民族とは異なり、光明神を信仰していた。善の創造者であるアフラ・マヅダと、暗黒や悪の創造者であるアーリマンの二神が対立するのを認めている二元的な宗教信徒であり、祭典には火を神聖視していたので拝火教とも呼ばれている。アフラ・マヅダに味方となる者は最後の審判の時楽園に赴くとされております。この二つの思想がユダヤ教に影響して、ユダヤ教における天使と悪魔及び最後の審判となったものと思われます。またユダヤ教は一時ギリシア文化に心酔する者のために動揺を来たした。ところがこれに対する国粋的な反動が台頭して、宗教行事や日常生活についての法律や、煩瑣(はんさ)な規定を重んずるいわゆるパリサイ人が生れ、終に形式的な信仰、儀礼的な宗教となってしまったのであります。このような時に、イエス・キリストが出現して来たのであります。

 かくて、ユダヤ人の残した旧約聖書は、キリスト教の伝播するに伴って、新約聖書と共にキリスト教の二大経典として、永くヨーロッパ人の精神の糧となったのであります。

 このような経路を一瞥してみると、キリスト教の思想の中には、ヤーヴェによる天地人間の創造物語り、大洪水の話、モーセの十誠をはじめ、歴史的な記録や予言者の言葉などが、混然として存在する理由が自ら判明するのであります。

 キリスト教は、その初期には厭世的であり、もしくは現実否定の宗教でありました。現世を疎外し現世から解脱することを希求し、現実を超越して一挙に未来の天国を目的としたところの宗教でありました。それはキリスト教の人生観が、根本をいわゆる罪悪観に置いているのでも窺われます。罪悪観とはいうまでもなく、人生を罪悪に満ちたものと観るのでありまして、「人生これ罪なり」というのは使徒パウロが最も重きを置いた思想であります。更にこの思想は聖アウグスティヌスによって極端に発展され、それ以来キリスト教の根本観念となるに至ったのであります。彼の信仰によりますと、人性には自力をもって神に救われ得るごとき美質は全くない。神の特別の加護に頼らざる限り、人間は罪悪に堕落すべき運命にある。アダムの犯罪が未来永劫人類の子孫に伝わると言うことは、人間の本性が罪悪であることの象徴語である。こうなると、人間は徹頭徹尾無能であり無力である。自己を救うべき力は毛頭ない。ただ神の特別な思慮によってのみ初めて天国に入ることを許されると言うのであります。ですからキリスト教において懺悔と祈願とが重大視される理由もここにあることがわかります。

 このように、キリスト教では人性罪悪観を主張するのでありますが、その罪悪が発生して来る根源については幾多の学者によっていろいろと考えられて参りましたけれども、未だ確定的なものがありません。しかし使徒パウロの教えがキリスト教の奥義となったことは否定出来ないところであります。殊に霊肉矛盾の二元論の立場が、パウロの教訓に胚胎し、それからアウグスティヌスによって確定的なものとされたのは明瞭であります。この霊肉矛盾の二元論と言いますのは霊魂と肉体とは到底合致するものではなく、肉体なるものは霊性の善美な活動を妨害し、又破壊するものという確信に基づいており、従って肉体を絶滅することによって、初めて霊性が顕われるのだという見解をとるものであります。あの極端な禁欲主義というものも、この立場を徹底させれば自然に出てくるものでありましょう。ですから原始キリスト教では、人間自然の欲望や、又肉体的な欲求の自然生活などは非常な罪悪とされました。そして出来るだけ人間自然の欲望を抑制して、未来の霊的な生活に入る準備をするために、最も素朴で清浄な生活を尊び、現実生活を厭離した禁欲的な寺院生活が聖者の最上な理想とされたのであります。



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