[日々雑感] 「キリスト教と善悪」掲載にあたって

 こんにちは、『文明の創造』の掲載を一応終えました。
基本的にメシヤ教の楳木代表編集の『文明の創造』に基づいて掲載しましたが、海外で翻訳で読まれる事も考慮して、現代仮名遣いとしました。
 手書きの『文明の創造』もお借りできたので、そちらとも確認しました。ただ、天国篇はなかったので、わかる範囲での掲載としています。
 最後の「基督(キリスト)教と善悪」は真贋が取り沙汰されているということですが、そのまま掲載させて頂きました。
 「基督(キリスト)教と善悪」を最初に読ませていただいた時は私も大変驚くと共に信じがたい内容に思いました。しかし、キリスト教の知識がほとんどない私ですが、“死海文書”を読んだり、宗教史や世界史を少し調べてみると、夜叉龍神が計画を立て国武彦尊に憑依してクライスト教に行った事はあり得ないことではないように思えてきます。
 キリスト教の知識に乏しい私ですが、気づいたことを簡単に書いてみます。死海文書によると、まず、紀元前150年(BC250年説もあり)頃ユダヤ教の”義の教師”(正義の教師)と弟子たちは世の中(ローマ帝国時代の事ではないかと思う)の不穏な空気に流浪の旅に出る。ダマスコにも赴いたと思われるが死海近くのクムランの地に定住し、おびただしい数の聖書の写本を作成し、紀元68年頃までに洞窟に埋めたと思われます。それが1946年頃から続々発見されたクムランの洞窟の巻物でヘブル文字で書かれた旧約聖書の諸文書などだったようです。
 さて、イエスが生まれたのは紀元前4年頃でユダヤ教徒として育ちます。以下、池上彰さんの本から、キリスト教発生の概略を引用させて貰います。

 ユダヤ教では、ユダヤ人こそが神に選ばれた民であって、神に救われる唯一の民族であると説いています。ですが、イエスは、神を信ずる者は誰でも救われると説きました。
 その結果、イエスは捕らえられ、ゴルゴタの丘で十字架にかけられて処刑されてしまいます。紀元30年頃のことでした。
 イエスの教えはその後、弟子たちによって、まずは「福音書」という形にまとめられました。「福音」とは「良いしらせ」という意味です。その後、これが後世になって「新約聖書」としてさらにまとめられ、世界中に広まって行きます。ですからイエスが生きていた時代に「キリスト教」という名前がつけられていた訳ではありません。・・・中略・・・・

イエスはユダヤ教徒であり、弟子たちへ教えを伝えるときも、ユダヤ教徒の「旧約聖書」の内容を引用していました。

 イエスの死後、弟子たちは布教活動を続けます。当時ヨーロッパを支配していたローマ帝国の歴代の皇帝たちは、自分のことを神として崇拝(すうはい)するよう人々に命じていたため、それを認めないキリスト教徒を迫害するようになります。ペテロやパウロなど、多くのキリスト教徒が殺害されました。

 この迫害にもかかわらず、神の前での平等を説くキリスト教は広がりを見せ、身分の低い人や奴隷、そして上流階級にまでその教えは浸透していきます。

 この様子を見たローマ帝国のコンスタンチィヌス帝は、このままキリスト教徒を迫害し続けていては帝国の統一は難しいと判断し、312年キリスト教を認めるという「ミラノ勅令」を発表。その後392年には、テオドシウス帝がキリスト教を国教として認めることになります。

「池上彰の世界の宗教が面白いほどわかる本」より

 イエス死後、新約聖書がおもに弟子たちにより書かれたのは紀元50年から紀元120年とされています。
死海文書には”新約聖書の全文書はギリシア語で書かれたが、イエス自身はアラム語やヘブル語を話し、最初期の弟子はみなガリラヤかユダ出身のセム語を話すユダヤ人だった。イエスに従った者の最初期の説教やイエス自身の言葉は、本来の言語ではなく編集された翻訳においてのみ残されている。”となっていて

イエス・キリストと弟子たちによって用いられていた言葉はアラム語であった(ヘブライ語という説もある)。しかし『新約聖書』のほとんどの書は「コイネー」と呼ばれる1世紀のローマ帝国内で公用的に広く用いられた口語的なギリシア語で書かれている(「アチケー(アッティカ擬古文体)」と呼ばれたいわゆる古典ギリシア語は用いられていない)

その後、早い時期にラテン語シリア語コプト語などに翻訳されて多くの人々の間へと広まっていた。ある教父たちは『マタイ福音書』のオリジナルはアラム語であり[7]、ヘブライ書もヘブライ語版がオリジナルであったと伝えているが、現代の聖書学ではその説を支持する学者はきわめて少数である。

『ウィキペディア(Wikipedia)』新約聖書 言語

 死海文書ではクムラン洞窟で見つかった文書のほとんどはヘブライ語で2割ぐらいがアラム語ということですが、下記のように旧約聖書のギリシヤ語訳聖書も成立していたようです。

旧約聖書(ユダヤ教聖典)のギリシア語訳聖書、いわゆる七十人訳聖書((Septuaginta–セプトゥアジンタ)も紀元前3世紀中葉から前1世紀の間に成立していました。

大辞泉、ブリタニカ国際百科事典、

 このように載せてみてもわかりにくいと思いますが、新約聖書も旧約聖書も、のちにその時代に使われていた言語に翻訳されていたという事は、それが、イエスや弟子の言葉に忠実かどうかは知るすべもなかったのではないでしょうか。キリスト教が政治に利用されていった背景もあり、聖書を書き換えようと思えばその機会は十分ありえたのではと私は思いました。想像の域をでませんが・・。

 また、「キリスト教と善悪」に登場する人物名等調べてみたのですが、年代的にズレが多く、名称も調べてみても誰のことなのか良くわからない事が多かったのですが、その辺について、平成27年11月度の三重支部メシヤ講座で質問がでていたようで、代表も「わからない・・・と』答えて
以下のように話されています。一部引用させて貰いました。

(先生)

このずれの中で、日本の中でもずれているのですよ。物凄く日本も。
日本も何故古事記をあの時代に。本来は所謂、神武天皇が誕生したときに作っておくべきものなのに、古事記はかなり後に。

(参加者)

1200年後ですね。

(先生)

そう、できている。それがこのずれと一緒だという。やはり、神界と邪神界との戦いの中でそれ位の期間を経ててやられてしまっているという。正神界が。そしてその後に今度、物質文明が物質的なことが伸びてく時代に移っていっているという・・・。

(参加者)

十字軍は11世紀ですね。

(先生)

そうなのです、物凄くずれている。それが十字軍になって、ここでの一番大事なことは先ほどは言わなかったのですが、366頁の6行目段落のところ

『夜叉は片目の悪魔で闇そのものであるが、先頃の昼間の世界が終わるに連れて世界を掌握する為にはその時の人間が知っていた霊的知識を抹殺させる必要があったのである。』

この霊的知識を抹殺させる期間が何百年、あるいは1千年位かかったのだと。その抹殺して一挙に産業がずっと伸びていったと理解した方が良いと思います。

メシヤ講座三重

 「夜叉は人工受精を開発したので・・・」

からの内容も大変な問題をはらんでいます。娘が、「そういえば知り合いの友達も殆ど不妊治療受けてるな〜」と話すのを聞いてびっくりした事があるのですが、娘の世代が高齢出産ということもあるでしょうが、ヤッパリ、治療を受けないと子供が生まれて来ないような時代が本当に来てるんだと思いました。
 私が子供を出産する頃にはすでに、50年後には相当出生率が低くなると世間でも言われていましたが、私も子供は3人、友達も2、3人は生んであたり前のように大概いの家庭に子宝が恵まれていましたので、本当にそんな時が来るのだろうかと思っていたのですが、もう今は、少子化は深刻な問題となってしまっています。岡田茂吉教祖は昭和初期から、まずは人口問題を論文で発表していらっしゃったのですが、半世紀以上たって少子化問題を目の当たりして慌てている自分は、早くから教えを知っていたのに、もっと動けることもあったのではとホゾを噛む思いです。しかし今となってはできることを進めていくしかありません。
 人口問題についての御教えも近いうちにアップして行く予定です。

 「キリスト教と善悪」の最後の方の文節は、私達人間に対する重大な課題提起だと思われるので以下に再度掲載しました。

「右の如く悪魔の経綸の中心はクライスト教であるから、最後の審判はそのクライスト教と眷属(けんぞく)を抹殺して悪魔の奴隷になっている大部分の人類を開放させるのでなくてはならないのは当然であろう。その為の福音(ふくいん)書拝読で、その為の浄霊で、その為の幽玄力で、その為に私が生まれてメシヤ教を創立したのである。何故なら皆は霊と心を浄め、正守護人の霊力を強くして、邪神の頭目と闘って勝たねば天国人になるのは出来ないからである。

 結局善と悪は自然に知られるので、恰度(ちょうど)毒血から毒分だけ集まって毒粒子になるのと同様な原理であるから、毒粒子は処理されるので、悪人も全滅されるのであろう。その善悪を見分ける問題こそ神を通じて初めて出来るから、光によって、幽玄力によって見分け得るのを知るべきで、幽玄力を強く応用すれば、太陽の火素が比較的に弱い黄泉国にも打撃を与え得るのである。そうして今度の最後の審判は言わば悪魔の世の中に残って滅びる者は悪人なり、悪魔の世から脱出して助かった者は善人になるのである。」

               八尾屋

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