三、キリスト教の発達と神格の変貌 自観叢書第7篇『基仏と観音教』

昭和24(1949)年10月25日発行 観音教団編纂部


 キリスト教の伝統は、以上述べたように厭世的禁欲主義であります。ところがその教義の根本精神については異論が大変多いのであります。しかしイエスの教訓、つまり博愛の精神を教義の根本と見るのが妥当でありましょう。イエスは従来主として正義の神、厳粛な神として認められておりましたヘブライ宗教の唯一神を「恩愛」の神であると教えるようになりました。

 換言しますと、神は愛なりという教訓によって神の性格を一変してしまったのであります。これは最も注目すべき事であります。キリストの愛の教え……博愛の精神が欧州人の心に与えた影響は実に甚大でありました。もしもキリスト教が発達していなかったなら、欧州の文明は今日ほどの偉観を呈することは出来なかったことでありましょう。

 キリスト教はしばしば欧州に進入したと言われますが、むしろ当時の欧州がキリスト教を吸収し、迎え入れたと見るべきでありましょう。自然な生活を尊重し、又楽天的な傾向をもっていたギリシア思想は当時その全勢力を欧州に拡げておりましたが、殊に全世界を統一して一つの大帝国を建設して旭日昇天の勢を示していたローマの国内に、悲観的で厭世的なキリスト教が伝播したということはちょっと不思議に思われますが、実は極く自然な理由があったのであります。

 キリストが出現してくる前のギリシア思想は、天国が衰退するにつれて非常に萎靡しており、最早昔日の面影を偲ぶことは出来なかったのであります。元来現実的であり、楽天的であったギリシア思想も、既にその偉大な精神力を失ってしまい、現実の生活に対する懐疑はますます悪くなって、終には嫌悪するようになり、悲観的な風潮が滔々として全国の人心に浸透していったのであります。

 さて一方、ギリシアの宗教はゼウスを主神とする多神教であって、その神々は、オリンポス山に宮居しており、また人間と同じ姿をしておって、人間と喜怒哀楽を共にするのだと考えられておりました。といっても、キリスト教のように決った教典があるわけではなかったし、又宗教的な専門家がおったわけでもなく、人々は自由勝手に神々を解釈することが出来たのであります。文学的な価値のあるあのギリシア神話はこのようなギリシア人特有の宗教生活から生れたものであります。ギリシアでは神は文学の源泉であり、美術の殿堂でもあったのであります。されば詩人があのように蔟出(そうしゅつ)したのであります。人類最高の詩篇に算えられているホメロスの『イリアス』や『オデュッセイア』などの叙事詩を始め、多くの傑作を後世に残しました。また神々を人間の姿で考えたり、人間の肉体に価値と美とを認めたりしたことは、やがてギリシアの彫刻が比類のない名作となるようになった原因ともなったのであります。

 このような現実を謳歌し、それに陶酔する思想は、時に秋風落莫の悲歎に陥入ることを免れ得ないものであります。あの釈迦が、父王の配慮してくれた三時殿にも、また幾百の美妓にも、益々憂き世の無常、人生の儚さを感ずるようになった事実が非常に良い例であります。キリストが出現した当時のギリシア人達が現実生活に嫌悪の情を抱いており、旁々(かたがた)悲観的な風潮、厭世的な思想傾向が全土を被うようになっていたのも、このような理由からであったのであります。

 他面において、ローマ帝国も、外観上の美しさに反して、その内面は爛熟し、腐敗の頂点に達しており、いわゆる「歓楽極って哀惜多き」状態だったでありましょう。このようなローマ市民の煩悶は、彼らが圧迫していた奴隷達の不平不満と相まって、さしもの大都会ローマを阿鼻叫喚の修羅場に変化させてしまったのであります。するとまず識者や思想家の間に厭世的な気分が横溢し始め、人生は夢幻であり、また泡沫に過ぎないと説く者や神の力に縋ることを教える人々が続出してきたのであります。ここにくればキリスト教が歓迎されるべき諸条件が完備したと申せましょう。実にキリスト教はこの自然の趨勢に導かれて欧州に吸収されていったと考えていいのであります。

 前にも触れたように、当時の欧州に充ち、また広まっていたギリシアの主義思想は、キリスト教のそれとは全く異ったものでありました。ギリシア主義は智識を開き発達させることを主としているのに反して、キリスト教は、学者とか智者を斥けたのであります。そして小児のように心の清い人々を愛したのであります。またキリスト教は博愛を説いて、弱肉強食主義であった欧州の人々の情操に潤滑油を注いだのであります。更に人類平等を叫んでローマ政府の心臓に氷をあて、また四海同胞を高調することによって国家主義を奉ずる人々の夢を驚かしたのであります。こんな風にして世界人類の魂にひしひしと迫ってゆき、精神を改革する上に非常な成果をあげました。そして遂に今日の欧州文明を招来するようになったことは本当に偉大な業績だと申さねばなりません。

 ところが逆にキリスト教の方もまた、欧州の主義思想に触れて錬磨され、調和され、ヨーロッパ的になっていったのも事実でありまして、そこにまたキリスト教が発達した理由があったと考えられるのであります。

 前述の通り、キリスト教は世の中の人々の情操を清め、また世界の文化文明に寄与したことが極めて大きかったわけであります、けれどもその思想内容においては批判されるべき幾多の欠陥をもっておることを指摘しなければなりません。なかんづくパウロとアウグスティヌスによって確定的な形を具えるようになったところの例の霊肉矛盾の二元論などはその最も著しいもののうちの一つであるのであります。前にもちょっと触れたように、キリスト教においては肉欲と霊性とは到底一致し得ないものと考えられており、肉性を絶たない限り、人生は永久に暗黒だとします。肉性を絶滅することによって、初めて霊性が顕われると説くのであります。

 この肉性を罪悪と観るところから厭世主義が生まれ、更に非現実主義となってまいります。ところが面白いことには、この思想、この主義が物質万能の世界や現実一点張りの人達にとっては絶好の調和剤となるのであります。こんなところにもまた、キリスト教がローマを初め欧州各地に素晴しい伝播力を示した別の理由が現われているように思われます。けれども、このような極端な教えは飽くまでも薬でありまして、決して常食ではありません。

 「なんぢの頼を打つ者には、他の頼をも向けよ。なんぢの上衣を取る者には下衣をも拒むな、」(ルカ伝八章)

 「すべて色情を懐きて女を見るものは、既に心のうち姦淫したるなり、」(マタイ伝五章)

 「もし右の目なんぢを躓かせば、抉(くじ)り出して棄てよ=もし右の手なんぢを躓かせば、切りて棄てよ、」(同上)

 などの教えを日常生活の上に実行しようとすれば、ほとんど不可能のように見受けられるのであります。極端な享楽思想や弱肉強食主義に対しては確かに中和的な効果があります。けれども実際上、実行の不可能な教訓を万人に強請しようとすれば結局破綻は免れ得ないでありましょう。こんな意味合いから、キリスト教が世界において協調的な態度でその思想内客を変化させていった理由があったわけなのであります。こうしてキリスト教は進歩発達して、その伝播力を倍加し、広く世界に感化をもたらすことにもなったのでありました。

 さて次に人間罪悪説についてでありますが、その罪悪の発生して来る根源に関しては、古今東西、議論百出の状態でありまして、未だに確定説がないのであります。これは何と弁解してもキリスト教の根本観念に横たわっている一つの大きな難点であります。神が神自らの像のように創造し給える人間そのものが、罪悪の権化であったのでは、解釈のしようがありますまい。「神其像(かたち)の如くに人を創造(つくり)たまへり即ち神の像の如くに之を創造之を男と女に創造たまへり神彼等を祝し、」(創世記一章)このような妄難点をその根本に横たえながらも、「神の創造し給える人間」の教えが、とにもかくにも世界人類の中に「人間」の尊厳を自覚させるようになり、また向上心を奮いおこさせて、世界文化の発達を促進させて来た事実は、まことに宗教の妙味を残りなく発揮している証拠だと言えますし、教えられるところが大きいのであります。

 またキリスト教の情操主義について言えば、それが物質万能及び弱肉強食の世の中や、智識偏重及び議論百出の世界にとって慈雨の役割を演じてその情操をたかめたのであります。更にその霊魂改造の教えが享楽的で現実に陶酔したような動物的生活に神性を帯びた自覚を呼び起して、人格の向上と文化の上昇とに非常に貢献したわけであります。これに前にも述べたのでありますが、ここにも二つの質の異ったものがお互に感化し合うという妙味を窺うことができます。

 このような宗教の妙用を十分に把握して、人類の幸福と世界の進展とを計ることが為政者や識者に課せられている使命ではないかと思われます。

 普通キリスト教について、特に一般の関心を呼ぶものはイエス・キリストの奇蹟であります。イエス・キリストの奇蹟は聖書に誌るされているだけでもその数は非常に多いのでありますが、いずれも皆唯物論者の頭では到底理解の出来ないものばかりであります。

 「一人の癩病人みもとに来り、拝して言ふ=主よ、御意(みこころ)ならば、我を潔くなし給ふを得ん=イエス手をのべ、彼につけて=わが意なり、潔くなれ=と言ひ給へば、癩病ただちに潔れり」(マタイ伝八章)

 「イエス、カペナウムに入り給ひしとき、百卒長きたり、請ひていふ=主よ、わが僕、中風を病み、家に臥しゐて甚(いた)く苦しめり=イエス言ひ給ふ=われ往きて医さん……このとき僕いえたり、」(同上)

 「イエス、ペテロの家に入り、その外姑の熱を病みて臥しをるを見、その手に触り給へば、熱去り、女おきてイエスに事(つか)ふ」(同上)

 「舟に乗り給へば……大なる暴風(あらし)おこりて、舟、波に蔽(おお)はるるばかりなるに……イエス起きて、風と海とを禁(いまし)め給へば、大なる凪となりぬ、」(同上)

 「悪鬼に憑かれたる唖者を御許につれきたる。悪鬼おひ出されて唖者ものいひたれば、群衆あやしみて……、」(同八、九章)

 このように、奇蹟とか神秘とかについては、心霊現象が科学的実験によって証明されるようになった今日においてすら未だ人々は探ぐろうとしておりません。また近代科学は従来の唯物主義の誤謬を発見して、霊世界を認めておりながら、まだ依然として物質科学の牢獄から脱け出ようとしないのであります。しかく人情は度し難いと申しましょうか。そのような人情をもつ人間歴史二千年の昔に、イエス・キリストが現わした数々の奇蹟について、とかく世人が疑いをさしはさむのでありまして、常に議論の中心となっておるのであります。詮ないことだとは言え、霊覚者は早くから遺憾としておったことでありましょう。

 けれども、このような近視眼的な見方も次第次第に改められて、霊の研究に志す傾向が拡大してきている今日の状態は喜ばしいことだと言わねばなりません。



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