*霊主体従と体主霊従の違い 御垂示録2号 昭和二十六年九月八日②

《お伺い》凡て職業に従事している時の服装の方が美しく見えると言う事は、職業に尽くしていると言う事がそうさせるのでしょうか。

《御垂示》やはり、仕事を真面目に――誠でやっているのは美しく見えます。また怠けたり、仕事を第二、第三にするのは美しく見えないですね。私はバスの車掌なんかで、とても美しく見える事があります。反ってお嬢さんが座っているより美しく見えるのがあります。お嬢さんなんかは、始終怠けているでしょう。享楽的考えばかりでね。真面目でないね。だから上辺(うわべ)だけ美しくしていて、感じがないですね。片っ方は生活の為に一生懸命やっていると言う、その美しさでしょうね。バスに乗っている娘より女車掌に魅力があるね。

《お伺い》神様が心を引かれる位ですから、人間はなおさら。

《御垂示》人間はどうか分かりませんよ。私は車掌に限らず、つまらない服装した百姓の娘とか――そう言うものに、非常に心を引かれますね。非常に愛したい様な気持ちがしますね。銀座通りを歩いている――爪を染めている様なのは――棘々(とげとげ)しく不快を感じます。あれは、やっぱり霊主体従と体主霊従の違い差ですね。一般の人は体を主にするからね。

 美術品もそうです。色々手間をかけたり、したりするが、ちっとも見たくない。昔の、一筆(ひとふで)か二筆のものが反って魅力がある。二、三日前に妻の友達ですが、その人は画き過ぎるんです。この前、竹薮を画いて、それから苔寺の苔を画いたが、画面一杯に画くのは駄目です。職人が美術をやる様なんです。一筆か二筆画いて、画面一杯に画いてある様な感じを出す。と言うそこに芸術がある。写生でも――画面一杯に画くが、そうしないで簡略に画いて、自然よりも一層感じを出す。その点が芸術です。だから喋るのもそうです。ペラペラ喋るだけで人が動くものではないんです。一言か二言で先方にしみ込む――刺激を与える。だからその点ですね。

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