*結果が大事、お許しを願う 御垂示録2号 昭和二十六年九月八日⑥

線にはずれていては…..

《お伺い》信者の方で、長い間熱心に、資格も頂きやってますが、薬で、とことん迄行って、このお道に入りましたが、それだけの薬を飲んだ浄化を頂かない。他の人は頂いているので、それが羨しい。自分はそれ迄行かないのだろうかと言ってましたが、いかがで御座いましよょうか。

《御垂示》何処かはずれている所があるでしょう。無論、服んでいる以上は出ますが、薬に依って強いのと弱いのとあるから、一概にはいかない。その人が熱心にやったから良いと言うのではなく、線にはずれていては余り良くない。線に合っていると言う事は、何処かと言うと、信者を多勢救うとか、支部をつくると言う事です。その褒美が神様から来る訳です。そうなると、智慧と言う事も必要になる。一生懸命にやると言っても――結果ですよ。一生懸命も結構ですが、ただ、結果が現われなければね。何彼に言うより、結果ですよ。そう言う事は、怠けている様でも、あんまり感心しなくても、確かに信者ができるなら、それが救いですからね。それが一番です。

出来ないのは仕方がない智慧

《お伺い》大光明如来様をお祀りしている家ですが、弟が亡くなり、お婆さん一人なので看護に行っているうちに、そこの商売をする様になり、一週間に一回しか家に帰りませんので、大光明如来様に恐れ多いので、どうしたらと言うので御座いますが――。

《御垂示》現在ですがね。問題は――行ったり来たりですか。

《お伺い》一週間に一回帰って来ます。

《御垂示》留守番は。。

《お伺い》誰もおりません。

《御垂示》仕方がないです。だってできないんだからね。神様はそんな事はない。つまりそう言う場合に――できる場合はやらないと、人間の方が疎かになるが、できないのは仕方がない。ですから、こう言う訳で毎日はできないから、お許しを願いたいと言う事を言って――そうすれば良いです。

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