入信後の災害、 信仰と厄払い、祝詞と願い事 『教えの光』(4、浄霊および信仰上の問題)昭和二十六年五月二十日

 入信後の災害  

        【お伺】私は自動車のタイヤ修理工場を経営している者であります。去る五月二十七日午前十時頃ちょうど私が浄霊に出かけた後でしたが、階下より突然発火し、ガソリンタンクに引火して手のつけようもなく、五分間ばかりの間に建坪四十二坪を全焼し、畏れ多いことでございますが、階上の光明如来様も、御写真もその他お額も焼失いたしました。心よりお詫び申し上げます。火災の二、三日前長女和子が家の内外が「キナ臭い」と申しておりましたが、かくのごとき結果になるとは思いませんでした。しかし不意のことで、かつ私の不在中にもかかわらず一人の怪我人もなく、家内一同無事でありましたことは御守護の賜と厚く御礼申し上げます。右のうち長女が、「キナ臭い」と申したのはいかなる理由でしょうか。

    【御垂示】キナ臭いというのは霊界で二、三日前にすでに火事になってしまった。それで臭かった。理由としてこういうことがある。この人の財産に汚れがあるため浄化された。こういう浄化はよくある。例えば祖先が道に外れたことによって、すなわち払うべきものを払わなかったり、出すべきものを出さなかったり、人を苦しめたりして金を貯めたのがよくあるが、その人が信仰に入って大きな御神徳を与えてくださるのに、過去の不純な財産が邪魔になる。すなわち嚢(ふくろ)の中が汚れていてはよいものが入れられぬので、その嚢をきれいにするのである。またこういうこともある。火事などで焼けるのは汚れを非常に早くとられるわけである。普通相場に手を出したり、息子が道楽したりしてなくすこともあるが、その浄化がすむときっとあといいことになる。よく道楽息子が、金を湯水のごとく使うのは祖霊がするので、それをしないと一家断絶するのでそれを救うためで、これは割合長くかかる。しかし霊的のことを人間は知らないから、怒ったり悲観したりするのであるが、後はきっとよくなる。あるいは入信した人はある程度不純なものがとれてからは、ウンと神様から結構な御神徳をくださるもので、この人もそれである。勿論うんと財物をくださる。ふつうは御神徳で火事を免れるものだが、この人は不純物がたくさんあったわけだ。浄化にも時期があって、私など二十年くらい借金で苦しみぬいた。いまにうんと金が入ると人に話してから十年位たって、昭和十六年に借金を全部すませた。それから予想外に金が入るようになった。金が欲しい金が欲しいと思うときにはなかなか入らなかったが、諦めて神様任せにしたら、それからどんどん入ることになった。おもしろいものである。

 信仰と厄払い  

       【お伺】光明如来様を祭った某氏が四十二歳の厄払いのお祝いの夜、倉庫の中の衣類箪笥二竿全部盗られました。いかなるわけでしょう。

    【御垂示】信仰しながら厄払いするのは間違っている。それでは無信仰同様で神様が警告したのである。神様を信用してないから御守護が止まる。信仰して御守護いただけば盗賊などに入られるものではない。よくお詫びすることだ、厄とか方角とか信仰していればほとんど無関係で、正しいことなら、なにしてもよろしい。自由である。

 祝詞と願い事  

       【お伺】祝詞とお願い事とはいずれを先にすべきでしょうか。

    【御垂示】祝詞の方を先に奏げるのが本当で、お願事であるから後にすべきである。祝詞を奏げる一番の目的は霊界を浄めるにある。また祝詞を奏げると霊がたくさん来る。祝詞を聞くと霊が向上するからである。また祝詞は神に対する感謝の意が中心になっている。

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