参葬の後の用足し、 浄霊の閑なとき、 布教・開拓上の心得『教えの光』(4、浄霊および信仰上の問題)昭和二十六年五月二十日)

参葬の後の用足しなど

       【お伺】お葬式に参列の後で用足しをしたり、お墓参りをしてはいけないという理由。

    【御垂示】お葬式とか、婚礼とかは人生の重大な儀式であるから、参列したらそのまま帰るのが死者に対する礼節である。よく死汚れといって死者のそばへよると汚れるというが、これはたいした意味はない。

      礼節は大事なことで浄霊に行くにも、用足しを先にすると効果がうすい。これは主客転倒であるからである。神社参拝も同様でお詣りは先にする、それから用を足すのが本当である。

 浄霊の閑なとき  

       【お伺】浄霊が比較的忙しくない場合は、一時的に他の職業と兼ねてもよいものでしょうか。

    【御垂示】これは臨機応変であるが、本当は他の職を求めるのはよくない。神様のほうにもいろんな事情があって遅速があるのである。

私は最初のころよく「散花結実」という言葉を用いたが、そういう場合もある。これは花が散って実が実るということで、多くの場合一時さかんになるが、花が散る時が来ると暇になるのであるが、実が出来るのは時間がかかる。人間は焦りたがるが、閑なのは一時的現象で、決して長く続くものではない。なにごとも始めからパッとするのはいけない。実が実るように始めは小さく、徐々に大きくなるのが本当である。また発展しない理由は、なにか神様のお気に入らぬことがあるわけもあるから、よくその心と行を考えてみるべきである。

布教、開拓上の心得  

       【お伺】遠方へ布教開拓に出た場合、最も効果的な方法を御教えください。

    【御垂示】別にこういう方法ということはない。根本的にいって誠である。誠の強い人は神様の御守護が強いので、霊が強力に働くからいい結果が得られる。決して焦ってはいけない。焦ると人間の力が上になるから逆効果を来す、またその地方によって、効果のあるなしはその土地の霊界の明暗が大いに関係がある。また産土の神の系統によることもある。熱心な祖霊の活動にもよる。自分は最善の法をつくして、後は神様にお任せすることである。また神様のほうではすべて時期と順序がある。この土地を開いてからでないと、あの土地は開けぬという場合がある。それが人間の思惑と違うことが多い。それを人間は知らぬから、うまく行かぬと焦り出す。この注意が肝腎である。

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