入信後既斎の神々の処分法、入信の奨め、物事が順調に行かぬ『教えの光』(4、浄霊および信仰上の問題)昭和二十六年五月二十日)

  入信後既斎の神々の処分法  

       【お伺】昭和二十二年入信し、二十四年一月御神体をお迎え申し上げました。今回次の神様を処分いたしたく思いますが、いかなる方法にしたらよろしいでしょう。

        (イ)井戸神様——井戸の傍にあり、毎年一回氏神様よりヘイシンの入れ替えをする。

        (ロ)荒神様—屋内。

        (ハ)神明様——屋外、鏡の裏は天照大神の文字を記してある。など合計十一神あるが略す。

    【御垂示】これは整理したほうがよい。ていねいにやれば一つ一つ御神酒(おみき)をあげお供えものして祝詞を奏げ、口頭で今度光明如来様をお迎えしたため元の御座(みくら)にお帰り願います。長い間の御守護の御礼を言い、翌日処分すればよい。置いておく神は一柱もない。大黒様は光明如来様の前、向かって右に台を作って安置する。妙西禅尼は戒名をつけて仏壇へ祀ってやる。鏡はしまっておけばよい。これなどはまだ少ないほうで、多いのになると三十も四十も祀っているのがある。いつも言う通りいままで神の力が薄い細い糸のようなもので、一本では心細いから何本もまとめて太くしてつかまるのである。光明如来様なら一本でも太いから安心というわけである。

 入信の奨めについて 

       【お伺】生後六カ月の幼児、御浄霊により高熱が続き発汗はなはだしく、全身粟粒大の発疹をし疥癬のようになり、元気もよく、食慾もあり、便通、発汗、順調になりましたけれども、夜になると四十度以上の熱が出ては汗を非常にかいております。母親はぜひ入信させていただき、みずから浄霊の希望でありますが、家の都合でまだ入信しておりません。私が総本部へ伺うので、この病人の浄霊ができなくなりましたので、母親も非常に心配しております。入信者でない家族の御浄霊は、特にこのような場合は御浄霊を断わったほうがよろしいでしょうか。

    【御垂示】断らなくてもよい。やってやるべきだ。汗かいたりなど非常によい。症状からみて順調な浄化である。本当は病気が治ってから入信するのが本当で、病気が治ってありがたく、やむにやまれぬ気持ちで入信するのが本当である。例えばもし治らないうちに入信して死ぬ場合がある。入信してから死ぬなんてあんな信仰は駄目だということになる、すると怨まれる。特に肺病などはよけいにそうで、入信するとよけいに浄化が強くなる。肺病は医者に散々かかって、もういけなくなってから本教へ来るので、薬毒がうんと溜まってる。それの浄化が起り、浄霊するとかえって死ぬ場合があるから、特に肺病は治ってから入信するようにしなくてはいけない。ただ生命に関係のない病気は病気の治らぬうちに入信してもよいが、生命にかかわるのは治ってから入信すべきである。これなど順調だからきっと治る、そうすれば家の人も判る。また入信してすぐにまた光明如来様を祀らせたりせず、だんだん本人が判って信仰が進み、拝みたくなり、ぜひというときになってから祀るべきである。すべて物事は漸次進んでゆくことがよく、それが順序である。突然に変わるのは本当でない。例えば新しく教会をひらく場合、最初はできるだけ小さくする。人間が赤ン坊から育ち一人前になるごとく、また草木の種子がだんだん二葉から大きく育つ。それなら根が張り枯れたりなどしない。これが大自然の実相だ。私などこの仕事は六畳一間から始めた。信仰も最初は種蒔きであるから話だけにしておく。それが育つに従い、先方が耳を傾ける程度になったら雑誌、新聞を見せる。そのうちに教修を受けたくなり教修を受けさす。そのうち病気が治ったりなどして光明如来様をお祀りする。このようななやり方で入ったのは信仰に動揺がない。急いで入信したのは、いわゆる根が固まっていないから動きやすい。これはいかなることでもそうである。おもしろいもので最近新興宗教というと本教が一番目指されるが、決して一番になろうと思ったわけでない。これも最初は目立たぬようできるだけ大きく見せないようにした。この点世間とアベコベでその結果一番拡がったようだ。

 物事が順調に行かぬのは  

       【お伺】物事が順調に行かぬ場合は浄化でしょうか。なにかのわけがあるのでしょうか。

    【御垂示】物事が順調に行かぬ場合は浄化のための場合もあり、時節が来ぬのに焦るからでもある。果物がまだ熟さぬうちに取って食うようなものである。

  その他罪穢があるとそれに相当した邪霊が憑ろうとするが、これとても一種の浄化の現われである。しかし誠の心を持てば速く浄化がすみ、善い心掛けと良い行いをすれば、運勢が開けるようにこの世はできている。

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