信仰雑話 地上天国 (信仰雑話 昭和二十四年一月二十五日) 地上天国という言葉は、何たる美わしい響であろう。此言葉ほど光明と希望を与えるものはあるまい。然るに多くの者は、地上天国などという事は実現の可能性のない夢でしかないと想うであろうが、私は必ずその実現を確信、否実現に近づきつつある事を認識するのである。 2021.01.01 2021.01.08 信仰雑話
信仰雑話 宗教と分派 (信仰雑話 昭和二十四年一月二十五日) 以上の如くであるから私は出来るだけ難解を避け、何人にも理解出来得るよう、新しい形式の下に教の道を説かんとするのである。 2020.12.31 2021.01.08 信仰雑話
信仰雑話 大乗と小乗 (信仰雑話 昭和二十四年一月二十五日) 最後は経緯を結ぶ、即ち十字型とならなければならない。此意味に於て時所位に応じ経ともなり、緯ともなるというように、千変万化、応現自在の活動こそ真理であって、此十字型の活動が観音行の本義である。昔から観世音菩薩は男に非ず女に非ず、男であり女であるという事や、聖観音が・・ 2020.12.30 2021.01.08 信仰信仰雑話
信仰雑話 禁欲 (信仰雑話 昭和二十四年一月二十五日) 昔から立派な宗教家たらんとするには、禁欲生活をしなければならないように想われ、それが真理を悟り魂を磨く最良の方法とさえ思われてゐた。然し私は反対である。 2020.12.29 2021.01.08 信仰雑話生活
信仰雑話 迷信邪教 (信仰雑話 昭和二十四年一月二十五日) 今日新聞雑誌ラヂオ等、盛んに迷信邪教に瞞(ダマ)されるなという事を警告してゐるが、成程迷信邪教は昔から断えず輩出してゐるばかりか、今日は最も甚しいようである。然し全部が全部迷信邪教とはいわれまい。その中の幾分かは今日立派な宗教として残ってゐるからである 2020.12.26 2021.01.08 信仰信仰雑話
信仰雑話 難行苦行 (信仰雑話 昭和二十四年一月二十五日) 日本に於ても未だ相当バラモン式苦行を行う行者や宗教家もあるようであるが、私はあまり賛成出来ないのである。というのはわが観音教の信徒が別段難行をせずとも覚者となり、正しき道を履(フ)み、天職使命を実践するようになり得るからである。 2020.12.25 2021.01.08 信仰信仰雑話
信仰雑話 怒る勿れ (信仰雑話 昭和二十四年一月二十五日) 私の修業は「借金の苦しみと怒りを我慢する」という此二つが重なるものであった』と答へるので、聞いた人は唖然とするのである。 2020.12.24 2021.01.08 信仰雑話生活
信仰雑話 プラグマチズム (信仰雑話 昭和二十四年一月二十五日) 世間よく信仰を鼻の先へブラ下げてゐるような人がある。之を第三者から見る時一種の不快を感ずるものであるから、理想的にいえば、些かの宗教臭さもなく普通人と少しも変らない、唯だその言行が実に立派で、親切で、人に好感を与えるというようでなければならない。一口にいえばアク抜けのした信仰でありたい、泥臭い信仰ではいけない。 2020.12.22 2021.01.08 信仰雑話
信仰雑話 奇蹟 (信仰雑話 昭和二十四年一月二十五日) 私は思う。悠久極りなき此地球上に於て、何時如何なる時代に、奇蹟の宗教が表われないと、誰か言い得るであろう。 2020.12.21 2021.01.08 信仰雑話
信仰雑話 信仰の醍醐味 (信仰雑話 昭和二十四年一月二十五日) 私は常に、どうしても判断がつかぬ難問題に逢着した時、観音様に御任せするといふ事にして、後は時を待つのである。処が想ったよりも良い結果を得らるる事は幾多の体験によって明かである。殆んど心配したやうな結果になった事は一度も無いといっても可い。 2020.12.18 2023.07.27 信仰雑話生活
信仰雑話 善を楽しむ (信仰雑話 昭和二十四年一月二十五日) 私は熟(ツク)づく世の中を観ると、多くの人間の楽しみとしてゐる処のものは善か悪かに分けてみると、情ない哉、どうも悪の楽しみの方がずっと多いようである。否楽しみは悪でなくてはならないように思ってゐる人も少なくないらしい。 2020.12.18 2021.01.08 信仰雑話
信仰雑話 悪の追放 (信仰雑話 昭和二十四年一月二十五日) 総ゆる問題も、成功不成功も善悪の量に因る事で、此意味に於て為政者も、教育者も、知識人も、世を挙げて悪を減滅する事に専念すべきで、それ以外に良法のない事を私は断言して憚らないのである。 2020.12.16 2021.01.08 信仰雑話
信仰雑話 敗戦の教訓 (信仰雑話 昭和二十四年一月二十五日) 日本が敗けたという事は、日本が救われたのである。成程一時は悲観のドン底に陥り、上下を挙げて未だ曽て経験せざる混迷状態に陥った事は吾々の記憶に新たなる処であるが、実をいうと、それは一時的であって、将来を想う時は悲観する処ではない、 2020.12.15 2021.01.08 信仰雑話
世界救世教奇跡集 神様も御手数が掛る (世界救世教奇蹟集 昭和二十八年九月十日) 現代人は残らずといいたい程、宗教特に新宗教を蔑視し、信じなければならない程の事実を見せられても、疑いが先に立って中々信じようとしないのは困ったものである。この原因こそ医学迷信のコチコチになり切っている為であるのは言う迄もない。 2020.12.12 2021.01.21 世界救世教奇跡集
世界救世教奇跡集 超奇蹟 (世界救世教奇跡集 昭和二十八年九月十日) この御蔭話の奇蹟は奇蹟以上の奇蹟であって、恐らくこれ程の超奇蹟は人類史上空前であり、医学関係者は固より、普通人が読んでも只唖然として言葉も出ないであろう。これこそ世界的大問題として取上げてもいいと思うのである。私はこれを読みつつ驚きと共に涙が溢れて来てどうする事もならなかった。 2020.12.11 2023.11.21 世界救世教奇跡集御蔭話(御在世当時)など
世界救世教奇跡集 病気に就いての奇蹟 (世界救世教奇跡集 昭和二十八年九月十日) 今迄のは病気以外の奇蹟であるが、今度は病気に就いての奇蹟であるが、その前に 断っておきたい事は、勿論全部が本人の手記その儘であるから、文中冗漫な点や感謝の言葉など、どれも同じようで五月蝿いかも知れないが、些かでも直さない方がいいと思うからそ... 2020.12.11 世界救世教奇跡集
信仰雑話 宗教と芸術 (信仰雑話 昭和二十四年一月二十五日) 今日迄、宗教と芸術とはあまり縁がないように多くの人に思われて来たが、私は之は大いに間違ってゐると思う。人間の情操を高め、生活を豊かにし、人生を楽しく意義あらしむるものは、実に芸術の使命であろう。 2020.12.10 2021.01.08 信仰雑話
信仰雑話 宗教と政治 (信仰雑話 昭和二十四年一月二十五日) 犯罪の根拠は人間の内面にある魂そのものであるからである。此魂を浄化する事こそ真に効果ある方法で、それは正しい信仰以外他にない事を私は信ずるのである。 2020.12.09 2021.01.08 信仰雑話
信仰雑話 常識 (信仰雑話 昭和二十四年一月二十五日) 先づ自己が幸福者たらんとするには他人を幸福にする事で、それによって与えらるる神の賜が真の幸福である。然るに自己のみの幸福を欲し他人を犠牲にするというが如きは全く逆効果以外の何物でもない事を知るべきである。 2020.12.08 2021.01.08 信仰信仰雑話
第十二篇「自観説話集」 信仰の種類 (自観叢書第十二篇 自観説話集 昭和25年1月30日) 右の中、どれにも該当しない信仰でありとすればそれは正しい信仰である。 2020.12.05 2025.03.04 第十二篇「自観説話集」
信仰雑話 正しき信仰 (信仰雑話 昭和二十四年一月二十五日) 「疑は信の初めなり」という事があるが、之は全く至言である。私は「信仰は出来るだけ疑へ」と常に言うのである。世間種々の信仰があるが、大抵はインチキ性の多分にあるものか、そうでない迄も下の位の神仏や狐、狸、天狗、龍神等を的(マト)としたものが多く、正しい神を的とする信仰は洵に少ないのである。 2020.11.26 2021.01.08 信仰信仰雑話
信仰雑話 『信仰雑話』序文 (信仰雑話 昭和二十四年一月二十五日) 人間としての凡ゆる苦しみを体験したような気もする。その半面神の守護、人々の支援等も尠からずあって、苦楽相半ばするという訳であった。それ等によって神仏の実在、信仰の妙諦、生と死との意義等々、幾多の貴い経験を経て知り得た中から、興味あるもの、教訓に富んだもの等を集録して成ったものが此著である 2020.11.24 2021.01.08 信仰雑話
世界救世教奇跡集 スポーツの奇蹟 (世界救世教奇蹟集 昭和二十八年九月十日) 私は知らず識らずのうちに手をかざしていた。今私の目の前でサーブをしようとしているその生徒を目指して……。やがてその生徒は構えた。身構えると同時にものすごい第一球が飛んで行った。セーフ。敵はただ見過した。第二球。 2020.11.20 世界救世教奇跡集
第二篇『無肥料栽培法』 無肥料栽培 『自観叢書二 昭和24年7月1日) 私は斯う思うのである。それは日本人中真の野菜の味を知っている者は幾人あるであろうか、恐らく滅多にないといっても差支えあるまい。勿論農作物は化学肥料と糞尿肥料を施さぬものはあるまいからである。之等の肥料を吸収する野菜は、天与の味わいは逃げてしまうのである。それに引換え土自体の栄養を吸収させるようにすれば、野菜それ自体の自然の味わいを発揮するから実に美味である。 2020.11.07 2024.01.31 第二篇『無肥料栽培法』
第二篇『無肥料栽培法』 自観叢書第二篇 『無肥料栽培法』 「序文」(自観叢書二 昭和二十四年七月一日) 私によって提唱された無肥料栽培の理論ほど、読む者をして其あまりに異説に唖然とし、到底信じられないといふのが一般の観方である。事ほど左様に、農作物ばかりではない、人間自体が肥料中毒に罹ってしまってゐるのである。 2020.11.06 2020.11.13 第二篇『無肥料栽培法』
第十篇「神示の健康法」 私の健康法 (自観叢書十 昭和二十五年四月二十日) 以上が私の健康法である。勿論黴菌などには無関心である。故に一般人には反って不養生に見へるが実は之が真の養生法である。何よりも右の方法を実行すれば誰でも健康になる事請合である。 2020.11.03 2020.11.10 第十篇「神示の健康法」
第十篇「神示の健康法」 予防接種と結核 (自観叢書十 昭和二十五年四月二十日) 以上の如き劃期的神医学は病理も治療の方法も、既に完成してゐる事で之を知らない人達は迷信と断じ、一顧だも与えないのであるから、其人達こそ吾等から見れば恐るべき迷信に掛ってゐるといへよう。 2020.11.02 2020.11.10 第十篇「神示の健康法」
第十篇「神示の健康法」 ワクチン禍の実例 (自観叢書十 昭和二十五年四月二十日) 昭和二十四年九月二十一日毎日新聞投書欄に「ワクチン禍」と題した左の如き記事があった。 2020.11.01 2020.11.10 第十篇「神示の健康法」
第十篇「神示の健康法」 軽視出来ない事実 (自観叢書十 昭和二十五年四月二十日) 私が以前の著書に、日本の農民が菜食だからアレ丈の労働に堪える、もし肉食だとしたら、 直に参ってしまふと記した事がある。又、菜食者の長命である事は事実であって、彼の有名な英国の文豪ショウ翁は、今年九十三歳で、矍鑠(カクシャク)としてゐるのは彼が菜食の為である。又、禅僧の長命もそうである。十数年前百十二歳で死んだ禅僧、鳥栖越山師の如きは、死の直前まで矍鑠(カクシャク)としてゐた 2020.10.31 2020.11.10 第十篇「神示の健康法」
世界救世教奇跡集 奇蹟以上の奇蹟 (世界救世教奇跡集 昭和二十八年九月十日) ※水中の感電死より蘇る この報告は信者以外如何なる人でも、到底信ずる事は出来まい程の一大奇蹟であ る。これを端的にいえば、神力の如何に絶対的であるかという事で、恐らくこの事実に対し世界中の学者が残らず額を集めても、片鱗だも分り得ないと共に、彼のキリストの奇蹟もこれに比べたなら御気の毒だが大したものとは思えないのである。 2020.10.30 2025.06.08 世界救世教奇跡集
第十篇「神示の健康法」 細菌恐るべき乎 (自観叢書十 昭和二十五年四月二十日) 然らばそんな結構な方法はどうすればよいかというと、何よりも先ず細菌が附着しても絶対発病しないというような健康体になればいいのである。恰度軍備の弱い国が戦争を恐れると同様で、敵に侵されない丈の軍備が充実しておれば、何等の心配はない訳である。茲に本教浄霊の偉大さがある。本教浄霊によれば真の健康体になるから、細菌の侵入などは問題ではない。 2020.10.29 2020.11.10 第十篇「神示の健康法」
第十篇「神示の健康法」 疫痢 (自観叢書十 昭和二十五年四月二十日) 疫痢は猛烈な浄化作用で、その浄化発生の直前食べた食物に罪を着せるという訳 で全く真の原因が解らない為だ。 2020.10.29 第十篇「神示の健康法」
第十篇「神示の健康法」 寝冷 (自観叢書 昭和二十五年四月二十日) 下痢は毒素の排泄作用である以上、寝冷は結構ということになる。此の例として、私は若い頃から腹巻は決して巻かない。 2020.10.27 第十篇「神示の健康法」
第十篇「神示の健康法」 身体をこわす (自観叢書十 昭和二十五年四月二十日) 実は病気とは身体をこわす処か、身体を調える為のものである。よく下痢をすると、お腹をこわしたからというが、実は健康に有害な毒素が排泄されるので甚だ結構な事である。 2020.10.26 2020.10.27 第十篇「神示の健康法」
世界救世教奇跡集 雷火恐怖症 (世界救世教奇跡集 昭和二十八年九月十日) 左の御蔭話の人は、雷恐怖症であるのは勿論だが、この原因は何かというと、この人は前の世雷火で死んだその時の恐怖が霊に染みついていて、霊界生活が短かかったのでまだ除り切れないまま生まれて来たのである。 2020.10.22 2020.10.29 世界救世教奇跡集御蔭話(御在世当時)など
第十篇「神示の健康法」 日本脳炎は果して蚊の媒介か (自観叢書十 昭和二十五年四月二十日) 近来、医学に於ては日本脳炎の原因は蚊の媒介としているが、之は全然誤りである。それに就て吾等の研究を発表してみよう。 2020.10.21 2020.11.10 第十篇「神示の健康法」
第十篇「神示の健康法」 人体は綜合的である (自観叢書十 昭和二十五年四月二十日) 現代医学が如何に間違っているかをかいてみよう。それは種々専門的に分類されてる事である。内科、外科は元より脳神経科、耳鼻咽喉科、眼科、泌尿科、婦人科、小児科等々であるが、考へても見るがいい、人形の様に手足や胴体を別々に造って繋ぎ合せたものではない、全体が相互関係で成立っている。これに就いて二、三の例をあげてみよう。 2020.10.20 2020.10.27 第十篇「神示の健康法」
第十篇「神示の健康法」 乳幼児の健康 (自観叢書十 昭和二十五年四月二十日) 成人するに従ひ、西洋流の食物を漸次的に混ぜるやうにすればよい、先づ乳幼児から五六歳迄は、日本流の食物で育てる方が確かに健康にいゝ事は、私の幾多の経験によって断言し得る 2020.10.19 2020.11.10 第十篇「神示の健康法」
世界救世教奇跡集 霊光自由無碍 (世界救世教奇蹟集 昭和二十八年九月十日) 御守の光が印画されていたのであるから、驚くべき現象である。次にこのレントゲン撮影が完全に出来ないと職業にありつけない為、神様に御願いした処、今度はチャンと写ったので、希望通りになったということである。これをみても神様の自由無碍な御守護の力の偉大さは言葉にも表わせない 2020.10.16 2020.10.29 世界救世教奇跡集御蔭話(御在世当時)など