結論 『信仰雑話』( 昭和二十三年九月五日)

此著を読了された読者諸君の感想はどうであらうか。忌憚(キタン)なき批判を聞きたいと思う。私が此著を書いた目的は随処に見らるゝ如く、此混沌たる世相に対し、確固たる宗教的信念を植付け安心立命の境地に導かんとする事であって、小にしては個人の幸福から、より良き社会への改造、大にしては人類文化の飛躍的向上と相俟って、永遠の平和確立に寄与せんとするものである。之に就て思う事は、原始時代から今日に到るまでの文化の進歩の跡を見る時、素晴しい発達は今更言う迄もないが、甚だ不可解に思う事は、人間の幸福がそれに伴わない事である。文化の進歩と人間の幸福が伴はないという事に対し、何か重大なる欠陥のある事に気付かなければならない。即ち唯物的文化に対し、唯心的文化の進歩の跡が見られない事で、所謂跛行的文化でしかないのである。

此意味に於て私は、大いに後れたる精神文化をして、茲に飛躍的発展を遂げさせなければ、人類の幸福は期し得られない事を痛感するのである。そうして精神文化の発展に就ては、その基本観念ともいうべき霊的事象と、生と死の意義を、徹底的に知らしめなければならない。何としても見えざるものゝ実在を認識させようとするのであるから、非常な困難を伴う事は当然である。それには先づ私自身の体験を、出来るだけ、主観を避け事実そのまゝを書くのが必須の条件である。

此事は今日迄の宗教家が説かなければならなかったに拘わらず、それが無かったのであって、偶々説く者ありと雖も、重に学究的理論の為一般人には難解であり、其他神憑的独善的のものや、神話的寓意的のもの等が殆んどであったから、ともすれば文字の遊戯に陥り、迷信に走り、真に人を救うべき実力あるものは見出し得ないというのが実情であった。而も近代に到ってそれが益々甚しく、従而既成宗教の無力を唱える者が漸く多く、殊に知識人の殆んどは、宗教に帰依する事を以て自己の権威に関わるかに思い、触るゝ事さえ警戒するというような事実は、何人も知る処であろう。然るに世相は弥(イヨイ)よ悪化し、その解決方法の唯一のものとして宗教を口には唱えるが、その人自身は前述の如く関心を持たないのである。

それのみではない、終戦後の現代青年の問題である。其まで彼等が目標としてゐた忠君愛国主義のその目標が崩壊したるが為、大方は帰趨に迷い、或者は絶望的虚無状態に陥り、或者は自暴自棄となり、犯罪を犯す者さえ尠(スクナ)からざる現状は、洵に由々しき問題であるにも係わらず、之に代るべき何等の目標も生れず、又指導力も現われないという現在、殊に青年学生等は経済的圧迫と相俟って混迷状態に陥り、不安の日を送ってゐる。実に大問題である。私は忌憚なくいえば、此等の問題を解決すべき力は、遺憾乍ら既成宗教には見出だせない事を告白するのである。

飜(ヒルガエ)って惟(オモ)うに、以上述べた如き思想問題も、社会問題も、早急に解決しなくてはならないと共に眼を海外に向ける時、之又容易ならぬ事態の切迫に人類は兢々として不安の日を送ってゐる事は日々新聞ラジオによって知らぬものはあるまい。曩に述べた如く、文化の進歩と人間の幸福とが並行しない如実の姿をまざまざと見せられてゐる。

是に於て、起死回生的強力な宗教が出現しない限り、世界の前途は逆睹(ゲキト)し難いと思うのは私一人ではあるまい。

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