自観叢書

第九篇  「光への道」

癲癇 (自観叢書九 昭和二十四年十二月三十日) ※狐霊が憑依した同化霊 

此下婢の霊は、祖母にあたる者が不義の子を宿し、出産するや圧死させた。その嬰児の霊である。その嬰児の霊へ、祖母に関係ある狐霊が憑依し、同化霊となって活動したのである。
第九篇  「光への道」

龍神の憑依 (自観叢書九 昭和二十四年十二月三十日)※私の先生は患者

よく人が先生の病気治療は誰方から学んだのであるかと訊かれる毎に、私は、斯う答える。私の先生は患者である。患者に聞き、患者から教はるそれで段々病気の原因など識るようになったのだから、私の師は患者であるといふのが本当である
第九篇  「光への道」

間違ひ信仰 (自観叢書九 昭和二十四年十二月三十日)

何でも拝みさえすればいいという事は考えものである。というのは、その人の身魂の高下と因縁によって、拝む神仏も相応しなければ反って逆の結果になるからで、大いに慎しむべきである。
第九篇  「光への道」

霊的肺患  (自観叢書九  昭和二十四年十二月三十日) 

その青年は父親と二人暮しで、長い病気の為、金銭を費ひ尽し、赤貧洗ふが如き状態であったから、死後の追善供養など殆んど行はなかったのである。従而、霊は霊界に於て孤独不遇であるから、私によって祀って貰ひたい希望で、私の妻に憑依したのである。
第九篇  「光への道」

死人に鞭つ (自観叢書九 昭和二十四年十二月三十日)

憑霊の目的は、私が其霊の生前の悪い点を人に語った事が数回に及んだので、憑霊は、「是非それをやめて呉れ。」と言ふのである。私は謝罪し今後を誓約したので、霊は喜んで感謝し去った。去るや否や忽ち平常通りとなったのである。そうして昔から死人に鞭打つなと言ふ事があるが、全くその通りと思ったのである。
第九篇  「光への道」

天理教 (自観叢書九 昭和二十四年十二月三十日)

此事柄は、他宗を非難する事になるのでかきたくはないが、何かの参考になると思うからかくのである。之は大本教時代の事であったが、私が小間物問屋をしてゐる時に使った蒔絵師で、熊井某という男があった。之は熱心な天理教信徒であって、支部長となる事にな...
第九篇  「光への道」

ある婦人の話(自観叢書九 昭和二十四年十二月三十日)

この婦人は当時二十五、六歳くらいの人妻であったが実に不思議な病気で、サンザ医療を尽したが治らない。その原因はといえば、結婚後三年間に二人の子供を産み、その後間もなく自分はジフテリヤに罹り注射を受けたところ、薬が強過ぎたためか一週間くらい人事不省に陥った。それから一年に数回入院し、入院と入院の期間は主治医の診療を受けていたが徐々として悪化し、最早どうにもならなくなったので私の所へ来た
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キリストの神秘性 (自観叢書13『世界の六大神秘家』昭和24年12月5日) 日本観音教団編集部客員 須江孝雄

そもそもイエスが説き始めた教えの核心というのは、「待ち望める神の国は近づいた、悔い改めて福音を信ぜよ」と言うにあったのである。その福音というのは、神を単に父として信頼し、その世界統治即ち神の国に属する市民として神意に随う正しき道徳的な生活を営む時に、神は愛と恵みとをもって、これを義なるものとするという救いの約束に外ならなかったのである。
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釈迦の霊能力 (自観叢書13『世界の六大神秘家』昭和24年12月5日) 日本観音教団編集部客員 須江孝雄

太子はかくも聡明無類であるばかりでなく、非常に慈悲心に富み、かつ常に瞑想にふけることを喜ばれたので、父王は太子の出家を怖れて、太子十七歳の時才色兼備の妃を迎えたが、太子の瞑想を止むることは出来なかったのである。
メシヤ様の生涯

宗教となる迄 (自観叢書九 昭和二十四年十二月三十日)

戦時中の事はあまりかく必要がないが、兎に角、奇蹟の多かった事は素晴しいものであった。戦禍による災害を蒙ったものは殆んど一人もないといってもいい位だ。雨霰と降る爆弾が其人をよけてゆき聊かの被害もなかった話や、煙に取巻かれ、進退谷った時、道案内するかのように、煙の幕の一部に人の通る位の間隙が出来た事や、飛行機から機銃掃射をされたが、弾はその人を除けて前後左右に落下した事など数限りない生命拾いの体験を、毎日のように聞かされたものである。
メシヤ様の生涯

運命の転換 (自観叢書九 昭和二十四年十二月三十日)

昭和十五年十二月一日愈(イヨイヨ)よ治療をやめ、いはば一個の浪人となったのである。それは寧(ムシ)ろ霊的にみて、一段階上った事になるので内心は喜ばしく思ったのである。というのはそれまで治療という極限されたいはば、第一線に於る体当り的兵隊の仕事であったからでもある
メシヤ様の生涯

三度目のブタ箱入り(自観叢書九  昭和二十四年十二月三十日)

前項に述べたごとく、復活した私は一年有余の空白を埋めようとして一生懸命治療に励んだ。すると三年目の昭和十五年十一月またまた玉川警察へ召喚された。
メシヤ様の生涯

豚箱入り(自観叢書九  昭和二十四年十二月三十日)

当時、大日本観音教会(創立は昭和九年十月)の会長をしておった私は当時支部が埼玉県大宮市にあり、その支部長として武井某なる者が、大宮市にあった片倉製糸で女工千人くらいを収容していた大工場があった。その女工連中の病気を多数治した事から医師法違反に引掛り、武井が警察へ留置されると共に、その会長たる私が調べられる事になった
第九篇  「光への道」

玉川時代 (自観叢書九  昭和二十四年十二月三十日)

その屋敷の門から入り、庭に降り立つや思はず知らず、「こゝだ。」という声が出た。帰宅後一首の歌が浮んだ。 『  月に好く   花にまたよし雪によき   玉川郷は天国の花』
第九篇  「光への道」

大本教脱退の理由 (自叢九 昭和二十四年十二月三十日)

之はよく聞かれるから、簡単ながら弁明する事にする。確か昭和二、三年頃だったと思うが、
第九篇  「光への道」

麹町時代 (自観叢書九 昭和二十四年十二月三十日)

前項の如く、私は昭和三年から昭和九年迄六年間、霊的研究と相俟って、神霊療法による病気治療の確信を得る迄に至ったので、之を引提げて世に問ふべく決意した。そこで、其頃の東京市の成可中心を選ばうとして、麹町平河町に、ピッタリ条件の叶った貸家があったので、そこを借りて、信仰的指圧療法といふ建前で治療所を開業した
メシヤ様の生涯

大森時代 (自観叢書九  昭和二十四年十二月)

愈よ全身全霊を打込み、神の命のまま進む事となった。何しろ神の意図が半分、自己意識が半分というような訳で、普通人より心強い気もするが、普通人より心細い気もする。勿論それ程の経済的余裕もなく、先づ数ケ月維持する位の程度しかなく、確実な収入の見込もない、実に不安定極まる生活ではあるが、然し絶間ない奇蹟や神示の面白さで、経済不安など忘れて了ふ程
第九篇  「光への道」

入信以後 (自観叢書九  昭和二十四年十二月三十日)

神秘を暴こうとする意欲から熱が出るのである。茲で神秘に就て少しかいてみるが、人間の意欲の中で、此神秘を探りあてようとする事程魅力あるものはあるまい。信仰に熱が増すのは神秘探究心からである。従而昔から神秘の多い宗教程発展するのである。尤も神秘の表現化が奇蹟であるから、神秘と奇蹟とは切っても切れない関係にある。本教の異常の発展も之が為である
第九篇  「光への道」

入信の動機 ( 自観叢書第九篇 「光への道」昭和24年12月30日)

私の若い頃は不正を憎む心が旺盛で困る事がある。特に政治家の不正や、指導階級の悪徳ぶり等を、新聞や雑誌でみたり、人から聞かされたりすると、憤激が起ってどうにも仕様がない事がある。全く信仰上からいえば厄介な小乗的人間であった。此様な性格が私をして不正を行はしめない処ではなく、何か社会人類の為、役立つ事をしたい。社会悪を少しでも軽減したいといふ気持が一杯で、それにはどういふ事をしたら一番効果的であるかを考え抜いた
第九篇  「光への道」

入信以前の私 (自観叢書第九篇 「光への道」 昭和24年12月30日)

私が信仰生活に入ったのは、前述の如く、大正九年夏三十九才の時であった。私の性格と入信の原因に就て述べてみるが、それまで私といふものは無神論者のカンカンで、神も仏もそんなものはある筈がない。そういふ見えざるものを信ずるのは迷信以外の何物でもないとしてゐた。
メシヤ様の生涯

はしがき (自観叢書第九篇 「光への道」 昭和24年12月30日)

之は私の自舒伝である。最初わが半生の記と名づけたのであるが「光への道」の方が感じがいいのでそう名づけたのである。私の前半生は洵に平凡で世間ありふれた経歴で、面白くないから書かない事にしたのである。
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霊層界 (自観叢書三 昭和二十四年八月二十五日)

霊界の構成は曩に述べた如く、天国、中有、地獄の三階段が三分されて九段階となっており、一段は又二十に分れ、一段階二三ンが六十段となり、三六十八即ち総計百八十段となる。私は名づけて霊層界といふ。
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神霊と仏霊・人霊 (自観叢書三 昭和二十四年八月二十五日)

私は茲で日本に於ける神界仏界の、種々相をかいてみよう。先づ神霊は高級なる程巨大であって、人間と同じ御姿である。唯だ御位により相違はある。普通は衣冠束帯で、最高級の神は紫の上衣に紅色の下袴、冠は纓を垂らしてゐる。
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龍神界 (自観叢書三 昭和二十四年八月二十五日)

龍神界などといふと現代人は荒唐無稽の説としか思はれまいが、実は立派に実在してゐるのである。それに就て私の体験から先にかいてみる
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天狗界 (自観叢書三 昭和二十四年八月二十五日)

先づ天狗界とは、各地の山嶽地帯の霊界にあって、天狗なるものはそれぞれ山の守護としての役を掌ってゐる。天狗界にも上中下の階級があり、主宰神としては鞍馬山に鎮座まします猿田彦命である。
第三篇「霊界叢談」 

地獄界の続き (自観叢書三 昭和二十四年八月二十五日)

これによってみると、霊界行も満更悪いものではないらしく、死ぬのも楽しみといふ事になるが、それには生きてゐる中に善根を積み天国行の資格を作っておかなければならないという訳である。
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生霊 (自観叢書三 昭和二十四年八月二十五日)

某大学生に霊の話をした処仲々信じない。「それなら僕に何か憑依霊があるか査べて呉れ。」といふので、早速霊査法に取掛った。
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夢と邪霊 (自観叢書三 昭和二十四年八月二十五日)

右両例とも邪神の妨害であったのは勿論である。前者は私から離反させんが為、後者は祭典に参拝不能にさせようとした為である。
第三篇「霊界叢談」 

精神変質症 (自観叢書三 昭和二十四年八月二十五日)

症状からいっても精神病者とは受けとり難く、普通人と違はぬ思想も常識も備えてゐるが、唯だ意志通りの言葉や行動が出来ないだけである。此原因は多分前生時代、深刻に苦しめた相手が再生の彼に対し、その復讐をしてゐるのであらう
第三篇「霊界叢談」 

憑依霊の種々相 (自観叢書 昭和二十四年八月二十五日)

此男も霊媒として優秀なる資格者であった。此男は大酒呑みで酔ふと精神喪失者同様、物の見境ひもなく、一文の金も持たずして近所の酒屋を一軒々々飲み廻るのであるが、その尻拭ひを親父がいつも、させられるといふ
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グロ的憑依霊 (自観叢書三 昭和二十四年八月二十五日)

之は頗るグロで興味のある憑霊現象であった。確か昭和八年頃だったと思ふ。当時四十二歳の男、仙台の脳病院へ入院加療したが、更に効果がないので東京の慶応病院に診療に来たのであった。処が此男の症状といふのは頗る多種多様でグロ極まるものである。特に最も著しいのは普通人には見られない高熱で、体温計を挾(ハサ)むや忽ち体温計の最高である四十三度に昇るのである。
第三篇「霊界叢談」 

狐霊と老婆 (自叢三 昭和二十四年八月二十五日)

此意味によって現世に於ける職業、例えば遊女は狐、芸妓は猫といふやうに、相応の運命に墜ちるのである。従而人間はどうしても人間として愧(ハズカ)しからぬ行為をなすべきである。
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化(バケ)人形 (自観叢書三 昭和二十四年八月二十五日)

以前私が扱った化人形といふ面白い話がある。或時私の友人が来ての話に、「化ける人形があって困ってゐるから解決して貰ひたい。」と言ふのである。私も好奇心に駈られ兎も角行く事にした
第三篇「霊界叢談」 

広吉の霊 (自観叢書三 昭和二十四年八月二十五日)

私は霊的研究と治病の実験を併せ行はふとした最初の頃である。それは十九歳になる肺患三期の娘を浄霊した。二回の浄霊で些か効果が見え第三回目の時であった。私が浄霊にかかると側に見てゐた娘の母親であるM夫人(五十歳位)が突然起上って
第三篇「霊界叢談」 

天国と地獄 (自観叢書三 昭和二十四年八月二十五日)

天国は曩に述べた如く上位の三段階になっており、第一天国、第二天国、第三天国がそれである。第一天国は最高の神々が在しまし、世界経綸の為絶えず経綸され給ふのである
第三篇「霊界叢談」 

死後の種々相 (自観叢書三 霊界叢談 昭和二十四年八月二十五日)

死にも種々あるが、脳溢血や卒中、心臓麻痺、変死等のため、突如として霊界人となる場合があるが、何も知らない世人は病気の苦痛を知らないからむしろ倖せであるなどというが、これらは非常な誤りで実はこの上ない不幸である。それは死の覚悟がないため霊界に往っても自分は死んだとは思わず相変らず生きていると想っている
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祖霊と死後の準備 (自観叢書三 昭和二十四年八月二十五日)

世間よく仏壇を設置するのは長男だけで、次男以下は必要はないとしてあるが、これは大きな誤りである。何となれば両親が生きているとして、長男だけが好遇し、次男以下は冷遇または寄付けさせないとしたら、大なる親不幸となるではないか。そういう場合霊界におられる両親は気づかせようとして種々の方法をとるのである。そのために病人が出来るという事もあるから注意すべきである。
第三篇「霊界叢談」 

霊界と現界(自観叢書三 昭和二十四年八月二十五日)

そもそも人間とは肉体と霊体との二原素から成立っており、人間が死するや霊肉離脱し霊は直ちに霊界に入り霊界生活が始まるが、離脱の場合極善者は額から、極悪者は蹠(あし)の爪先から、一般人は腹部の中央臍部辺から霊は脱出するのであって、
第三篇「霊界叢談」 

霊界の存在(自観叢書第3篇『霊界叢談』昭和二十四年八月二十五日)

人間は何がためにこの世に生まれて来たものであろうか。この事をまず認識せねばならない。それは神は地上経綸の目的たる理想世界を建設せんがため人間を造り、それぞれの使命を与え、神の意図のままに活動させ給うのである。原始時代から今日のごとき絢爛(けんらん)たる文化時代に進展せしめたのも、現代のごとき人間智能の発達もそれがために外ならない。
第三篇「霊界叢談」 

自観叢書第3篇『霊界叢談』序文 昭和24年8月25日発行

そもそも今日学問も人智も進歩したというが、それは形而下の進歩であって、形而上の進歩は洵(まこと)に遅々たるものである。文化の進歩とは形而上も形而下も歩調を揃えて進みゆくところに真の価値があるのである。文化が素晴しい進歩を遂げつつあるに拘わらず、人間の幸福がそれに伴わないという事は、その主因たるや前述のごとく跛行的進歩であるからである。これを言い換えれば体的文化のみ進んで、霊的文化が遅れていたからである。