HP「御神書」紹介

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大光明世界の建設 罪障消滅 (光明世界二号 昭和十年一月十一日)

個人的にも家庭的にも世界的にも不倖せ難渋が増えても減る事がないのであります 詰り之は何処かに間違ってゐる点が有るに違ひないのであります。ところが、今度「東方の光」即ち観音力に依って、そういふ一切の不倖せの原因が判り、随而不倖せのない世界が出来るのであります。病貧争のない世の中、病貧争、之が完全に無くなって了ふのである。
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大光明世界の建設 --会主仁斎先生の御話-- (光明世界一号 昭和十年一月一日)

大光明世界といふのは、読んで字の如く「観音の光」に依って、闇のない世界が出来るのであります。闇の無い世界と云ふ事は、苦み悩みのない世界、罪悪のない世界であります。斯ういふ世の中が来ればいゝ、斯ういふ世の中を造り度いといふ事は、何千年前からもろもろの聖賢、或は大宗教家等が大いに教を説き、骨を折ったんであります。所が、そういふ世界は、今日まで出来なかった、
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「南無諦め宗」(御発表)

当然のこと、当然のものが本当のものなんであります。  森羅万象一切に狂うものはない。草木の育つのも、太陽が出るのも、ちっとも狂わぬ。天地自然の運行は狂わぬ。悪魔は破壊しようとして、そのために人間を狂わそうとするのです。  神様はこれを救われるわけであります。
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私の信仰の経路 昭和10(1935)年1月11日

私の生まれたのは、浅草橋場で浅草観音様の裏のほうであって、明治前に私の曾祖父が武蔵屋喜左衛門といって、その界隈での幅利きで橋場から五、六丁離れた所の浅草町という所で質屋を営み、そうとうの財産家で義侠心に富み、いまの町長くらいの資格であり、人を助けることが好きで鳴らしたものであった。
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私の歩んだ信仰生活 『宇宙』17号、昭和5(1930)年11月1日発行

私の生れたのは東京市浅草区橋場町六十三番地さゝやかな古道具屋です。父は岡田喜三郎と云い、私はその次男であったのです。父は赤貧洗うような中に私を育てゝくれました。だのに、どうしたことでしょう私は性来虚弱でありました。
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御垂示録15号 昭和二十七年十一月一日

将来救世主が現われる、其時にそれを御迎えするという準備です。其為に四つの門を拵えたのです。それで三つの門丈は開けられるが、一つの門丈は“開かずの門”と言って開けられなかった。今でもありますが、それで一番不思議に思う事は“開かずの門”の上に十六の菊が附いている。
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浄霊は科学療法なり-2 (栄二百四十七号 昭和二十九年二月十日)

前(サキ)にかいた処の太陽の精なるものは、勿論太陽の霊であるのは言うまでもないが、では何故今日まで地球上それが現われなかったかというと、これには大なる神秘 的理由がある事であって、それを詳しく書いてみよう。
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御教え集30号 昭和二十九年一月三日

今まで浮世絵展覧会というと版画が主で、肉筆は殆んど出さなかったくらいですが、今度は肉筆専門ですから、これも初めての企画です。
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私は宗教科学者だ (栄光255号 昭和29年4月7日)

近来学者間に於てヴィールスは無機物か有機物かの論議があるそうだが、実に滑稽である。それは無機物から有機物に変化せんとする中間粒子であるからで、どちらとも決められないのである。従って肝腎なのは無機物発生の原地であって、これが霊界である。故にこれが分れば最早顕微鏡の必要はなくなる訳である。
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御教え集32号 昭和二十九年三月六日

悪い事に趣味が起こらない、それで良い事をするのが面白いという魂になると、それが本当の魂です。ですからウッチャラかしておいても悪い事をしないというので、人が見ているから悪い事をしないというのではいけないわけです。そういう人間を作るのが救世教の本筋なのです。しかし無論いきなりそういう立派な人間になれるわけがないから、教義というものも必要です。しかし根本はもっと上の方にあるのだからして、そこで宗教ではないと言うわけです。
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