それからこの間も、高天原のことを話しましたが(天の岩戸は何処かと言う研究がありますが、扉が信州の戸隠山迄飛んだのだから、何処か関東にあるという説がありますが、之は何処にもあります。小さな人間の心に岩戸があります。観音様の事を知って悟った人は、心の岩戸が開けたのであります。それですから、話しても観音様の事が判らん人は、岩戸を堅くしめているのであります。心の岩戸に光を与えると、一番早く開きます。一番の根本は、世界の一番根本の岩戸を開けることであります。心の岩戸を開けば、天照大神様が住まっているのであります。心の岩戸を開けば、太陽の光明を拝めます。観音様の光を感じて拝める人は、心の岩戸が開いているから拝めるのであります。
(中略)心の岩戸が開けるとは、魂を包んでいる心が開けるのでありまして、心の岩戸が始終堅くなって居たのが、明けるから魂が光を拝む事が出来る様になるのであります。今迄の教えや道徳では、魂迄届きません。心迄しか届かなかったのであります。
(中略)観音会の仕事は人間の心の岩戸を開けば、世界中開かれるのであります。
宇都売之尊(うずめのみこと)が踊って神様を笑わせますが、観音会には笑いが必要なのであります。何故かと申しますと、議論や説教では岩戸は開けません。笑いはにこやかであります。笑い合う様でなければ、心の岩戸は開けません。議論や小言では、逆に岩戸が締まってしまいます。
今迄の宗教は、教えるとか説教とかで責めて行きます。理屈や言葉の教えで責めるのであります。天理教では、四時間、五時間でも座ってやってますが、間違いであります。値打ちのないものは、説明が要りますが、価値のあるものは説明が要りません。話しをすれば判ります。大いに笑う気分でなければ駄目であります。本当の岩戸は、開けないのでありますから、観音会では笑い冠句を奨励して居ります。他では、此の催しはやりません。キリストは「笑いは罪悪だ、笑い合う処、罪悪生る」という牧師の説教は、まるで涙声をしています。これでは岩戸は開けません。大いに笑って、大いに朗らかでなければ駄目です。朗らかな人の事を明るいと言いますが、明るくしていねば天国は開けません。
観音講座(昭和十年)