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日々雑感

[日々雑感] 三好ドクターが語る栄養成分の「健康病」(その2) 

未知の栄養成分がまだたくさんある食べ物を、きわめて複雑で神秘的な機能を持った人間が食べた場合、体内でどのような働きをしているかをすべを解明することは非常に困難なことです。
生活

易学の将来、生年月は運勢・性格に影響するか等『教えの光』(2.天文、地文、易学、人事等の問題)昭和二十六年五月二十日

名前で運命が決まるとは言えない。大いに影響はあるが絶対ではない。善(よ)い名のつくのも悪い名のつくのも、その人の運勢によるのである。私など頼まれても、すらすらとつけられる時と、つけられない時がある。
教えの光

潮の満干と人の生死、物価の動きと月『教えの光』(2.天文、地文、易学、人事等の問題)昭和二十六年五月二十日

かくの如く人間の肉体は月と密接な関係があり、月の霊線は肉体と繋がっているので、月の呼吸が人間の生死に関係するのである。
教えの光

虹、雷、二百十日・二十日、気候の暖化と植え付け 『教えの光』(2.天文、地文、易学、人事等の問題)昭和二十六年五月二十日

神様が造った一つの天然の美である。丸くなるのは太陽でも月でもそうであるが、すべて物質は円状であるのが原則である。
日々雑感

[日々雑感] 三好基晴ドクターが語る「健康病」の蔓延 (その1) 

効果効能の情報に振り回されるのではなく、自分自身の自然治癒力を発揮させるには食べ物を、安全で美味しく、楽しく頂くことが基本となってくるようですね。
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欲張ったヨクのない人 (救世 四十九号 昭和二十五年二月十一日)

今茲(ここ)にかく、ヨクナイ人間というのは善くない人間の事ではない、欲ない人間の事であるというと一寸変に思うであろうが、以下の説明によって誰しも成程と思うであろう。
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宗教は世界的たれ  (救世 四十九号  昭和二十五年二月十一日) 

今日の如くすべてが世界的となり、国際的になった時代、尚更宗教もそれと歩調を共にすべきが本当である、本教が今回日本の二字を冠していたのを改め、世界救世(メシヤ)教としたのも以上の如き意味に他ならないのである。
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世界的名所としての瑞雲郷 (救世 四十九号 昭和二十五年二月十一日)

右の如き建造物を企画した抑々(そもそも)の目的は、私の常に言う、日本の使命は芸術国家であるとして、日本の自然美と人工美とをタイアップした処の渾然たる一大芸術品を造るにある
メシヤ講座

[メシヤ講座]御守護願いの在り方 2016年9月⑨(私たちの学び目からウロコの内容)

“この問題が起きるためには、何年前にどういうことが起きているのか”というようにしてって・・・、その問題を解決するため、そこに力をいただくのが、メシヤ様から頂く御力なのだ、
生活

道祖神とは、断食の功罪『教えの光』(1.宗教、科学、哲学、芸術の問題 ) 昭和二十六年五月二十日

食は間違っている。そのためその間は生産に影響するから、それだけ怠けの罪を犯すことになる。故に断食は一時はよくても罪を着ることになる
教えの光

御簾の由来、鳥居と賽の河原、珠数『教えの光』(1.宗教、科学、哲学、芸術の問題 ) 昭和二十六年五月二十日

      除夜の鐘も百八つ打つが、百八は非常に意味がある。百という字は十を十集めると百すなわち十十で、十十を合わすと井(いげた)の字の形になる。すなわちミロクの世の形になる。また十字架の形にもなり、経緯結んでいづのめという意味である。八は開く形で、無数の数を表わす。
教えの光

明神、天王、天神、七福神について『教えの光』(1.宗教、科学、哲学、芸術の問題 ) 昭和二十六年五月二十日

明神—最初は偉い神様などにつけていたが、それがだんだんでたらめになった。こういうことが世の乱れる元になる。下の位の者が、上の位の神の名を犯したりしている。それが人間界へ移って位の上の人が下へ落ちたり、下の人が僭上(せんじょう)の位置になったりいろいろ乱れた。
メシヤ講座

[メシヤ講座]迷信錯覚 2014年1月① (私達の学び目からウロコの内容より)

今この世の中は錯覚に陥らされているということです。メシヤ様御在世中から今日まで、みんな錯覚させられてるんですね。だから私たちはこの世の中に生きているので、”自分が錯覚を起こしていないか”ということを絶えず自分に問いかけておかないと、生活をキチンとしていく上においては、様々なことが生じて来るということ
教えの光

神力・金剛力・観音力、千手観音御頭の御顔『教えの光』(1.宗教、科学、哲学、芸術の問題 ) 昭和二十六年五月二十日

神仏は人間と違って親子夫婦など場合によりいろいろにかわる
霊界

神龍・天龍・金龍・銀龍に就て、神龍のお働き『教えの光』(1.宗教、科学、哲学、芸術の問題 ) 昭和二十六年五月二十日

    【御垂示】神龍はたくさんある。神様の仕事をする働きをする龍はみんな神龍で、天然現象なども神龍がする。神様の命によりいろいろな御用をする。人間にも憑る。ただし金龍は一柱である。
教えの光

法身、報身、応身に就て『教えの光』(1.宗教、科学、哲学、芸術の問題 ) 昭和二十六年五月二十日

応身は一番働きが大きいんで、三位の働きを一身でなされるのである。応身とは種々の面に応ずることで一つものに囚われない。それで六観音三十三相に化身(けしん)されるのである。[何事も、]融通がきかなくてはいけない。
日々雑感

[日々雑感] 元気で長生きするための私なりの取り組み。(苦笑)

私は昔から一日の中必ず一回は外出する。雨が降らうが風が吹かうが欠かした事がない。そうして出来るだけ歩くのである。之は老いて益々健康などという人にそういう事をよく聞くのである。
信仰

宗教に自由はあるか (救世 四十八号 昭和二十五年二月四日)

他人に些(いささ)かでも障害を与えるとすれば気が咎める、不愉快であるから、そこに天空海闊(てんくうかいかつ)的の気持にはなり得ない、どうしても他人に愉快を与える事によって自分も愉快になる、之が真の自由である事を知るべきである。
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冷えるという事 (救世 四十八号 昭和二十五年二月四日)

発汗は誰も知る如く熱の為であるから、夏の暑い時に多量に出るのである、故に寒い時は発汗が少量となるからその分だけ尿量を増す事になる、つまり尿も発汗も同じものであるから、臭気も似ている訳である。
生活

男女合権論 (救世 四十八号 昭和二十五年二月四日)

      吾等が男女合権論を説くのは、此意味に外ならないのである、合権とは等級を付ける即ち五分と五分ではなく、男六分女四分という事にするのである、というのは大抵は生活上男子の力量の方が勝るからである、然(しか)し世間には女子の力量が勝って男の方が従属的の場合もあるから、そういう夫婦は女六男四でいい訳である、此様にするとすれば大いに争は減り、夫婦生活の幸福は増す事になるのは保証し得よう。
みあとしのびて

[みあと] 大正末期、岡田茂吉教祖がアルプス登山の中で訪れた上高地

上高地は千古斧鉞せんこふえつを入れざる大森林で、山気 さんき身に迫り、見たこともない木や草が繁っている状さまは全く人間界を遠く放れた別世界で、今にも白髪の仙人が忽然こつぜんと現われて来そうな気がする。
教えの光

キリストと十二人の弟子について『教えの光』(1.宗教、科学、哲学、芸術の問題 ) 昭和二十六年五月二十日

当局の圧迫がひどく、弟子達はみんな逃避し10年の間はひっそりしていた。十年以上経って皆寄り合って教えの元を作ろうというので、みんなでイエスから聞いた心覚えを書いた。それが『バイブル』であるから、キリスト御自身の書いたような訳にはゆかないであろう
教えの光

既成宗教の救い『教えの光』(1.宗教、科学、哲学、芸術の問題 ) 昭和二十六年五月二十日

【御垂示】ぜんぜん救われなかったのでなく、救われ方が微弱であった。というのは過去の宗教には力が薄かったからで、それは夜の世界のためであった。夜は月の光だからである。しかし暗(やみ)の中にいる人間が月光に浴したのでありがたいと思っていた。ところが今度の私の救いは太陽の光で、太陽は月の六十倍の力がある。そのくらいの違いがあると思ってよい。いままでの教えは月の光だからはっきりしない。今度の『信仰雑話』ははっきりしている。これを読んでも判るように、ごくわずかの言葉で浩瀚(こうかん)な経文と同じことが判る。だからいままでは霊界へ行っても寂光(じゃっこう)の浄土に救われた。寂光とは月の光である。太陽の光なら陽光(ようこう)である。
教えの光

大宗教の予言について『教えの光』(1.宗教、科学、哲学、芸術の問題 ) 昭和二十六年五月二十日

私も世の終わりとか最後の審判とか書いているが、これは『聖書』によったまでである。こういうことははっきり時期が判っても言えない。言わないところに価値がある。例えば人間の寿命が判ったら働かないことになる。私は予言しないようにしている。誤解されやすいからである
教えの光

音楽奏者の働き、世界平和、宗教教育『教えの光』(1.宗教、科学、哲学、芸術の問題 ) 昭和二十六年五月二十日

会主義は実に不公平な政治であり、共産主義はピラミツドを逆さに立てたのと同様である。資本主義は福助(ふくすけ)政治で頭だけ大きくて、身体や足がやせている。すべて片寄った主義は全部駄目でいまに理想的なものがで
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株価値下りの原因と其前途 (救世 四十八号 昭和二十五年二月四日)

それに就て以前斯ういう事を聞いた事がある、人間は商売でも何んでもそれと心中をしてはいけない、いつでも離れる事の出来るようにしてやる、そうすれば決して失敗する事はないので、実に味がある言葉と思ったのであ
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栃木地方の地震の原因  (救世 四十八号  昭和二十五年二月四日)

此の地震は気象台でも原因は判らないとしているが、之は判らない筈である、現在の気象学では、今回の如き地震を判る程度には達していないからで、唯物科学の研究だけでは何世紀かかるか判らないのである、処が神霊科学に於ては容易に判るにみても偉大というべきである。
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今流行のインフルエンザ (救世四十八号 昭和二十五年二月四日)

今回の感冒は、人体の表面の浄化作用であるからいいが、何れは内部に固結している毒素の大浄化作用が起る事である、此時こそ簡単には済まされない、続々重症者、死亡者が出来るであらう
メシヤ講座

[メシヤ講座] この世の審判は不幸をつくる医学から  2014年6月①(私達の学び目からウロコの内容より) 

主神様の審判というのは、まず医学から審判を行っていくということであります。しかし、その審判というのが今までされてきたかというと、なかなかそれを担う側の所謂今までのメシヤ様の弟子達がそこまでやれなかったために、これはずれ込んできている面があります。
教えの光

芸術の極致 『教えの光』(1.宗教、科学、哲学、芸術の問題 ) 昭和二十六年五月二十日

芸術の極致は自然のままを描写するのでなく、人格を通して真善美を表現するのである。西洋でも印象派以前は写真のように克明に画いた。これは本当の芸術ではなかった。ところが日本の光琳の画がフランスへ行った。光琳の画は無線で、単純なもので、これを見たフランス人はびっくりした。
教えの光

宗教、芸術、文化の誠『教えの光』(1.宗教、科学、哲学、芸術の問題 ) 昭和二十六年五月二十日

それを人類が利用する場合それがため社会が良くなり、人類の発明や発見を利用して人殺しや世の中を悪化させるのは誠の文化ではない。かように人間の使いようによって文化は善(よ)くも悪くもなるのである。
教えの光

脳波、現在の哲学『教えの光』(1.宗教、科学、哲学、芸術の問題 )昭和二十六年五月二十日

霊が放射する。それが脳波であって特に頭だけ出るのではない。全身から放射するのだが頭からが一番余計に出る。
教えの光

宗教と科学、原子力、霊子『教えの光』(1、宗教、科学、哲学、芸術の問題 )昭和二十六年五月二十日 

科学で説明のできない宗教は本当のものではなく、同時に宗教で説明できない科学も本当のものではない。
教えの光

悪と苦の存在 『教えの光』(1.宗教、科学、哲学、芸術の問題 )昭和二十六年五月二十日

邪念や言葉の罪などは、朝夕神仏を礼拝することによって大方は浄められるが、それのみでは本当でない。やはり人を幸福にすることが肝要で、信仰は拝むのみでは本当に救われぬ。まず多くの人に喜びを与えなくてはならぬ。 
教えの光

真 理 『教えの光』 (1.宗教、科学、哲学、芸術の問題)昭和二十六年五月二十日

があって善の活動を妨げたり苦しめたりすることによって善の力を強め、その進歩を促進せしめたのである。以上は大乗的な説き方であって、ある程度の覚りを開いた人に説くのは差し支えないが、小乗的な人にはその真意は解し難く、誤解を招く懼(おそ)れがある
教えの光

『教 え の 光』「 序 文」 昭和二十六年五月二十日

平易簡明透徹の御開示は高い神智、輝く珠玉の一齣々々である。 賢愚老幼の別なく、何人といえども一読大覚を得て天地開明の喜びに浸り、三界の真理は 髣髴として把握せしめらるるを疑わぬ
日々雑感

[日々雑感] 2021年8月、長雨が続きますね。小冊子『教えの光』を掲載します。

井上先生がまとめられた『教えの光』という冊子があり、テーマ別にまとめられていて分かりやすいので、先に質疑応答集『教えの光』を掲載させていただくことにしました。
栄光

世界画の完成 (栄光 七十五号 昭和二十五年十月二十五日)

私の各論文は前人未説のものが多いが、之は特に破天荒のものであるから、その積りで読まれん事である
栄光

糞の弁 (栄光 七十四号 昭和二十五年十月十八日)

糞の弁とは、詰めれば糞便と言う事になる。日本人は昔から、糞を田圃にまいて稲に吸わせ、其稲が吸った糞便を、又人間が吸うのであるから、謂わば人間という万物の霊長は、糞溜といってもよかろう、だから人間の体に虫が湧くのは当り前だ
地上天国

本教と私 (地上天国十八号 昭和二十五年十一月二十五日)

然し時節が来ない中はどうにもならない。今はまだ天国を造る上に、根本である健康に関する問題と、農業に関する事だけの誤った点を、神示のまま指摘しているのである。