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大光明世界の建設

大光明世界の建設 ミロクの真相 (病貧争絶無の世界を造る観音運動とは何?昭和十年九月十五日)

何の断りもなく、時が来れば、太陽は、東天静かに昇って行く、それは、物質的太陽であるから、誰人(たれびと)も見得るのである、が、霊的太陽は、悲しい哉、眼には視る事が出来ない、然し乍ら、時の力は、世界万民に判らせずにはおかない、誰が否定しようが、遮(さえ)ぎろうが、物質の太陽は大空高く、昇ってゆく如く、霊的太陽の光は日に輝きを増すのである。何と素晴らしい事ではあろう。何千年間の夜が明けると言うのだ。 
大光明世界の建設

大光明世界の建設 三尊の弥陀(病貧争絶無の世界を造る観音運動とは何? 昭和十年九月十五日)

古来、三尊の弥陀と謂い、三弥勒と言い三位一体と言う言葉がある。之は、仏的に謂えば観音、阿弥陀、釈迦の三尊者であって判り易く説明する上に、諸種の事物に当て嵌めて、左の如く、分類してみる。
大光明世界の建設

大光明世界の建設 観世音菩薩の御本体(病貧争絶無の世界を造る観音運動とは何? 昭和十年九月十五日)

 今日迄、観世音菩薩のみは、全く御秘仏とされて、御本体は誰も識らなかったという事は、寔(まこと)に不思議な訳である。随而、多くの仏者は、菩薩の名に迷って、阿弥陀如来や、釈迦如来よりも、下位と思ひ、中には又、阿弥陀が本体であって、観音は阿弥陀の化身などと、途方もない解釈をなし、又、釈迦の脇立であるとさえ説くに到っては、沙汰の限りである。然らば、観世音菩薩の御本体は、如何なる御方かと申すに、実は、畏れ多くも、天照皇大御神の慈悲に依る救世の代現神仏で被在(アラセ) らるるのである。
大光明世界の建設

大光明世界の建設 病貧争絶無の世界 (病貧争絶無の世界を造る観音運動とは何? 昭和十年九月十五日)

病気のない人間、是が先決問題である。如何なる救いと雖も、それより外にありよう筈がない。而して之を実現する力こそ、観音力を措いて外に、絶対にないのである。故に、斯んな素晴しい事業は、釈迦、基督と雖も、夢想だもしなかった事であって、之を信じ得る人こそは、未だ嘗てない幸福者であると言えよう
教えの光

症状が映る理由、臨終を知る法、長寿の秘訣『教えの光』(4、浄霊および信仰上の問題)昭和二十六年五月二十日)

は頭を使うほうが長生きする。使わぬほうが早死にである。神が人間に与えてある頭脳を、できるだけ使うほうがつよい。心配で頭を使うのはいけない。また嘘をつくと始終気が咎めるから早死する。
教えの光

病気が早く治るには、先生を浄霊すること、 御浄霊の際の親切 『教えの光』(4、浄霊および信仰上の問題)昭和二十六年五月二十日)

良くしてくださるのは「ない命をやるから世の人を救え」という意味であるから、ただ治っただけではいけない。多くの人を救えば、ますます早く治してくださる。神様は人間が役に立てばできるだけ良くなるようにしてくださるし、また悪くならないようにしてくださる。
日々雑感

[日々雑感]長らくHPが消えて、大変ご迷惑をおかけいたしました。

突然、このホームページが消えて、びっくりされた方も多かったのではと思います。
天国の福音

下痢 (天国の福音 昭和二十二年二月五日)

急性は飲食物に因る中毒即ち食あたりである。世間よく寝冷へによって起るというが、之は誤りで冷へに因る下痢は極稀である。食中(しょくあた)りに因る下痢の際、薬剤によって止めたり、反対に蓖麻子油(ひましゆ)等によって排泄を促進させる事を可とするが、之等は勿論不可であって治癒を永引かせるのみ
天国の福音

不快感及び嘔吐(天国の福音 昭和二十二年二月五日)

重(おも)なる症状を記せば嘔気、痙攣、船車の酔、憂欝感等であろう。そうして最も多いのは嘔気(おうき)である。此原因は脳貧血に因る胃の反射作用と高熱、食物中毒、薬剤中毒、溜飲、幽門狭窄(きょうさく)、姙娠の場合等である
日々雑感

[日々雑感]三好基晴医師 正当医学オンライン講座 第8回 

間質の研究は始まったばかりでまだはっきりわかっていないが、間質に有害なものが絡み付いているようで、細い細いナノチュウブに入って固まっているというようなことが分かってきている。
天国の福音

掻痒苦 (天国の福音 昭和二十二年二月五日)

掻痒(そうよう)苦は痛みに比して侮(あなど)り難い苦痛である事は誰も知る処である。原因は勿論薬毒、然毒及び食餌中毒の三種であり
天国の福音

痛苦 (天国の福音 昭和二十二年二月五日)

痛苦の原因は悉(ことごと)く薬毒に因るのであるから、多種多様の痛みは多種多様の薬剤があるからである。 本医術に依る時、痛苦は速かに治癒する。特に瘭疽(ひょうそ)、脱疽等の如き激痛と雖も一回乃至三回位にて無痛となり、患者は驚喜するのである。
天国の福音

病気症状の解剖 発熱(天国の福音 昭和二十二年二月五日)

即ち発熱、痛苦、掻痒苦(そうようく)、不快 感、嘔吐、下痢、浮腫(むくみ)、盗汗(ねあせ)、眩暈(めまい)、不眠、憂欝、麻痺、咳嗽(せき)、逆上(のぼせ)、耳鳴、冷へ、便秘等である。之等に就て順次本医術による解説をしてみよう。
日々雑感

[日々雑感] 最近の悩ましいIT事情といずれテレビは古いメディアになる?

世の中はかなりのスピードで変わっていっているようで、どうしたら岡田茂吉教祖の御教えが、読みたいと思われる方のところへ届けることができるのか実は今、検討中です。
教えの光

親の反対、夫婦不和の問題、夫が信仰に理解ない『教えの光』(4、浄霊および信仰上の問題)昭和二十六年五月二十日)

神様にお任せし、時を待っていれば必ずうまく解決する。罪穢相応に苦しむのである。人間は霊層界に籍があるが、夫婦のうち一方が磨けて向上し、あまり両者の位置が離れると、どうしても生き別れ、死に別れする事になる
教えの光

入信後既斎の神々の処分法、入信の奨め、物事が順調に行かぬ『教えの光』(4、浄霊および信仰上の問題)昭和二十六年五月二十日)

その他罪穢があるとそれに相当した邪霊が憑ろうとするが、これとても一種の浄化の現れである。しかし誠の心を持てば速く浄化がすみ、善い心掛けと良い行いをすれば、運勢が開けるようにこの世はできている。
教えの光

参葬の後の用足し、 浄霊の閑なとき、 布教・開拓上の心得『教えの光』(4、浄霊および信仰上の問題)昭和二十六年五月二十日)

なにごとも始めからパッとするのはいけない。実が実るように始めは小さく、徐々に大きくなるのが本当である。また発展しない理由は、なにか神様のお気に入らぬことがあるわけもあるから、よくその心と行を考えてみるべきである。
天国の福音

医学と自然天国の福(音 昭和二十二年二月五日)

人間の健康も病気も、飽迄(あくまで)大自然の理を基本として解決すべきが本当でそれが真理の具現である。
天国の福音

幸福への道(天国の福音 昭和二十二年二月五日)

元来身心健康者は精神も行動も常識的で合理性に富む結果、人間として為すべき事、為すべからざる事をよく判別し、善を愛し悪を嫌い、人を愛し他人の喜びを喜びとする
天国の福音

風邪引運動と薬廃運動(天国の福音 昭和二十二年二月五日)

特に子を持つ母親などは日常最大なる危惧から開放さるるであろう。又結核も半減するであろう。脳溢血、頭痛、中耳炎、扁桃腺炎、淋巴腺炎、不眠症、神経衰弱等々も大 いに減少するであろう。此意味に於て私は風邪引運動を提唱する
天国の福音

真健康と擬健康(天国の福音 昭和二十二年二月五日)

 私は現在世界人類少くとも文化民族の殆んどは病者であると言い得るのである。ただ既発と未発との相違だけで、即ち現在の病者は既発者であり、現在の健康者は未発者であるまでである。
日々雑感

[日々雑感]第10回 三好基晴医師 正当医学オンライン講座 を聞いて。

できれ出来るだけわかりやすく、現代医学の疑問点に触れていきたいと思っています。三好先生にもご投稿していただけるかもしれません
大光明世界の建設

「大光明世界の建設 序論 」 (病貧争絶無の世界を造る観音運動とは何? 昭和十年九月十五日)

実は、此本を書く位、難しい事はないので、実地を書けば信じられ難いし、信じいい位に書けば、実際とは違って来る、恰度、徳川時代の人間に、飛行機とラジオの説明をするような、否、それよりも、困難であるからだ。
大光明世界の建設

『病貧争絶無の世界を造る観音運動とは何?』 観音運動とその宣言 (昭和十年九月十五日)

  終に臨んで、天下の医学専門家諸士に希望する。それは、観音力が、如何に絶大であり、如何に驚くべき治病力があるかを研究されん事である。私は喜んで材料を提供する。
メシヤ講座

[メシヤ講座] 怯(ひる)まず世界救世(メシヤ)教復興事業を広く進める   2016年3月⑨ (私達の学び目からウロコの内容より)

こうして、メシヤ様の『揮はせらるる大神力』を世に出して行ってこそ、最後の一行の『嗚呼、慶賀すべき時とはなったのである。』という事が言えるのではないかな、と
教えの光

入信後の災害、 信仰と厄払い、祝詞と願い事 『教えの光』(4、浄霊および信仰上の問題)昭和二十六年五月二十日

火事などで焼けるのは汚れを非常に早くとられるわけである。普通相場に手を出したり、息子が道楽したりしてなくすこともあるが、その浄化がすむときっとあといいことになる。よく道楽息子が、金を湯水のごとく使うのは祖霊がするので、それをしないと一家断絶するのでそれを救うためで、これは割合長くかかる。
教えの光

自己の行いは小乗的に律すべきか、入信後の苦しみ・不幸について、罪と信仰『教えの光』(4、浄霊および信仰上の問題)昭和二十六年五月二十日

      浄霊によっても死ぬのは、多くの場合心から神にすがらぬからで、その人の信仰のどこかに不純な点があることが多い。いっさいを擲って神にすがる人は不治とみらるる病もたいていは助かるものである
教えの光

邪神の特色、真を行うには、言葉と言霊について『教えの光』(4、浄霊および信仰上の問題)昭和二十六年五月二十日

智慧が働かなくてはいけない。常識的判断がよい。自分の国家とか階級だけ良くするのは善いように見えて真ではない。それは小さい真であるから、突きつめれば真でなくなってしまう。どうしても人類愛を本として判断しなくてはならない。
教えの光

観音力・観音行・観音心 、善人悪人の別 『教えの光』(4、浄霊および信仰上の問題)昭和二十六年五月二十日

観音心とは観音の大慈大悲の御心であり、その御心を心として体現することが観音行である。特に観音神業においては絶対に人を咎めてはならぬ。この人を尤めるのが一番いけないのである。
教えの光

御神体の不思議、 光る御文字、神霊の匂い 「教えの光』(4、浄霊および信仰上の問題)昭和二十六年五月二十日

神霊は何とも言えぬいい匂いのするものである。匂いというのは真善美のうち、美のうちに入るので、天国や極楽などは芳香に満ちているものである。
メシヤ講座

[メシヤ講座]「曲のさやり」とも闘っていける体制作りを  2015年11月⑦(私たちの学び目からウロコの内容より)

[メシヤ講座]「曲のさやり」とも闘っていける体制作りを  2015年11月⑦(私たちの学び目からウロコの内容より)
御教え集18号

御教え集18号 昭和二十八年一月二日 ※数字二十

そういう様でミロクが開けるという、それが二十八年からになります。それで丁度救世教の経綸も凡てそういう形になりつつあります。それがよく分ります。
天国の福音

スポーツ医学(天国の福音 昭和二十二年二月五日)

スポーツは多くの種類があるに係わらず、その殆んどが一人一種に限られている。 従而(したがって)二六時中練習の場合同一動作をとるから、その力点に保有毒素が集溜固結するのである
天国の福音

熱帯病に就て(天国の福音 昭和二十二年二月五日)

気候の急激に異った土地に移住する場合、其風土に順応すべく身体自身が変化を起すので、其為の浄化発生である。即ち強烈なる気候に対するには血液の力の強化が必要でそれは血液をより純にするという理由によるのである
天国の福音

長命の秘訣 (天国の福音 昭和二十二年二月五日)

 その方法とは何か、それは極端な粗食をするのである。そうする事によって、栄養機能は猛烈な活動力を起さなければ必要な栄養分が摂れない事になる。自然それは小児の機能の如き活動力が再発生する訳である。言い換えれば機能を先ず若返らせるのである。   
日々雑感

[日々雑感] 御教えだけの静的ぺージと、お医者さんのお話紹介などの動的ブログをアップする予定です。

流石に投稿数が830を超えて、重たくなるのも当然なのかもしれません。なかなかホームぺージが開かないというようなご迷惑をおかけしていましたらお詫び申し上げます。
教えの光

短冊の不思議、ある理髪店の話、蒟蒻について『 教えの光』(3. 霊及び霊界の問題)昭和二十六年五月二十日

善言讃詞を上げると芒者の霊が集まる。そしてそれを聞くごとに一段一段向上する。霊はありがたいから、他の霊を勧誘して連れてくる。
教えの光

家畜の供養、銀杏の木について、銀杏の神秘『 教えの光』(3. 霊及び霊界の問題)昭和二十六年五月二十日

銀杏はふつうの木とはちょっと異い神秘の木である。銀杏の木には霊が憑りやすい。実の汁は霊が好むのである。銀杏を倒すとよく祟(たた)るというが、それは霊が憑いているからである。
教えの光

伐木と災難、火柱について、稲荷の祭り替え『 教えの光』(3. 霊及び霊界の問題)昭和二十六年五月二十日

伐木と災難 【お伺】古墳、墓地、神社などの跡を道路などに改修工事を行なった場合、木を伐るとその関係者に災難があるのですが、いかがいたしましたらよろしいでしょうか。     【御垂示】手続きしないからだ。手続きすればよい。代わりの木を近くへ植...
教えの光

戒名の取り替え、過去帳や繰位牌、亡夫の祀りと遺言、夫婦と離婚の親の位牌の位置 『 教えの光』(3. 霊及び霊界の問題)昭和二十六年五月二十日

毎日の礼拝、法事や供養するとき、霊がうつるための位牌である。過去帳などは位牌の用途とおのずから違う。過去帳を拝むのは間違いである。 繰位牌も感心しない。