管理人

メシヤ講座

[メシヤ講座] 教祖祭  2009年2月 (私たちの学び目からウロコの内容)

御承知のように、メシヤ様は昭和30年2月10日ご昇天になっておりますが、そのお時間が午後3時33分なのです。この「三、三、三」の数字の重なりが、畏れ多い表現を承知して述べれば、『メシヤ降誕本祝典』のメッセージであると思えるのです。
大経綸

「地上天国の模型」完成 御教え集23号 昭和二十八年六月七日

今度の六月十五日は箱根地上天国の完成記念祭です。ですから此処は、つまり地上天国の模型が出来たわけです。それで地上天国というのはミロクの世ですから、今日ミロクの数字が出るという事はそれに関連した大変な意味になるわけです。
大経綸

最後の審判とは何か (栄光213号 昭和二十八年六月十七日)

世界的大清算であって、長い間溜りに溜った処の罪穢の浄化作用である。従って余りに穢(キタナ)くどうにもならないものは、地上から永遠に抹殺される外はないから、恐ろしいのである。
メシヤ講座

[メシヤ講座] メシヤ様のご昇天の意味 2016年7月(私達の学び目からウロコの内容より)

『一厘の種』という御講話をされているのですが、この種がこの光の玉に宿って、それが成長されていくんだ、と。そして『成人を迎えるに従い大威徳を発揮される』という御話をされております。その神御魂が急速に成長されたんで、『(メシヤ様の)御肉体が散ったのだ』と。だから『散花結実の本当の意味は(メシヤ様の)御身体が散ったこと
文明の創造

『文明の創造』科学篇「肺患と薬毒」 ( 昭和二十七年)

三期結核は薬毒病と言ってもいい位で、斯ういう患者を私はよく治療したが、その目的は薬毒を除るだけである。何よりも薬毒が減るに従って、漸次恢復するに見て明らかである。但し此の薬物を除る方法こそ私の発見した浄霊法である。
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ミニ体験談:食べ物が喉を通らなくなった人に憑いた生霊を説得、食べることができるようになる。

苦しまれているSさんが、霊線を通じて分かっている人の所へ救いを求めて来られたのだと思うと話されていました。
文明の創造

『文明の創造』科学篇 「肺炎と結核」(昭和二十七年)

抑々肺炎と結核という病気の初因は、勿論感冒からである。というのは前項に述べた如く、折角感冒という浄化作用が発生するや、医療は極力停止させようとして、種々の手段を行う。之も既に述べた通りである
文明の創造

『文明の創造』科学篇 病気とは何ぞや「寒冒」 (昭和二十七年)    

毒素排泄作用の苦痛が病気であるとしたら、病気こそ浄血作用であり、健康上最も必要なもので、神の恩恵中最大なものと言うべきである。故に若し人類から、病気を取除いたとしたら、人間は漸次弱って、遂には滅亡に到るかも知れないのである。
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地上天国22号  教えの光  昭和二十六年三月二十五日

梅の実は、花が五弁であるから五行、即ち木火土金水の意味でもあり、又松竹梅の一つで、芽出度い意味でもある。又兄の花といつて、百花の中一番先に咲く ので、始めであり、春、即ち天国の始めでもある。故に散花結実とは、梅の事をいう
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[メシヤ講座]「私は化けているからな」メシヤ講座特選集no.96平成21年1月 (私達の学び目からウロコの内容より)

『勿論神を押し込めたことが罪の根源です。薬毒というものは浄霊をすれば取れるものです。みんな神を押し込めた罪がある。教団も幹部ほどその罪は重い。私を世に出してその罪は消える。要するに私というものが分かれば良い。しかし私は化けているからな』
メシヤ講座

メシヤ講座 教祖祭と三千年の罪穢れ 2017年2月      (私達の学び目からウロコの内容より)

人類はどこまでもお詫びをしなければ天国というのは到来しない訳ですので、ですから、私はずっと教団方針とは違って、節分祭を組織の中に居ても、ずっとし続けた訳です。そうした所を、神界も見て頂いて、メシヤ教を立ち上げる時に、段々と力を授けて下さるようになったのだと思います。
大経綸

御教え集31号  昭和二十九年二月六日  立春祭 

今年の節分は非常に意味があるのです。私としても非常に大きな奇蹟があったのですが、それはまだ言うわけにはゆきませんが、いずれ話をします。この節分という意味は、大本教と非常に関係があるのです。ごく古い、神代というのですが、神代と言っても、空漠(クウバク)たるものでなくて、神格を得た人間が住んで居た時代で、いわばの前の昼間の世界といったようなものです。
日々雑感

[日々雑感]病気治しだけにしてしまってはいけない!「浄霊」は神の実在を認識させる無神論者を救う手段!

『そうして神は無伸論者を救う手段として採られたのが、神の実在を認識させる事であって、其の方法こそ本教浄霊である。』ということですので、結果的に病気が治ったり問題が解決していくのですが、この浄霊というのは神様の実在を知らしめるためにあります
明日の医術

罪穢と病気 (明日の医術三 昭和十八年十月二十三日)

霊的浄化を発生さすその根源としての機能が腎臓であるから、腎臓の活動を促進さす事こそ、心身改造の根本である訳で彼の神道に於ける祓戸四柱の神の活動が、人体に於ては腎臓に相応すると想ふのである。曩に説いた如く心臓は日であり、肺臓は月であり、胃は土であり、天地間の汚濁を清める神が祓戸の神であるとすれば、腎臓は左右及び副腎と合せて四つあり、祓戸の神も四柱あるにみて、意味がないとはいへないであらう。
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メシヤ講座 三千年来の罪穢れとは・・・ 2015年2月  (私たちの学び目からウロコの内容)より

いよいよですね、私たちがメシヤ様の御神業を進めさせていただく時に、メシヤ様がなさろうとされた「宗教改革」の御教えを、引き続きずっーと拝読をさせていただいて、「宗教改革」を進めていく上での根本義を学んでいるという、そういうお気持ちで拝読を重ねていただきたいと思います。
文明の創造

『文明の創造』科学篇「医学の解剖」( 昭和二十七年)

若し病気が医学で本当に治るとしたら、段々病人は減り、医師の失業者が出来、病院は閑散となり、経営も困難となるので、売物が続出しなければならない筈であるのに、事実は凡そ反対である。何より結核だけにみても、療養所が足りない、ベットが足りないと言って、牟々悲鳴を上げている現状である。
文明の創造

『文明の創造』科学篇「病気と医学」( 昭和二十七年)

彼の薬剤、機械、放射能等の物質の応用である。成程之によって病気の苦痛は暖和されるので、之で病が治るものと誤認し、緩和法を続行するのであるが、事実は苦痛緩和と病気の治る事とは、根本約に異うのである
ミニ体験記

[ミニ体験談] アトピーなどは”陰性化せる天然痘の毒素” 排泄で解決

私は生まれて6ヶ月の頃から目と口を残して全身に瘡(クサ)が出て両親も大変だったらしいです。夜中もかゆがって母もよく起こされたようですが、父は何事もメシヤ様の教え通りにする人でしたので、薬を使うようなことなど全くなく、御浄霊で浄化を乗り越えてくれたようで両親には心から感謝
文明の創造

『文明の創造』科学篇「病気とは何ぞや」(昭和二十七年)

愈々之から病気についての一切を解説する順序となったが、抑々病気とは何かというと、一言にしていえば体内にあってはならない汚物の排泄作用である。従って体内に汚物さえなければ血行は良く無病息災で、年中溌刺たる元気を以て活動が出来るのである
ミニ体験記

[ミニ体験記] 親の罪穢の分担

回「病気の原因と罪穢 」の中に「すべて人間は、親の膝下(しっか)を離れて、一本立になればともかく、親によって養われてる間は、親の罪穢も分担する事になっている」を読んで、ここを見逃していると大変なことになる場合があるなと思い投稿しました。
信仰

病気の原因と罪穢 『新日本医術書』昭和11(1936)年執筆

病気の原因は、汚血及び水膿の溜結であり、その汚血と水膿は精霊の曇の移写であるという事は、既に述べた通りであるが、しからば、その曇はいずれから発生流転して来たかというと、それが罪穢なのである。しかして、罪穢にも二種あって、先天的と後天的とのそれである。
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病気の根本原因と真の治療 『新日本医術書』昭和11(1936)年執筆

そもそも、病気の根本原因とは何か。それは、一言にして言えば精霊の曇である。本来、人体は精霊と肉体から成立っているのであって、肉体ばかりであるならば、それは単に物質でしかないのである。そうして、精霊の中心に支配者としての魂がある。その魂こそ実に生命そのものである
第九篇  「光への道」

麹町時代 (自観叢書九 昭和二十四年十二月三十日)

前項の如く、私は昭和三年から昭和九年迄六年間、霊的研究と相俟って、神霊療法による病気治療の確信を得る迄に至ったので、之を引提げて世に問ふべく決意した。そこで、其頃の東京市の成可中心を選ばうとして、麹町平河町に、ピッタリ条件の叶った貸家があったので、そこを借りて、信仰的指圧療法といふ建前で治療所を開業した
御事績

或る神秘(井上茂登吉先生)  読後のお言葉  (地上天国二十五号  昭和二十六年六月二十五日) 

それは今度の事の為神様が名を付けられたのである。全く井上氏のいう如く、彌勒を生むという意味である。又小さい観音様があったのは、観音御生誕の型を神様は知らせる為であった。
みあとしのびて

[みあと]メシヤ様が天照皇大御神様を御鎮祭された日枝神社に参拝

御祭神は天照皇大御神様とばかりおもっていたのですが、どうも違うようで、素盞嗚尊様の孫の大山咋神(おおやまくいのかみ)様 で、国常立神(くにのとこたちのかみ)様、伊弉冉神(いざなみのかみ)様が祀られていました
大経綸

『神幽現 三界の御経綸』 (観音講座 第六講座より)

今度、愈(イヨイヨ)光明世界になるのは天照皇大神が出現になられる岩戸開きがあるのであります。昭和六年六月十五日、私が房州日本寺に天照皇大御神を御迎えに、大勢の信者さんを御供にして参詣に行ったのであります。此の時大神様が霊界へ御出現なられたのであります。
メシヤ様の生涯

大森時代 (自観叢書九  昭和二十四年十二月)

愈よ全身全霊を打込み、神の命のまま進む事となった。何しろ神の意図が半分、自己意識が半分というような訳で、普通人より心強い気もするが、普通人より心細い気もする。勿論それ程の経済的余裕もなく、先づ数ケ月維持する位の程度しかなく、確実な収入の見込もない、実に不安定極まる生活ではあるが、然し絶間ない奇蹟や神示の面白さで、経済不安など忘れて了ふ程
第九篇  「光への道」

入信以後 (自観叢書九  昭和二十四年十二月三十日)

神秘を暴こうとする意欲から熱が出るのである。茲で神秘に就て少しかいてみるが、人間の意欲の中で、此神秘を探りあてようとする事程魅力あるものはあるまい。信仰に熱が増すのは神秘探究心からである。従而昔から神秘の多い宗教程発展するのである。尤も神秘の表現化が奇蹟であるから、神秘と奇蹟とは切っても切れない関係にある。本教の異常の発展も之が為である
御光話録

御光話録 昭和二十三年九月二十八日(キリスト23年8月•9月) 

“メシヤといふのはヘブライ語ですから一寸日本語には解し難い。意味は救世主、救ひ主といふ事です。
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茨木よし子さんの霊視日記を掲載しました。 

「霊的事象を信ずる事」によって「幸福の原理を把握し得らるる」とおっしゃっていることは、霊界の事象を知らずして、世界メシヤ教はありえないという事だと思いました。
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御光話録 昭和二十三年八月十八日 (信仰の小学校、中学校、大学)

“来月「信仰雑話」を出版するが信仰のない人でも判る様に書いてある。在来の宗教は宗教一点張りで外の事は説かなかったが、私のは千手観音式でいろんなものに手を出すのです
第九篇  「光への道」

入信の動機 ( 自観叢書第九篇 「光への道」昭和24年12月30日)

私の若い頃は不正を憎む心が旺盛で困る事がある。特に政治家の不正や、指導階級の悪徳ぶり等を、新聞や雑誌でみたり、人から聞かされたりすると、憤激が起ってどうにも仕様がない事がある。全く信仰上からいえば厄介な小乗的人間であった。此様な性格が私をして不正を行はしめない処ではなく、何か社会人類の為、役立つ事をしたい。社会悪を少しでも軽減したいといふ気持が一杯で、それにはどういふ事をしたら一番効果的であるかを考え抜いた
第九篇  「光への道」

入信以前の私 (自観叢書第九篇 「光への道」 昭和24年12月30日)

私が信仰生活に入ったのは、前述の如く、大正九年夏三十九才の時であった。私の性格と入信の原因に就て述べてみるが、それまで私といふものは無神論者のカンカンで、神も仏もそんなものはある筈がない。そういふ見えざるものを信ずるのは迷信以外の何物でもないとしてゐた。
メシヤ様の生涯

はしがき (自観叢書第九篇 「光への道」 昭和24年12月30日)

之は私の自舒伝である。最初わが半生の記と名づけたのであるが「光への道」の方が感じがいいのでそう名づけたのである。私の前半生は洵に平凡で世間ありふれた経歴で、面白くないから書かない事にしたのである。
ミニ体験記

ミニ体験談「実家の水神様の祀り跡を供養する事で子供の性的悩みも解消!」

結婚の話も度々あるらしいのですが、本人がどうしても女の人を好きになることが出来ないという悩みがあり、そいう事情をひた隠しに隠し、人知れず悩みを抱えて暮らしていたようです。
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御教え集18号 昭和二十八年一月三日⑤(霊界→言霊→物質) 

凡て順序というものは最初は頭の中です。これは霊界に出来るのです。それでこれを、こうしろああしろという言霊に出て、それから本当に物質が現われる、という順序です。それで今は頭の中の霊界では設計が出来てます。それで四月に行って、今度は言霊の設計をやるのです。そこで言霊というものは非常に重要なものです。それは誰がやる事でもそうです
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御教え集18号 昭和二十八年一月三日④ ( 箱根美術館)

去年の夏頃から不思議に浮世絵のいい物が集まってくるのです。それまではそんなに考えなかったのですが、これは神様が浮世絵展覧会をやれという事と分りましたから、そういう計画を立てたのです。それで去年の京都の浮世絵展覧会の品物よりもずっと上の物です。これは今までに例がないでしょう。又不思議にすばらしい物がはいってくるのです。これは道具屋がみんな不思議に思ってます。
日々雑感

御教え集18号新年御教えのまとめ掲載について

御教えを私が編集するようで申し訳ないと思いましたが、全文は全文で掲載し、内容が豊富な時は今回のように、主だった内容をいくつかに分け掲載する時もあると思います。ご了承下さいませ。
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御教え集18号 昭和二十八年一月三日③ (大芝居)

建設が進むに従って破壊も進んでいくというわけです。ここのところに実に微妙な神様の経綸があるのが分ります。それが分らないで見ると、何がなんだか見当がつきません。つまり芝居なら筋書ですが、それを救世教信者は分っていて見るから、つまり芝居の役者でなく見物人、お客様の方です。
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御教え集18号 昭和28年1月3日 ① (「二十八」の数字)

今年は二十八年ですが、「二十八」というのは数字から言っても大変いいのです。終戦になったのが昭和二十年ですが、この「二十」という数字は今までにも沢山ありましたが、特に良いという事は「昭和」という年号に対して、その文字に対しての二十というのが大変大きな意味になるのです。「昭」というのは日偏に召すという字ですが、この「召す」という事は「しろしめす」という意味になります。「しろしめす」という事は「統治する」という事です