霊的病気の一例(栄光194号 昭和28年2月4日)《お陰話》祖霊の導きにより救われた一家 

 死霊しりょうの憑依による病気も色々あるが、下記の例は最もハッキリしている。これこそ医師には分らないのも無理はない。これによってみても真の医学とは、霊と体の両方の病気がハッキリ分り、その治療が出来なければならないのは分り切った話である。処が今迄は医学は体的にかたより、信仰治療は霊的に偏るので、わばどちらも不具的療法であるから、一切の病気を治すことは出来ないのであって、ここに本教の素晴しい価値があるのである。

 そうしてこの人の病気は、霊界で苦しんでいる霊が、救われたい為に憑依したもので、変なその症状は死ぬ時そのままであるから、それを知ってみれば、成程と思うであろう。

祖霊の導きにより救われた一家

『栄光』194号、昭和28年2月4日

   T県  T中教会 D.K(41)


 二十七年四月、尊きお導きにより入信させて戴いた者でございます。ちたなき筆をもって、喜びの一端を申し述べさせて戴きます。

 二十六年四月、ふとした風邪が因で、肺炎から結核となり、入院する身となりました。医者に勧められるままにストマイをうち、パスを服用し、安静を続けた結果、烈しく出ていた咳も大分よく御飯もおいしくなり、漸く三カ月にして退院致す事ができて喜んでおりました。その後、ずっと通院致しておりましたが、秋も深くなった十月の中旬頃だったと思います。私が裏でげんのしょうこを、薬にもなること故、お茶代りとして服用しようと細かくきざんでおりますと、友達のMさんが「一生懸命ですね、その後お達者ですか」と声をかけられ、色々雑談致した末「あなたに本を見せて上げましょう」と大事そうに新聞に包んだものを下さいました。その好意が嬉しく「おいしい薬になりますよ、お茶代りに」と大きな袋に入れて差上げました。その時はいいことをしたと自分一人喜んでおりました。今となれば薬毒の恐しさを判らさせて戴き、申訳ないと思います。その晩皆が休んでから、その本(地上天国)を取出して読み始めたところ、今まで見たことも聞いた事もない本です。これはただの本ではないと思いながら、毎晩少しずつ読むのが何より楽しみでした。その後友達に誘われるままにK様宅でお話があるというので出掛けました。ところが聞いている中に何だか夢の世界にいるような不思議なお話で狐につままれているのではないかと、思わず辺を見廻した位でした。お話も済んで皆お帰りかと思っておりましたら、何やら体に手をかざしていらっしゃる。誰の顔も真剣です。帰りに友達が説明して下さってやっと判りました。F町にもこんな結構なところがあるのかと驚きました。

 それから何か引かれるものを感ずるままに、二、三回R先生宅へお話を聴きに行きました。このような尊きお話をお伺い致し、U会長先生に一度お会い致したいと思っておりましたところ、二月二十二日に向いのAさん宅で光明如来様のお祀りをするのに、会長先生がおいでになるとお聞きしましたので、早速母と一緒に出掛け、お道の事を詳しくお教え戴きました。一条の光明を見出したようで嬉しくてたまりませんでした。

 ところが三月六日の晩、いつもの通り母と共に念仏を唱えながら就寝致したのですが、翌朝私が気を失っていると言って、夫が家中の者を起している声が遠くの方に聞え、はっとして気がつきました。しかし口もきけず目も開かず、身体の自由もきかないのです。夫が「気がついたか、話すのが判るか」と問いますが頷くばかりです。家中の者が「早く医者を呼ばなければ」と大騒ぎです。夫が「今までの医者に来て貰うか、又病気が違うから他の医者にするか、お前のいいようにしてやる」と言います。私は“この時だ医者を呼んではいけない”と心の中で思いますが口では言えず、真剣に顔を横に振るので「こんな病人が」と驚いて、何か言おうとするところへ母が覚って「手がもじもじしている、きっとAさんを指すのです」と言って下さったのでほっとして又ぐったりしてしまいました。後で聞いたのですが、夫が早速にAさんを呼んで来て、すぐ御浄霊をして戴いたところ、涙を流して喜んだそうです。体も楽になり、又いつの間にか眠ってしまいました。その中近所の人が見舞いに来て「こんな病人が医者に見て貰わずにどうする気か」と心配して下さいますが“有難迷惑”と思っておりますものの、家のものが世間体も考えて呼んだのでしょう。医者の診断の結果は「病名ははっきり判らないが、脳につかないように」と注射一本をうって行かれました。その晩Aさんが、G先生と一緒に来て下さいました。先生はすぐ御浄霊をして下さって家の者に尊きお話を判り易く説明して下さいました。「あなたの病気は先祖が救われたさに示したもので、御主人が入信なさって御浄霊して上げられればすぐ良くなります。一日も早く先祖を救ってあげて下さい」と言って下さったので、私はものが言えぬながらも心の中に明るい希望が湧いて来たのです。御浄霊を戴いている中に、人の言うのがはっきり判るようになり、頭痛も止り、二日目には便所へも一人で行けるようになり、皆驚いておりました。でも出るものはよだればかりで、物が言えぬのが残念でした。「言いたいことがあれば書きなさい」と言われ、鉛筆と紙を出されたが一字も書けません。こんなものにAさんとG先生が代る代る来て御浄霊や又色々とお道のことをお話下さいました。話も進んで夫が三月十一日の中教会の御例祭にお参りさせて戴き、お守様を拝受致しました。

 不思議! その日から炊事仕事もでき、少しずつ話せるようになりました。自分の願ったことが叶えて戴いたのです。なんと言う有難いことでございましょう。ただただ勿体ない限りです。医者も「あなたの今度の病気は不思議です。医学では判らない」と申しております。本当に自分ながら人間業でないことをしっかりと教えられました。引続き私が教修を受けさせて戴き、食事の時に、咽喉につかえて困っておりましたのも良くなり、御屏風観音様も御奉斎致し、日々御守護を戴いております。次男も昨年の四月口がただれひどい浄化を戴きましたが、心配しながらも明主様に一心におすがり致し、御浄霊致しましたら一カ月余りで全治致しました。罪穢れの多い私達一家を、度々御守護下され、感涙にむせぶばかりでございます。

 至らぬものではございますが、今後共、お道のために万分の一でもお報い申し上げたいと念じております。私のごとき無学な者には、とても筆舌に表わしようもございません。「明主様ありがとうございます」と申し上げるばかりです。又雪の中小さい御子様を背負われ、私のために何回となく御出下さいました。G先生始めAさんにあわせて御礼申し上げます。

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