日々雑感 [日々雑感] 新型コロナの重症化リスクは持病のためと言うより、服用している薬が原因では・・? 浜六郎先生の臨床副作用ノートに学ぶ 人間がこの先ずっと新型コロナと向き合っていかなくてはいけないのなら、服用する薬を止めるか、充分に検討することが必須ではないでしょうか?。 2021.01.05 日々雑感
御教え集 御教え集1号 昭和二十六年八月二十一日(昭和26年9月20日発行) ※御法難の別の面の救い 私は何もないから――良い弁護士を傭う丈の力があるから思いきつてやる。之も印刷にして、裁判長や検察官に配る積りですが、それは何にも気が咎める事がないから出来る。そうすると、今迄泣寝入りして、罪をつくられた人を助けてやる。それから、日本の裁判の非民主的のやり方を幾分でも良くしなければならないと言う、やはり一つの救いです。救いの別の面のやり方になる。 2021.01.04 2021.01.05 御教え集法難
信仰 之も慢心 (栄光 百二十一号 昭和二十六年九月十二日) 其證拠には今迄間違った信仰の為に、神様から裁かれ、人によっては命迄失った事実は沢山あり、古い信者は幾度も経験しているであろう、だから人の善悪を批判する前に、先ず自分の腹の中の善悪を見る事である。 2021.01.03 2021.01.09 信仰栄光
日々雑感 [日々雑感] 2021年、年の初めに思わされた事。 年の変わり目に名言いただいたように思えて、高すぎる課題とは思いますが、この一年座右の銘とさせていただこうと思いました。 2021.01.02 2021.01.04 日々雑感
信仰雑話 地上天国 (信仰雑話 昭和二十四年一月二十五日) 地上天国という言葉は、何たる美わしい響であろう。此言葉ほど光明と希望を与えるものはあるまい。然るに多くの者は、地上天国などという事は実現の可能性のない夢でしかないと想うであろうが、私は必ずその実現を確信、否実現に近づきつつある事を認識するのである。 2021.01.01 2021.01.08 信仰雑話
信仰雑話 宗教と分派 (信仰雑話 昭和二十四年一月二十五日) 以上の如くであるから私は出来るだけ難解を避け、何人にも理解出来得るよう、新しい形式の下に教の道を説かんとするのである。 2020.12.31 2021.01.08 信仰雑話
信仰雑話 大乗と小乗 (信仰雑話 昭和二十四年一月二十五日) 最後は経緯を結ぶ、即ち十字型とならなければならない。此意味に於て時所位に応じ経ともなり、緯ともなるというように、千変万化、応現自在の活動こそ真理であって、此十字型の活動が観音行の本義である。昔から観世音菩薩は男に非ず女に非ず、男であり女であるという事や、聖観音が・・ 2020.12.30 2021.01.08 信仰信仰雑話
信仰雑話 禁欲 (信仰雑話 昭和二十四年一月二十五日) 昔から立派な宗教家たらんとするには、禁欲生活をしなければならないように想われ、それが真理を悟り魂を磨く最良の方法とさえ思われてゐた。然し私は反対である。 2020.12.29 2021.01.08 信仰雑話生活
日々雑感 [日々雑感]2020年新型コロナに見舞われた年の終わりに。 あくまでも御教えを中心にということで進めてきましたが、今回、この御垂示を読ませていただき、御論文を読んでもらうために興味をひいていただく内容や、楽しんで読んでいただくように工夫することも大事なんだと思いました。それがイズノメと言うことなのかも・・・。 2020.12.28 日々雑感
御垂示録2号 *理屈は面白くない 御垂示録2号① 昭和二十六年九月一日 (昭和二十六年十月十日発行) 話の前に言いたい事は、「地上天国」や「栄光」に載せる寄書ですね。あれを少し変えて貰いたい。年中同じで、論文ばかりです。面白いかどうかは自分で考えて見ても分る。分り切つた事や真面目な事は、偶に少しは良いが、読む気にならないでしよう。 2020.12.27 2023.07.27 御垂示録2号
信仰雑話 迷信邪教 (信仰雑話 昭和二十四年一月二十五日) 今日新聞雑誌ラヂオ等、盛んに迷信邪教に瞞(ダマ)されるなという事を警告してゐるが、成程迷信邪教は昔から断えず輩出してゐるばかりか、今日は最も甚しいようである。然し全部が全部迷信邪教とはいわれまい。その中の幾分かは今日立派な宗教として残ってゐるからである 2020.12.26 2021.01.08 信仰信仰雑話
信仰雑話 難行苦行 (信仰雑話 昭和二十四年一月二十五日) 日本に於ても未だ相当バラモン式苦行を行う行者や宗教家もあるようであるが、私はあまり賛成出来ないのである。というのはわが観音教の信徒が別段難行をせずとも覚者となり、正しき道を履(フ)み、天職使命を実践するようになり得るからである。 2020.12.25 2021.01.08 信仰信仰雑話
信仰雑話 怒る勿れ (信仰雑話 昭和二十四年一月二十五日) 私の修業は「借金の苦しみと怒りを我慢する」という此二つが重なるものであった』と答へるので、聞いた人は唖然とするのである。 2020.12.24 2021.01.08 信仰雑話生活
芸術 御教え集29号 昭和二十八年十二月二十三日 御誕生祭 (御生誕祭) 昭和二十九年一月十五日発行 私は今日で満七十一歳になります。それで今日は皇太子様の御誕生日にもなるので、余程私と因縁があるように思われます。皇太子様は明仁と言って、やはり「明」の字で、私は明主なのですから、これも不思議と思われます。 2020.12.23 2021.02.14 御教え集数字芸術
信仰雑話 プラグマチズム (信仰雑話 昭和二十四年一月二十五日) 世間よく信仰を鼻の先へブラ下げてゐるような人がある。之を第三者から見る時一種の不快を感ずるものであるから、理想的にいえば、些かの宗教臭さもなく普通人と少しも変らない、唯だその言行が実に立派で、親切で、人に好感を与えるというようでなければならない。一口にいえばアク抜けのした信仰でありたい、泥臭い信仰ではいけない。 2020.12.22 2021.01.08 信仰雑話
信仰雑話 奇蹟 (信仰雑話 昭和二十四年一月二十五日) 私は思う。悠久極りなき此地球上に於て、何時如何なる時代に、奇蹟の宗教が表われないと、誰か言い得るであろう。 2020.12.21 2021.01.08 信仰雑話
日々雑感 [日々雑感]観音講座「第六講座」を読んで、令和二年夏の「よみがえる正倉院宝物」展の感動ふただび! あの有名なゴッホも、日本から大きな影響を受けたのだなーと言うことを実感したのでした。 2020.12.20 日々雑感
信仰雑話 信仰の醍醐味 (信仰雑話 昭和二十四年一月二十五日) 私は常に、どうしても判断がつかぬ難問題に逢着した時、観音様に御任せするといふ事にして、後は時を待つのである。処が想ったよりも良い結果を得らるる事は幾多の体験によって明かである。殆んど心配したやうな結果になった事は一度も無いといっても可い。 2020.12.18 2023.07.27 信仰雑話生活
信仰雑話 善を楽しむ (信仰雑話 昭和二十四年一月二十五日) 私は熟(ツク)づく世の中を観ると、多くの人間の楽しみとしてゐる処のものは善か悪かに分けてみると、情ない哉、どうも悪の楽しみの方がずっと多いようである。否楽しみは悪でなくてはならないように思ってゐる人も少なくないらしい。 2020.12.18 2021.01.08 信仰雑話
信仰雑話 悪の追放 (信仰雑話 昭和二十四年一月二十五日) 総ゆる問題も、成功不成功も善悪の量に因る事で、此意味に於て為政者も、教育者も、知識人も、世を挙げて悪を減滅する事に専念すべきで、それ以外に良法のない事を私は断言して憚らないのである。 2020.12.16 2021.01.08 信仰雑話
信仰雑話 敗戦の教訓 (信仰雑話 昭和二十四年一月二十五日) 日本が敗けたという事は、日本が救われたのである。成程一時は悲観のドン底に陥り、上下を挙げて未だ曽て経験せざる混迷状態に陥った事は吾々の記憶に新たなる処であるが、実をいうと、それは一時的であって、将来を想う時は悲観する処ではない、 2020.12.15 2021.01.08 信仰雑話
日々雑感 [日々雑感] 岡田茂吉教祖の御講和「 昭和二十八年八月十六日 の超奇跡について、医師7人を迎えての診察」を読んで思うこと 再生医療がもてはやされている現代、医学的にも漸く岡田茂吉教祖の理論に追いついてきたと言えるのではないでしょうか?。昭和20年代の医学ではとても睾丸が再生されるなど考えも及ばなかった事でしょう。しかし、医学が発達した今だったらどうなのだろうか・・・? 2020.12.13 2020.12.14 日々雑感
世界救世教奇跡集 神様も御手数が掛る (世界救世教奇蹟集 昭和二十八年九月十日) 現代人は残らずといいたい程、宗教特に新宗教を蔑視し、信じなければならない程の事実を見せられても、疑いが先に立って中々信じようとしないのは困ったものである。この原因こそ医学迷信のコチコチになり切っている為であるのは言う迄もない。 2020.12.12 2021.01.21 世界救世教奇跡集
世界救世教奇跡集 超奇蹟 (世界救世教奇跡集 昭和二十八年九月十日) この御蔭話の奇蹟は奇蹟以上の奇蹟であって、恐らくこれ程の超奇蹟は人類史上空前であり、医学関係者は固より、普通人が読んでも只唖然として言葉も出ないであろう。これこそ世界的大問題として取上げてもいいと思うのである。私はこれを読みつつ驚きと共に涙が溢れて来てどうする事もならなかった。 2020.12.11 2023.11.21 世界救世教奇跡集御蔭話(御在世当時)など
世界救世教奇跡集 病気に就いての奇蹟 (世界救世教奇跡集 昭和二十八年九月十日) 今迄のは病気以外の奇蹟であるが、今度は病気に就いての奇蹟であるが、その前に 断っておきたい事は、勿論全部が本人の手記その儘であるから、文中冗漫な点や感謝の言葉など、どれも同じようで五月蝿いかも知れないが、些かでも直さない方がいいと思うからそ... 2020.12.11 世界救世教奇跡集
信仰雑話 宗教と芸術 (信仰雑話 昭和二十四年一月二十五日) 今日迄、宗教と芸術とはあまり縁がないように多くの人に思われて来たが、私は之は大いに間違ってゐると思う。人間の情操を高め、生活を豊かにし、人生を楽しく意義あらしむるものは、実に芸術の使命であろう。 2020.12.10 2021.01.08 信仰雑話
信仰雑話 宗教と政治 (信仰雑話 昭和二十四年一月二十五日) 犯罪の根拠は人間の内面にある魂そのものであるからである。此魂を浄化する事こそ真に効果ある方法で、それは正しい信仰以外他にない事を私は信ずるのである。 2020.12.09 2021.01.08 信仰雑話
信仰雑話 常識 (信仰雑話 昭和二十四年一月二十五日) 先づ自己が幸福者たらんとするには他人を幸福にする事で、それによって与えらるる神の賜が真の幸福である。然るに自己のみの幸福を欲し他人を犠牲にするというが如きは全く逆効果以外の何物でもない事を知るべきである。 2020.12.08 2021.01.08 信仰信仰雑話
メシヤ講座 [メシヤ講座]「結び」の働きを身に付ける 天津金木 2017年1月⑩ これは菊の紋章ではなくて、この『天津金木』を上から見た時の図が十六弁になるということです。これが、世界がずーっと地球を中心に宇宙ができていく、そういう姿をこの『天津金木』というもので表現しているのと同時に、主神様の地上天国建設の設計のデーターがすべてこの中に入っている 2020.12.07 メシヤ講座
第十二篇「自観説話集」 信仰の種類 (自観叢書第十二篇 自観説話集 昭和25年1月30日) 右の中、どれにも該当しない信仰でありとすればそれは正しい信仰である。 2020.12.05 2025.03.04 第十二篇「自観説話集」
ミニ体験記 [ミニ体験談] 老齢期の風邪も浄化停止に気を付けよう! 日頃から自然食をとることと、薬以外にも浄化停止をしないように気をつけること、そして日々の御浄霊とで、注意深くそのような事を日頃から気をつけていたら、大病になる事もないように思います 2020.12.04 ミニ体験記
御垂示録1号 ※愛人、日本画、書、総合芸術、井戸 御垂示録1号 昭和二十六年八月八日⑤ 綜合芸術と言うものが之から発達して行く。今迄色んな色を作つたでしよう。今度はその色々な色を混ぜて絵を画く。そう思えば一番分る。 2020.12.03 2023.07.27 御垂示録1号 生活芸術
御垂示録1号 ※邪神、八大龍王、稲荷、霊媒 (御垂示録1号 昭和二十六年八月八日 ④) ですから八大龍王が家来になつて闘つている。五男三女と言うのは、五柱の男神様と三柱の女神様ですね。その又眷族があり、関係があります。 2020.12.02 2025.02.09 御垂示録1号 霊界
御垂示録1号 ※病気 御垂示録1号 昭和二十六年八月八日 ③ 初めての患者はウンとした方が良い。今私が言つたのは、一旦浄化が良くなつて、再浄化と言う場合です。それから肺病と他の病気は違うから、そこのところを間違はない様に。 2020.12.01 2025.02.09 御垂示録1号
御垂示録1号 ※先祖供養 (御垂示録1号 昭和二十六年八月八日 ②) 真宗と日蓮宗とではいけないですね。大体養家を主にして、実家の方はお客様扱い位で良いです。祭らないよりは良い、祭つた方が功徳になると言う程度です 2020.11.30 2025.02.09 御垂示録1号
御垂示録1号 ※御神体・お写真等 御垂示録1号 昭和二十六年八月八日 ① 《御垂示》 御神体です。それから病気とか、色んなお蔭を戴く時は御写真を先にする。やつぱり時期によつてそうするんです。今の時期は光明如来様が御神体として最高としてする。 2020.11.29 2023.07.26 仏教信仰御垂示録1号
ミニ体験記 [ミニ体験談] 新郎と握手して癲癇症状が出るように。関係すると思われる心霊スポットの霊を救霊して解決! 新郎と握手をしてチャペルに入って椅子座ったらそのまま倒れ込んでしまいました。 2020.11.28 2020.12.01 ミニ体験記
日々雑感 [日々雑感] 「信仰雑話」を掲載します。 日々の生活で基本となる御教えであり、初めて岡田茂吉教祖の御教えに触れる方にも、まず読んでいただきたい御教えなので順次掲載していきます 2020.11.27 2020.12.14 日々雑感
信仰雑話 正しき信仰 (信仰雑話 昭和二十四年一月二十五日) 「疑は信の初めなり」という事があるが、之は全く至言である。私は「信仰は出来るだけ疑へ」と常に言うのである。世間種々の信仰があるが、大抵はインチキ性の多分にあるものか、そうでない迄も下の位の神仏や狐、狸、天狗、龍神等を的(マト)としたものが多く、正しい神を的とする信仰は洵に少ないのである。 2020.11.26 2021.01.08 信仰信仰雑話