総篇 既成文化の謬点(びゅうてん) (文明の創造 昭和二十七年)

  此(この)著は序文にもある通り、現代文明に対する原子爆弾といってもよからう。そうして既成文明の根幹となっている宗教も、思想も、哲学も、教育も、科学も、芸術も悉(ことごと)く包含されてをり、其(その)一々(いついつ)に就(つい)て鋭い眼を以て、徹底的に批判し究明し、赤裸々に露呈してあるから、之を読むとしたら何人と雖(いえど)も古い衣を脱ぎ棄(す)て、新しき衣と着更(きが)へざるを得ないであらう。此意味に於て本著が人々の眼を覚ますとしたら、茲(ここ)に既成文明は一大センセーションを捲(まき)起し、百八十度の転換となるのは必然であり、此著完成の暁は全世界の宗教界、各大学、学界、言論界、著名人等に適当な方法を以て配布すると共に、ノーベル賞審査委員会にも出すつもりであるが、只(ただ)惜しむらくは同審査委員諸氏は、唯物科学の権威であるから、初めから理解する事は困難であらうが、此著の説く処科学の根本をも明示してあり、悉(ことごと)くが不滅の真理である以上、充分検討されるとしたら、理解されない筈はないと思うのである。
 之に就て重要な事は、今日迄の学者の頭脳である。それは彼等は宗教と科学とを別々のものとして扱って来た事で、此考へ方こそ大きな誤りであったので、それを根本から解明するのが此著の目的である。そうして地球上に於ける森羅万象一切は、相反する二様のものから形成されている。それは陰陽、明暗、表裏、霊体というようになっている。処が今日迄の学問は体の面のみを認めて、霊の面を全然無視していた事である。といふのは霊は目に見えず、機械でも測定出来なかったからでもあるが、其為学問では今日迄地球の外部は、只空気と電気だけの存在しか分っていなかったのである。処が私はそれ以外確実に存在している霊気なるものを発見したのである。之に就ては先ず地球上の空間の実態からかいてみるが、それは斯うである。即ち前記の如く霊気(火)空気(水)の二原(元)素が密合し、一元化した気体のようなものが、固体である地塊(土壌)を包んでおり、此三原素が合体して、宇宙の中心に位置しているので、之が吾々の住んでいる世界及び周囲の状態である。処が科学は右の空気と土壌のみを認めて、霊を認めなかったが為、空気と土壌の二原素のみを対象として研究し進歩して来たのであるから、言わば三分の二だけの科学で全体ではなかったのである。此根本的欠陥の為如何に進歩発達したといっても、三位一体的真理に外れている以上、現在の如き学理と実際とが常に矛盾していたのであるから、此欠陥を発見し是正しない限り、真の文明世界は生れる筈はないのである。そうして右三者の関係を一層詳しくかいてみると、経(たて)には霊、空、地の順序となっており、彼の日月地の位置がよくそれを示していると共に、緯(よこ)即ち平面的には三者密合し重り合い、距離は絶対なく、渾然(こんぜん)と一丸になって中空に浮んでゐるのが地球である。勿論三者夫々(それぞれ)の性能と運動状態は異っている。即ち火は経に燃え、水は緯に流れ地は不動体となっているが、之は絶対ではなく、呼吸運動による動体中の不動体である。そうして経と緯とは超微粒子の綾状的気流となって、地球を中心として貫流し、運動しているのである。そうして此気流なるものは空(くう)の如く無の如くである為、現在の学問程度では到底把握出来ないのである。然るに意外にも此気体そのものこそ、実は一切万有の力の根原であって、その本質に至っては実に幽幻霊妙想像に絶するものである。仏者のいう覚者とは此一部を知り得た人間を言ったもので、それ以上になった者が大覚者であり、一層徹底した大覚者が見真実の境地に到達したのである。釈迦、キリストは此部類に属するのであるが、只併(ただしか)し此二聖者は時期尚早の為、或(ある)程度以上の力を附与されなかった事である。それが為救世的力の不足はどうしようもなかった。其証拠として両聖者は固より、其流れを汲んだ幾多覚者達の努力によっても、今以て人類の苦悩は解決されないに見て明かである。処が愈々(いよいよ)天の時来って絶対力を与へられ、其行使による人類救済の大使命を帯びて出顕したのが私である以上、私によって真理の深奥を説き、人類最後の救ひを実行すると共に、新文明世界設計に就ての指導的役割をも併せ行うのであるから、実に全人類に対する空前絶後の一大福音である。
  茲で話は戻るが、前記の如き物質偏重の文化を見真実の眼を以て、大局から検討してみる時、意外にもそれによって今日の如き絢爛(けんらん)たる文化が発生し、進歩しつつあったのであるから、此矛盾こそ実に神秘極まるものであって、之こそ神の経綸に外ならないのである。之を一言にしていえば、現在迄の文明は前記の如く体的面は成功したが、霊的面は失敗した事である。では何が故(ゆえ)に神は最初から失敗のない完全な文明を創造されなかったかというと、此疑問こそ此著を順次精読するに従ひ、初めて判然と理解されるのである。
 
                   

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