カンカン先生  (光44号 昭和25年1月7日)

私が大本教入信後間もなく先輩者で指導者として仰いでいた先生があった、この先生は小乗信仰のモデルのような人で信仰の窮屈な事到底ついてはゆけない程であった、その中の二、三をかいてみよう。

 其頃私は東京の京橋に居ったが、その先生は谷中やなかの豊島区という二、三里も離れている処からよく来たのである、処が電車へは決して乗らない、夏などお粗末な浴衣一枚にヨレヨレの帯を締めて帽子も被らず日和ひより下駄を履き、炎天下を扇子をかざしながらトボトボ歩いて来るのである、彼の言うには電気などは西洋で出来たものであるから電車へ乗ると穢れるというのである。

 恰度ちょうど幕末の頃、電線の下を通るとけがれるといって扇で頭を隠した神兵隊とよく似ている、そのくせ家の中には電燈をけているのだから甚だ矛盾している、そんな訳で牛肉は勿論鶏卵も食べない、汚れるからだという。

 或時こういう事があった、私の妻が女学校の時習ったシューベルトの「夜の調べ」を口誦くちずさんでいた、すると彼は大いにとがめて「神の信者たるものが西洋の歌などうたうのははなはだよろしくない」と散々お説教されたものである。

タイトルとURLをコピーしました