テーマ別御教え

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霊主体従 (結核の革命的療法  昭和二十六年八月十五日)

無機質界と人間の病気との関係をかいてみるが、即ち無機質界とは吾々のいう霊界である。そうして人間は体と霊との密合一致によって成立っているものであって、言う迄もなく体とは眼に見ゆる物質で誰にも判るが、霊は眼には見えないが、立派に存在している一種のエーテルの如きものであって
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無機から有機へ (結核の革命的療法  昭和二十六年八月十五日)

病気の本体は霊の曇りであり、此曇りから黴菌は発生するという、其順序を詳しくかいてみるが、初め透明体である人霊に曇りが発生するか、又は濁血の移写によって曇りが出来る訳は、既にかいた通りであるが、然らば曇りから何故病菌が発生するかというと、曇りの濃度化が或程度に達するや、自然に超微粒子が発生する。此原理こそ最高科学であって
その他

黴菌の発生  (結核信仰療法 昭和二十七年十二月一日)

  茲で一体人間の霊なるものは、何であるかというと、科学的に言えば非常に密度が高く超稀薄なものであって、現在進歩した原子顕微鏡でも、到底見る事は出来ない程の超々極微粒子であるにも拘わらず、之こそ前記の如く人間の本体であるから、全く想像もつかない程の神秘幽幻なものである。此理によって病原の最初は此霊の全部又は一部に曇りが発生する
大経綸

「地上天国の模型」完成 御教え集23号 昭和二十八年六月七日

今度の六月十五日は箱根地上天国の完成記念祭です。ですから此処は、つまり地上天国の模型が出来たわけです。それで地上天国というのはミロクの世ですから、今日ミロクの数字が出るという事はそれに関連した大変な意味になるわけです。
大経綸

最後の審判とは何か (栄光213号 昭和二十八年六月十七日)

世界的大清算であって、長い間溜りに溜った処の罪穢の浄化作用である。従って余りに穢(キタナ)くどうにもならないものは、地上から永遠に抹殺される外はないから、恐ろしいのである。
大経綸

御教え集31号  昭和二十九年二月六日  立春祭 

今年の節分は非常に意味があるのです。私としても非常に大きな奇蹟があったのですが、それはまだ言うわけにはゆきませんが、いずれ話をします。この節分という意味は、大本教と非常に関係があるのです。ごく古い、神代というのですが、神代と言っても、空漠(クウバク)たるものでなくて、神格を得た人間が住んで居た時代で、いわばの前の昼間の世界といったようなものです。
明日の医術

罪穢と病気 (明日の医術三 昭和十八年十月二十三日)

霊的浄化を発生さすその根源としての機能が腎臓であるから、腎臓の活動を促進さす事こそ、心身改造の根本である訳で彼の神道に於ける祓戸四柱の神の活動が、人体に於ては腎臓に相応すると想ふのである。曩に説いた如く心臓は日であり、肺臓は月であり、胃は土であり、天地間の汚濁を清める神が祓戸の神であるとすれば、腎臓は左右及び副腎と合せて四つあり、祓戸の神も四柱あるにみて、意味がないとはいへないであらう。
文明の創造

『文明の創造』科学篇「病気とは何ぞや」(昭和二十七年)

愈々之から病気についての一切を解説する順序となったが、抑々病気とは何かというと、一言にしていえば体内にあってはならない汚物の排泄作用である。従って体内に汚物さえなければ血行は良く無病息災で、年中溌刺たる元気を以て活動が出来るのである
信仰

病気の原因と罪穢 『新日本医術書』昭和11(1936)年執筆

病気の原因は、汚血及び水膿の溜結であり、その汚血と水膿は精霊の曇の移写であるという事は、既に述べた通りであるが、しからば、その曇はいずれから発生流転して来たかというと、それが罪穢なのである。しかして、罪穢にも二種あって、先天的と後天的とのそれである。
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病気の根本原因と真の治療 『新日本医術書』昭和11(1936)年執筆

そもそも、病気の根本原因とは何か。それは、一言にして言えば精霊の曇である。本来、人体は精霊と肉体から成立っているのであって、肉体ばかりであるならば、それは単に物質でしかないのである。そうして、精霊の中心に支配者としての魂がある。その魂こそ実に生命そのものである
御事績

或る神秘(井上茂登吉先生)  読後のお言葉  (地上天国二十五号  昭和二十六年六月二十五日) 

それは今度の事の為神様が名を付けられたのである。全く井上氏のいう如く、彌勒を生むという意味である。又小さい観音様があったのは、観音御生誕の型を神様は知らせる為であった。
大経綸

『神幽現 三界の御経綸』 (観音講座 第六講座より)

今度、愈(イヨイヨ)光明世界になるのは天照皇大神が出現になられる岩戸開きがあるのであります。昭和六年六月十五日、私が房州日本寺に天照皇大御神を御迎えに、大勢の信者さんを御供にして参詣に行ったのであります。此の時大神様が霊界へ御出現なられたのであります。
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御光話録 昭和二十三年八月十八日 (信仰の小学校、中学校、大学)

“来月「信仰雑話」を出版するが信仰のない人でも判る様に書いてある。在来の宗教は宗教一点張りで外の事は説かなかったが、私のは千手観音式でいろんなものに手を出すのです
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御教え集18号 昭和二十八年一月三日⑤(霊界→言霊→物質) 

凡て順序というものは最初は頭の中です。これは霊界に出来るのです。それでこれを、こうしろああしろという言霊に出て、それから本当に物質が現われる、という順序です。それで今は頭の中の霊界では設計が出来てます。それで四月に行って、今度は言霊の設計をやるのです。そこで言霊というものは非常に重要なものです。それは誰がやる事でもそうです
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御教え集18号 昭和二十八年一月三日④ ( 箱根美術館)

去年の夏頃から不思議に浮世絵のいい物が集まってくるのです。それまではそんなに考えなかったのですが、これは神様が浮世絵展覧会をやれという事と分りましたから、そういう計画を立てたのです。それで去年の京都の浮世絵展覧会の品物よりもずっと上の物です。これは今までに例がないでしょう。又不思議にすばらしい物がはいってくるのです。これは道具屋がみんな不思議に思ってます。
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御教え集18号 昭和二十八年一月三日③ (大芝居)

建設が進むに従って破壊も進んでいくというわけです。ここのところに実に微妙な神様の経綸があるのが分ります。それが分らないで見ると、何がなんだか見当がつきません。つまり芝居なら筋書ですが、それを救世教信者は分っていて見るから、つまり芝居の役者でなく見物人、お客様の方です。
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御教え集18号 昭和28年1月3日 ① (「二十八」の数字)

今年は二十八年ですが、「二十八」というのは数字から言っても大変いいのです。終戦になったのが昭和二十年ですが、この「二十」という数字は今までにも沢山ありましたが、特に良いという事は「昭和」という年号に対して、その文字に対しての二十というのが大変大きな意味になるのです。「昭」というのは日偏に召すという字ですが、この「召す」という事は「しろしめす」という意味になります。「しろしめす」という事は「統治する」という事です
御教え集18号

御教え集18号 昭和二十八年一月二日② (法難→散花結実) 

丁度覆い被さった黒雲が晴れるという様な気持がします。しかし今度は神様の方から言うとそれが必要だったのです。これは一昨二十五年に散花結実という事を言いましたが、あれで花が散ったわけです。ですから検察庁の役目は、つまり低気圧の役目をしたわけです。
社会情勢

世界夢物語 (栄光 百八十九号 昭和二十八年一月一日)

私は宗教家であり乍ら、軍事に関した事をかいてみようと思うのであるが、何しろ夢物語だからそのつもりで読んで貰いたい。勿論逆夢にはなりっこないが、どの程度迄正夢になるか、これは今後の実際に徴して分るであろうから、一応の参考として貰えば幸甚である
御教え集18号

御教え集18号 昭和二十八年一月二日 (昭和二十八年二月十五日)

富士山を一名昔から「八スの山」と言うのです。「八が統(ス)べる」というわけです。それで「八」は「五三」ですから伊都能売にもなります。そういう様な訳で、これは日本の将来のあり方を表わしているのです。(中略)そういう様でミロクが開けるという、それが二十八年からになります。それで丁度救世教の経綸も凡てそういう形になりつつあります
御教え集18号

御教え集18号 昭和二十八年一月一日 (昭和二十八年二月十五日)

昭和二十八年一月御教え 一月一日 元日は何時でも“今年は大いに意義のある年だ”とか、“発展する年だ”という様な事をよく言いますが、今私が言う“今年はよい年だ”という事は、御座成(オザナ)り的な事でなくて本当に今年は大きな意味があるのです。...
文明の創造

『文明の創造』総篇 救い主と贖罪主(文明の創造 昭和二十七年)

即ち九分九厘の悪とは現代医学であって、之も曩にかいた通り必要悪であるから、今迄はそれでよかったのである。然し其の結果として人間の最大貴重な生命を完全に握って了った。若し医学が誤ってゐるとすれば、生命の危険は言語に絶するといってもいいであらう。之程世界人類から固く信じられてゐる医学を是正するのであるから、容易な業でない事は言う迄もない。
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霊層界 (自観叢書三 昭和二十四年八月二十五日)

霊界の構成は曩に述べた如く、天国、中有、地獄の三階段が三分されて九段階となっており、一段は又二十に分れ、一段階二三ンが六十段となり、三六十八即ち総計百八十段となる。私は名づけて霊層界といふ。
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神霊と仏霊・人霊 (自観叢書三 昭和二十四年八月二十五日)

私は茲で日本に於ける神界仏界の、種々相をかいてみよう。先づ神霊は高級なる程巨大であって、人間と同じ御姿である。唯だ御位により相違はある。普通は衣冠束帯で、最高級の神は紫の上衣に紅色の下袴、冠は纓を垂らしてゐる。
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龍神界 (自観叢書三 昭和二十四年八月二十五日)

龍神界などといふと現代人は荒唐無稽の説としか思はれまいが、実は立派に実在してゐるのである。それに就て私の体験から先にかいてみる
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天狗界 (自観叢書三 昭和二十四年八月二十五日)

先づ天狗界とは、各地の山嶽地帯の霊界にあって、天狗なるものはそれぞれ山の守護としての役を掌ってゐる。天狗界にも上中下の階級があり、主宰神としては鞍馬山に鎮座まします猿田彦命である。
阿呆文学

「阿呆文学」 目下罪障消滅中 (光明世界二号 昭和十年三月四日)

どの宗教の信者でも、本当に惨(ムゴ)い体たらく、そこで阿呆も世の為と、出鱈目混りに笑はせて、お気の毒だが内々で、打明話をする程に、とっくり聞いて下されと、前置代りに言ふので御座る。
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地獄界の続き (自観叢書三 昭和二十四年八月二十五日)

これによってみると、霊界行も満更悪いものではないらしく、死ぬのも楽しみといふ事になるが、それには生きてゐる中に善根を積み天国行の資格を作っておかなければならないという訳である。
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生霊 (自観叢書三 昭和二十四年八月二十五日)

某大学生に霊の話をした処仲々信じない。「それなら僕に何か憑依霊があるか査べて呉れ。」といふので、早速霊査法に取掛った。
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夢と邪霊 (自観叢書三 昭和二十四年八月二十五日)

右両例とも邪神の妨害であったのは勿論である。前者は私から離反させんが為、後者は祭典に参拝不能にさせようとした為である。
文明の創造

『文明の創造』総篇  悪の発生と病 (文創 昭和二十七年)

前項の如く悪の九分九厘に対して、善の一厘が現はれ、絶対神力を揮って既成文化を是正すると共に、新文化を打ち樹てる。早くいえば掌を反えすのである。之が今後に於ける神の経綸の骨子であって、其破天荒的企図は想像に絶するといってよかろう。
文明の創造

『文明の創造』総篇  悪と守護霊(文明の創造  昭和二十七年)

前項の如く、現在迄必要であった悪が、不必要になったとしても、そう容易(たやす)く追放される訳にはゆかないが、それに就(つい)ての神の経綸は寔(まこと)に幽玄微妙なるものがある。之は追々説いてゆくが、茲(ここ)で前以て知らねばならない事は、抑々(そもそも)宇宙の構成である。
第三篇「霊界叢談」 

精神変質症 (自観叢書三 昭和二十四年八月二十五日)

症状からいっても精神病者とは受けとり難く、普通人と違はぬ思想も常識も備えてゐるが、唯だ意志通りの言葉や行動が出来ないだけである。此原因は多分前生時代、深刻に苦しめた相手が再生の彼に対し、その復讐をしてゐるのであらう
第三篇「霊界叢談」 

憑依霊の種々相 (自観叢書 昭和二十四年八月二十五日)

此男も霊媒として優秀なる資格者であった。此男は大酒呑みで酔ふと精神喪失者同様、物の見境ひもなく、一文の金も持たずして近所の酒屋を一軒々々飲み廻るのであるが、その尻拭ひを親父がいつも、させられるといふ
大経綸

御講話 昭和10年5月1日 ※罪穢を除る機械ができれば、病気はみんな治る

病気の原因は一つですから、その病気の原因というのは罪穢であります。それで、その罪穢を除(と)る機械ができれば、病気はみんな治るのであります。治す方法は一つなのであります。その人の弱い所へ罪穢が溜まり病気になるのですから、その罪穢を除る薬なり、機械ができればよいのであります。それは、薬や機械では除れぬ
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グロ的憑依霊 (自観叢書三 昭和二十四年八月二十五日)

之は頗るグロで興味のある憑霊現象であった。確か昭和八年頃だったと思ふ。当時四十二歳の男、仙台の脳病院へ入院加療したが、更に効果がないので東京の慶応病院に診療に来たのであった。処が此男の症状といふのは頗る多種多様でグロ極まるものである。特に最も著しいのは普通人には見られない高熱で、体温計を挾(ハサ)むや忽ち体温計の最高である四十三度に昇るのである。
第三篇「霊界叢談」 

狐霊と老婆 (自叢三 昭和二十四年八月二十五日)

此意味によって現世に於ける職業、例えば遊女は狐、芸妓は猫といふやうに、相応の運命に墜ちるのである。従而人間はどうしても人間として愧(ハズカ)しからぬ行為をなすべきである。
信仰

御講話 昭和10年4月11日

なにが人間は結構であるかというと、まずなによりかより第一番に健康であることは、いつもお話することであります。たとえ、いかなる結構な宗教や救いが出ようとも、人間を健康にする力がなかったら、決して結構な宗教でも救いでもない。
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化(バケ)人形 (自観叢書三 昭和二十四年八月二十五日)

以前私が扱った化人形といふ面白い話がある。或時私の友人が来ての話に、「化ける人形があって困ってゐるから解決して貰ひたい。」と言ふのである。私も好奇心に駈られ兎も角行く事にした
第三篇「霊界叢談」 

広吉の霊 (自観叢書三 昭和二十四年八月二十五日)

私は霊的研究と治病の実験を併せ行はふとした最初の頃である。それは十九歳になる肺患三期の娘を浄霊した。二回の浄霊で些か効果が見え第三回目の時であった。私が浄霊にかかると側に見てゐた娘の母親であるM夫人(五十歳位)が突然起上って