
メシヤについて、出版部客員松井誠勲氏が該博なる蘊蓄の下に次号に詳細解説される事は喜びに堪えないのである、無論読者もメシヤの起源を知りたいと渇望しているに違いないからである、勿論私と雖も右によって初めて知った位であるが、そのようなアヤフヤな考えで救世(メシヤ)教の名を冠したのは軽率と思うかも知れないが、それについて述べてみよう。
いつも言う通り、私は神の啓示によって具体的に表わすのであるから救世(メシヤ)教の名もそうであって、神様から救世教の名の啓示があったのである、しかし救世教では漢字であるから東洋に限られる、どうしても全人類を救うにはそれに相応する意味を表わさなければならない、それが為、救世(メシヤ)のフリ仮名を付けたのである。
以上の意味であるから、メシヤとは救世の意味だけであって、今後の活動に適合する為のもので他に意味はないので其事をここに断わっておくのである、人によってはキリスト教に関係のある名称だから、時局便乗主義からと思うかも知れないが、そういう点は些かもないのである。
メシヤ(救世主)について (救世51号 昭和25年2月25日発行)一部抜粋
松井 誠勳
メシヤとはアルメニア語であります。ギリシャ語ではキリストと*譯し、わが国では救世主と譯します。今では専ら神の使命をうけてこの世に降臨し、人を救い世に平和をもたらす者の意味に使われていますが、この語はもともと「主より膏を注がれる者」の意味で、イスラエルの古い習慣に、王の即位式には頭に膏を注いだ事があり、それから来た名称であります。その後いろいろの意味に使用され旧約聖書の中には三十度も使われていますが、ある時は王の意味であり、ある時は司祭、ある時は族長を意味し、甚だしきはシルス大王を指している場合さえあります、しかし従来は神の使者として審判を行うため、この世に現れる者の意に用いられ、世界の終末観と関連して考えられるのが普通でありました。その希望と期待が、一般的であったことは、福音書のいたる所に散見することができます。即ちファリザイ人も一般人も司祭も皆いつかはかかるメシヤが來臨(らいりん)すると信じて疑わず、常に一様に語り合っていたことが窺われます。それはヨハネの言葉の聴聞者たちがヨハネに発した第一問が「汝はメシヤなりや否や」であったことによっても知る事が出来るのであります。
かくメシヤを渇望するイスラエル人は聖書の文章について、メシヤの何人なるかを探し求め、いろいろと逞しうした結果、彼らの脳裏にえがいたメシヤは、武将の面影でもあり王様の姿であり、それぞれの創造に基づいて詩となり、文章となって廣く*人口に膾炙(ひとぐちにかいしゃ)されるようになったものと思われます。律法の師傳註釈ダルダムは「なんと美しきよユダの家より出づる王なるメシヤ、彼は腰に帯して曠野を征き、敵に戦いを挑み、王達を滅ぼす」と言い、紀元前一世紀の頃の偽書「ソロモンの詩」には「メシヤは聖なる民を正義の座に集め祝せられたる十二族を掌らん、メシヤは民に不正を残さず、その傍らに悪者なからん、神はその民に聖なる心を強め、叡智の賜物富ましめ給うたればなり、この時生くる者は幸なる哉、彼らは歓喜に集う、イスラエルの十二族を見るべし」と言うがあり、また中にはイスラエル民族が異国民より絶えず迫害された恨みをメシヤによってはらさんとの希望を表現したもの「鉄兜を以って諸国民を粉砕し。」「素焼の壺の如くこれをこぼち、彼らの頭を打ち潰し」「廣大な国々に死骸の山を築き」「敵の胸に鋭い矢を突き立てる」=時篇第二、第二十、第四十五=等があります、しかし聖書の中には恥ずかしめられ苦しめらるる罪の贖主としてのメシヤの姿も現われており、更にその苦しみと死を世界の救いのために〇える救い主としてメシヤの姿も描かれてあります、殊に注目すべきはイザヤ書の章句にはそこに既にカルクリオ山に於けるキリストの姿がそのまま誌るされてあることであります。「彼は世に軽んぜられ棄てられ給いぬ、苦しむ人、常に悩む人、その面前に立てば人類をそむく、我等蔑みて一顧を興(あた)えず」人彼(あのひと)悪しざまに扱い、彼従順に苦しみに服し給う、彼は口を空き給わず、屠場に引かるる羊、毛を刈り取る人前に黙す子羊の如し….彼は迫害と裁判に曝され給えり」=イザヤ書五十三章
メシヤについてはかように「勝利者たる武将または王者の姿」と「犠牲の子羊の姿」とが旧約聖書の中に描き出されてあり、幾度か重なる迫害に悩み憤るユダヤ人等が、前者のメシヤを期待したことは是非無き事と言わねばなるまい、しかしながらそれがためメシヤの真の姿が曲解されて世に紹介されたことは是に遺憾であります。
かくして彼等イスラエル=ユダヤの人々は征服者たるメシヤを待望しながらその希望の中にあらゆる不遇と闘い、度重なる迫害に耐えて暮してきたのであります。さればヨルダン河畔に現われたヨハネを見た彼らはヨハネの口から神の言葉をきかむとして八方より集まり来ったばかりでなく国の権威者、大司祭等も調査の為現地に公式の委員を派遣してヨハネに質問したのであります。そしてその質問の第一は前に述べた如く「汝はメシヤなりや」であったのであります。一これに対してヨハネの答えは「否、我はメシヤにあらず」であり「我は予言者イザヤの言いし如く汝らの道を平らにせよと野に呼ばわる者の聲なり」であった=ヨハネ傳第一章=またヨハネは「されど我に優りて力ある者将に来らんとす、我はその〇の紐を解くにも足らず…彼の手に〇ありて、その〇場を潔め〇は消えざる火にて焼き給うべし」=ルカ傳第三章=とも言われた、ヨハネは更に (後略)
*譯し….訳し
*人口に膾炙...人々の話題に上ってもてはやされ、広く知れ渡る。
〇….漢字がよみとれなかった文字
ーーーすみません。大変申し訳ありませんが、わからない文字、判然としない文字が多く、勝手ではございますが以下省略させていただきました。以降の文も大変大事な内容と思われます。(汗)
概略でも新聞紙面を拡大して、お読みいただくことはできます。
また、キチンと文面を読み取れる方がいらっしゃいましたら、ご連絡いただけましたら幸いです。
八尾屋