四十手・五十手、夜泣きと刃物、四棟の住家、魚釣り『教えの光』(2.天文、地文、易学、人事等の問題) 昭和二十六年五月二十日

四十手、五十手 

       【お伺】四十手、五十手とは。

    【御垂示】四十手、五十手、六十手というが、年をとるに従って毒素が手に集まり固まる。それが痛むのである。これは浄霊によれば簡単に治る。

  夜泣きと刃物 

      【お伺】世間よく夜泣きをする子供の寝床に刃物を置くと夜泣きをしなくなるようですが、この場合刃物は霊的に意味がございましょうか。

    【御垂示】霊によっては刃物を恐がるのがある。夜泣きするのは、親に怨みをもった霊が親を苦しめるためである。であるから死人の上など庖丁や匕首(あいくち)をのせる。刃物が怖いという霊はたくさんある。それは刃物で殺された霊などが特に怖がる。それがみんな刃物で解決するとは限らぬ。

四棟の住家は不運か 

       【お伺】神社仏閣は四棟ですが、人の住居は四棟の家は不運ですが、どういうわけですか。

    【御垂示】そんなことはない、ただ四は死に通ずるから四という数を嫌うのだろう。気にする要はない。

  魚釣り 

       【お伺】趣味として魚釣りをすることは差し支えないことでしょうか。

    【御垂示】これは趣味として熱中しない程度なれば差し支えない。ただあまり凝ると魚の祟(たた)りがある。私は若いころ釣りに凝って指が腐ったようになった経験がある。これはみみずと魚の怨みで、特にみみずは龍神の一種であるから祟るのである。しかしあまりに凝ると、魚釣りの殺生の罪よりも、怠けの罪のほうが大きい事になるから注意すべきである。人間は常に五体を有用に使うよう心掛くべきで、特に頭を使うほうがよい。頭は使う程発達し、長生きをするから、頭を使う学者、僧侶など初めそうである。あまり使わぬ野蛮人などは割合に早死にするにみても知らるるのである。

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