御教え *法難/浄霊の仕方(御教え集17号12月26日)

十二月二十六日

 新聞でも見られたとおり、裁判は一応片づきましたから、その原因を言おうと思ってます。

 ところでこれについて神様がなぜ御守護されなかったかという事になりますが、実際は神様は、これを無罪にするのは、一ひねりでわけはありません。しかしわざと、そういうように考えられないほどの重い罪にするという事はちょっと変に思いますが、実はそういう重い罪にしたのは神様がやっているのです。これはそういう神様のお知らせが沢山あります。それは何かと言うと、いま救世教に対する世の中の反感は非常なものです。その反感の一番大きいのは無神論者です。ジャーナリスト、インテリとかです。「あの畜生、終戦後の混乱に便乗してああいった巧妙な新しいものをデッチあげて、信者を瞞だましてうんと金を巻き上げて贅沢をして、大変な収入だ、実に癪しゃくに障さわる」という反感が霊的に大変なものです。その霊が非常に邪魔するのです。それからまた各宗教です。新宗教もそうですが、「オレの方の信者がいつの間にか救世教の信者になってしまった。昨今できたインチキみたいな宗教がハバって、癪に障る」と。それからお医者さんでも「あそこはいいお得意だった、いい病家だったがいつの間にか来なくなった。聞いてみると救世教に行ったという。それで救世教では医者もいけないし薬もいけないと言う」と。そういう恨みの想念が大変なのです。それも古い宗教ではそんな事はありませんが、急激に発展するとそういう様な反感というものは必ず起るのです。恨み、しっと、憎み、という想念が始終かかって来るのです。これはたくさんの霊です。そこでそれをできるだけ減らさなければならない。というのはそれが邪魔をするのです。そこで神様はそれを調節するため、緩和するための手段をつくらなければならない。そこで今度のような判決にすると、そういう人達が溜飲りゅういんを下げます。しかし私もああいう判決で癪にも障るし人間的には憤慨しますが、そういう心が起る一面、心の裏にはそういった憎しみを持った人達が「ザマー見やがれ、いい気持ちだ」と思う人というのは沢山あるから、それを考えると私もいい気持ちです。これは決して負け惜しみでも何でもありません。それで向こうの恨みがそれだけ減りますから、結局そういう判決はありがたいとも言えるのです。ですから私はずいぶん不愉快だろうと思うでしょうが、実はあの判決でいい気持ちなのです。ここが信仰の境地とでも言いましょう。よく勝利者の悲哀という事を言いますが、物事に勝つとそれに対して負けた方の恨みとか苦しみというものが来るから、そこでかえって気持ちが悪いのです。それでこういう時になると、かえって同情する気持ちは起るが憎しみというものは取れますから、そこでこっちもいい気持ちになるわけです。そういうように考えてくると、そういうように罪をつくったりいろいろな事をした事は、実は神様がいろいろな霊的の妨害をできるだけ少なくするためにやったという事ですから、これが無罪になったとするとそういう連中が「無罪になって、それみた事かという面つらをしているだろう、癪に障る」というのでこっちの発展がかえって阻害されるくらいです。ですからこういう判決は一時的に悪い影響が来ますが、それは一時的であって、発展の上においては決してマイナスではなくプラスになります。そういう事でも神様がやっているという事がよく分かります。神様は絶対力ですから、無罪にするというのは何でもありません。だからこの裁判というのは妙にまずく行くのです。ほかの事は何でもよく行くのですが、この裁判に限って、どうもおかしいようにもっていくのです。それはそのはずです。神様がやっているので神様はこっちを上手に犯罪者にするようにされたわけで、結局ありがたいと思うのが本当です。

一つだけ論文を読ませます。

御論文〔地球は暖くなった〕

浄霊は指をピッタリと付けて

浄霊について、指を開くと間があきますから、指をピッタリと付けてやった方が効果が強いのです。それで指を付けると力がはいりやすいから、そこに気を付けて指を付けて力がはいらないようにしてやると非常に効果が強いのです。それを注意しておきます。

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