霊界は、天国・八衢(やちまた)・地獄の三段階になっている事は既説の通りであるが、これが人間の運命と密接な関係を有(も)っている事を説いてみよう。
そうして右の三段階を細別すれば一段は六十になり、合計百八十段階の層になっている。私はこれを名付けて霊層界という。
人間が現世に生れるという事は神の命によるのである。生命の命は命令の命と同一であるのもその意味であろう。誰しも思う事は、人間は何が故に生れたかという事である。この事を真に把握せざる限り正しい行動も安心立命( あんしんりゅうめい)も得られないのみか、空虚な酔生夢死的人生に畢(おわ)る惧(おそ)れがある。しからば神の意図とは何ぞやといえば、この地上をして理想世界、言い換えれば地上天国を建設する事である、とはいえどそれは恐らく、その規模において、その構想において、壮麗雄大なる言語に絶するものがあろう事は想像に難(かた)からない。何となれば無限に進歩しつつある文化は、極(きわま)る処がないからである。この意味において現在までの世界歴史は、その基礎的工作に過ぎなかったのである。そうして神は一人一人それぞれの使命を与え、特長を持たせ、生き更り死に替り、理想目的に向って前進せしめつつあるのである。したがって善も悪も、戦争も平和も、破壊も創造も進化に必要なる一過程に過ぎない事を知るのである。
そうして今はいかなる時かは詳細説いたごとく、私の唱える夜昼転換期のそれであり、全世界は今正に新時代に向って一大飛躍せんとしつつあり、今人類は野蛮の衣をカナグリ捨て、高度の文化人たる域に達せんとしつつある事である。ここにはじめて戦争も病気も貧乏も終焉を告げるのである。勿論本医術の出現はその為の先駆であり、核心的のものである。
以上のごとく、神の意図によって絶えず人間に命令を下しつつある。それはいかなる手段によるかというに、霊層界においては人間一人一人の種が存在する。この種を私は名づけて幽魂という。この幽魂にまず命が下るのである。しかるに幽魂は人間霊体の中府にある現魂に向い霊線を通じて神の命を伝達するのである。しかしながら一般人間が神の命を直感し得る事は至難であって、ある程度浄化されたる霊体の保有者にして可能である。それは大多数の人間は多量の曇りに遮られ、感知できないばかりか、その曇りを利用する邪神によっても妨害されるからである。
右の証左としていかなる人間といえども、自己の企図する事が意のごとくならない事や、予想もしない方向に運命が転ずる事があろう。また人間は常に何物かに支配されいる感や、どうにもならぬ運命の経路を辿る事があるであろう。そうして霊層界にある幽魂はそれ自体の階級によって、使命も運命も差別がある。即ち上位の階級に在る幽魂ほど、神命も大きく高級でしかも幸運であり、下位に降る程漸次右と反対で薄幸となり、最下段は最も不幸者となるのである。何となれば上位は天国に相応し、病なく争なく物資饒(ゆた)かに歓喜の世界であるに反し、下位に降る程それと反対に病気、争闘、貧窮に充ちたる苦悩の世界であるからである。この意味において人間が真の幸福者たらんとするには、まず霊層界における幽魂をして向上せしめなくてはならない。しからばその方法いかんというに、それは霊体を浄める一事である。本来霊体は曇りの多少によって上昇し下降する。即ち浄魂は軽きをもって上昇し、曇魂は重きをもって下降する。故に浄魂者たらんとするには、善行を重ね、善徳を積まねばならない。それは相当の時間と犠牲を払はねばならないが、ここに一挙にして、霊層界の数十段階を飛躍し得る方法がある。即ち本医術の講習を受ける事である。
本医術受講者が異口同音に言う事は、精神的にはまず人生観が一変する。知恵証覚が豊かになって、事物の真相をよく把握し得らる。前途に光明を認め、不安は解消する。楽観的になり、初めて真の安心感を得た。また物質的には不思議に財物が集り、不自由がなくなる。不幸が減り幸福の面が多くなり、実に不思議である。全く救われた。有難いという感謝の声は日々無数に私の耳や眼に入るのである。