霊的病気の種々相 (天国の福音 昭和二十二年二月五日)

霊的原因による疾患は実に千差万別である。その中珍しいものを一つ二つ書いてみよう。

四十歳位の男子、一日に一回か二日に一回位、突如として全身が硬直する。その状あたかも石地蔵の如く全身如何なる部分も全然不動、目も口も開けっ放しで、そのまま数十分も続くのである。勿論死霊の憑依で、死の刹那の表われたものである。これらは砒素(ひそ)剤の如きものの服毒自殺であろう。次は十五、六歳の男子数年前突如発熱、痙攣を起すと共に顔面に大変化が起った。それは一見六、七十歳位の老人の顔で、しかも苦悶の形相物凄く、正視に堪えぬものがある。故に患者は外出は固(もと)より人に顔を合わすさえ避けている。これらも老人の死の刹那でよほど苦悶したものであろう。次は十歳位の小児、これは先天的で、その状態は両手両足を縛られた如き交叉状をなし苦悶に堪えぬ相貌である。これらも手足を縛られたまま変死したものであろう。

ここで生霊について一言する。死霊の外に生霊の憑依がある。生霊はそのほとんどは男女関係が原因であって、善悪の二種がある。善の方からいえば純なる恋愛、たとえば男が女を愛する場合、その生霊が女に憑依すると、女は一種の快感を催すものであるが、それは女もその男を愛しているからで、もし愛していない場合、即ち一方的愛の生霊は反対に不快を感ずるものである。そこに相愛と片愛との異いさがある。そうして相愛の場合は霊線によって愛の想念が交流する為に、その思慕の情禁じ難く、別離している事の苦悩に堪えないもので、終(つい)に前後を忘れて、情死や馳落ちするまでに到るのである。しかるにこの際注意や意見等をするがそれは逆効果となり、反って取返しのつかぬ不幸な事態が生ずる危険があるから放任しておくに限る。何となれば霊線の交流は一時的のもので決して続くものではないからで、恋愛は熱病というが全くそうである。又片愛の場合、失恋者の生霊が憑依するから、失恋者の想念通りの感じがし、淋しく味気なく憂鬱に堪えないのである。

次に悪の場合、本妻と妾との霊的葛藤などが最も多い。たとえば一方が一方を呪う場合と両方で呪い合う場合とがあり、全く修羅道である。そうして呪われる結果としてブラブラ病の如きものに罹るが、医診では勿論判る筈がない。これが重症に進み、生命を奪われる事さえある。しかるにかかる霊が霊界に往くや復讐せんとして生残った相手を斃(たお)すに至る事がある。勿論霊的で見えざる事とはいいながら、一旦夫婦の道を外し、妾などを蓄える結果、女の生命まで犠牲にするに到ってはその罪軽からず、大いに慎しむべきである。

そうして死霊の憑依する場合は悪寒を感じ、生霊の場合は反対に温熱を感ずるものである。

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