御教え*メシヤ会館絵図(御教え集9号 昭和27年4月16日①)

4月16日

【御教え】今、出掛けにメシヤ会館の絵図が大体出来たんですが、この間のとは少し違ったんです。いくらか柱を細く――こまかくね。この間のは柱が二尺五寸の幅だったですが、どうも――段々考えてみると太過ぎるので、一尺六寸にして、数が五、六本増えたんです。柱が人造石で、その間が白壁です。柱が一尺六寸で、白壁が三尺六寸――倍ですね。高さは、前面が四十尺ですから、約七間ですね。入口は大体三間位の幅で、両方に大理石の丸い柱――直径二尺位のを立てて、入口の欄間になっている所を、金――と言っても、本当の金ではない。金メッキなんですが、何か模様で、且つ入口のガラスの戸の縁等まで全部金メッキにして、入口は絢爛たるものにしょうと思う。

《お伺い》右っ側の茶色になっている所は何でございますか。

《御垂示》今、土がむき出しになっている所――それですよ。それからそこに家が建つんです。建つけれども、それには画いてないんです。家は、色々な――事務所とか、そういうものが建つんです。これはもう、全然新しいんです。まだどこにもないんですよ。

で、椅子が2,200人ばかり入るんですね。その廻りが九尺の廊下で取巻くから、約3,000人位入りますね。中の椅子から、これからは御神前、舞台兼用ですね――それが難しいんですよ。どうも、舞台らしくしては下品になりますしね。また余り神床一方では――そこで歌唄ったり、舞踊おどったり出来ないから、そこを調和させるのが難しいですね。

 次は景観台ですね。展望台の丸いガラスの家を、今画かせてますがね。もうじき出来ますけれども、これは余程変わったものでね。何から何まで全部私がやらなければならないのでね。実に、専門家なんてのは頭が古くて間抜けでしょうがないですよ。昨日も箱根に行ってケースの見本を見ましたが全然問題にならないですよ。それで東京で一番なんです。高島屋の専属なんですがね。良いものが出来ると思ったら、まるっきり駄目です。明治時代の物の様ですね。第一回の博覧会の様です。先が古過ぎるのか、こっちが新し過ぎるのかね。それで、金をかけて、安っぽい物が出来ちゃうんですよ。

 私がやるのは、一番金がかからない。これだって、金がかからない様にね。つまり金をかけないで、効果的ですね。何でも同じですよ。宣伝するにも、何にも言わなくて急所をやる。これですね。やたらに――ペラペラ喋っても効果がない。

 会館の中の椅子から、天井から壁から、すべて私の考え通りにやるんです。美術館も大分出来ましたからね。先にやった所がどうもいけないんですね。それは一々言わなければならないのです。言った通りやれば良いんですが、商売人は言った通りやると、自分の沽券こけんに関わると言うので変えるんですよ。それを直すんですね。言った通りやらないで、変えるんですね。「素人はこういうところは分からない。どうも素人流でいけない」と言うのですね。一つの教育ですね。私の言った通りやるという教育を呑み込ませるまでに相当かかるんです。庭だってそうですからね。去年の夏、石を流れの縁に入れてやるというのでも、私がこうしろと言っても、どうしてもやらないんです。簡単な事ですけれどもね。こうやれと言っても、どうしても私の言った通りやらないんですよ。三度ともそうです。親方の弟ですがね。今度私の言う通りやらなかったら、あの人は退いてもらわなければならないと言ったので、親方が私の言った通りやった。ですから、本人はしばらく隠退の様になってましたがね。そうまでして自分の思う通りやろうと言うんですね。不思議ですよ。この頃は来て一生懸命やってますがね。そんな訳で、こっちの言う通り、どうしてもやらないですね。簡単な事ですがね。二、三日かかって駄目になった。それが半日でちゃんと出来ちゃうですね。だから一番難しいのは、私の言う通りにやらせると言うのが、一番難しいんです。一番厄介なのは、木の枝を切る事ですね。これは言う通りにやらないと、育つ迄に何年もかかるんですからね。

 これが一番困る。ですから、木を切るだけは私が見て、一々切らせるんですよ。それで、どうやら良いんですが、随分厄介なものですよ。

(御論文「神人合一」)【註  栄光一五五号】

御論文「原爆恐るるに足らず」【註  栄光一五五号】

原爆恐るるに足らず(栄光153号 昭和27年4月23日)
私がいつも唱える処の霊体の真理である。言う迄もなく万有一切は霊と体との二原素から形成されているのが実相であるが、それについて特に知っておくべき重要事は、霊と物質との力の強弱である。それは体即ち物質の力よりも霊の力の方が、何倍或いは何百倍勝っているか判らない事実である。しかるに之が何故今日迄分らなかったかというと、近代文明の基本が唯物科学から出発している以上、不可視の霊の存在は到底信じ得られなかったからである。

お陰話 *頭上にピカドン御浄霊にて大活躍原爆恐るるに足らず(栄光153号 昭和27年4月23日)
御浄霊を受けた人は助かり今でも元気でおります。原爆病に熱と下痢はつきものですが、御浄霊を受けた人は皆助かっております。薬をのんだ人は死んだ人が多かったようです。当時何の怪我もなく助かって喜び合った近所の人も、十日、二十日と経つ中に死んだ人も沢山あります。当時講習会の度毎にすすめに歩いて、受けた人も相当にありましたが、皆お蔭を戴いておられました。が再三すすめても遂に縁のなかった方々はほとんど助かっていないのを見て、誠に御守護の偉大さに今更ながら当時を思い出して感慨無量です。

こういうのがみんなで七つ来たんですが、これが一番良く書いてありますから、これだけ読んだ訳ですがね。ですから、これはハワイとアメリカにも送ってやろうと思っている。

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