脳波、現在の哲学『教えの光』(1.宗教、科学、哲学、芸術の問題 )昭和二十六年五月二十日

脳波とは

 【お伺】昭和二十四年六月九日の『中部日本新聞』に次の如き記事が掲載されましたが、文中「脳波」とありますのはいかなるものでしょうか。

  「脳波で交通安全」

   なぜかということはまだ判らないが、人間の脳から脳波(一種の電波)が外部に発散する。一秒間に二つ波うつのである。この波をしらべるとなにか考えごとをしている時には波の高さが小さくなるし、眼をつぶってボンヤリしていると波は大きい。しかも眠気をもようしかけるとさらに波は大きくなるのだ。そこで脳電流を特殊な電鈴に流れるようにしておけば、眼ざめているときには電鈴がならないが、眠くなるとなりだす。脳波が大きく波うつからだ。これだけの現象ではあるが、こんな電鈴を電車、バス、飛行機などの運転手の頭に取り付けて、眠気による交通事故を防止する方法が、すでにアメリカで実行に移されたと言われる。

      【御垂示】人間の霊は外部へ発散したり集中したりする。仕事する時は集中し、眠る時は発散する。であるから生霊(いきりょう)の憑(つ)くときなど非常に眠いものである。神道の行事に鎮魂(ちんこん)という言葉があるが、これは、霊がほうぼうへ放射し分散されたのを(気の散ったのを)本元(ほんもと)へ集めるのである。霊が還ってくると気が鎮まり、いい気持になるもので、そのうち頭の霊が一番よけい出る。以上のごとく霊が放射する。それが脳波であって特に頭だけ出るのではない。全身から放射するのだが頭からが一番よけいに出る。

     

現在の哲学とは 

       【お伺】現在の哲学が唯物主観的立場にある以上、迷学というべきではないでしょうか。

    【御垂示】哲学は本来唯物主観的であって、その一歩上が宗教である。つまり科学と宗教の中間が哲学で、どちらかといえば唯物の方に近いものである。だから哲学には疑問が多く結論がない。それで哲学へ入ると迷いが深くなる。要するに哲学は疑問を並べたものである。故に哲学は一種の参考としてみるのはよいが、それによって万事解決しょうとしても駄目である。そうでないと懐疑に陥り易い。

タイトルとURLをコピーしました