この病気の原因は勿論薬毒であるが、その固結箇所が後頭部及び股間鼠蹊部が主で、その他全身的にある毒血が、浄化によって溶け、肛門部から出ようとする。それが脱肛、痔核、出血、痛み、痒み等の症状である。只痔瘻は一寸違う。これは薬毒の強烈なのが肛門部に溜結し、排泄されようとして小形の腫物になり非常に痛むものである。これを放っておけば少しずつ破れた粘膜から滲出、或いは小穴が穿いて排泄され治るのであるが、これに無知である医学は手術をするが、これが大変な誤りである。というのは手術で固結を除くや、必ずその隣に又出来る。又切るというように、遂には蜂の巣のようになり、堪えられぬ程の激痛が続いて苦しむものである。
ここで注意したい事は、、痔瘻に限らず如何なる腫物でも、自然にしておけば腫れるだけ腫れて、末期になると、その部が赤くブヨブヨになって小さな穴が穿き、血膿が出て治るものであるから、如何に大きな腫物でも必ず治るから心配はないのである。処が手術は勿論だが、針の頭位の穴でも穿けたが最後、毒素の集中は停ってしまい隣接部へ腫れる。又いじるとその隣へというように、膿のあるだけは幾つでも腫れるので、頸部淋巴腺の場合など呼吸困難となり、生命迄も失う事があるから、大いに注意すべきである。
十年間の痔疾を癒され病弱の子も健康になる
大分県 K.S (34)
私が世界救世教の御話を耳に致しましたのは、昭和二十四年の末頃で御座いました。病貧争をなくする宗教、そんな有難い宗教があるのでしたら、一度御参り致して御話を御伺い致したいと思いましたが、何分忙しい商人の事ゆえにその機会もなく過しておりました。しかしふと思い付いた事は私の郷里の家の事で、いつ帰ってみても誰か必ず病気をしていて、せっかくの帰郷も楽しみどころではなく不愉快な思いをして帰宅致しておりました。お話によりますと、その救世教の先生は御願いすればどんな所にでも行って下さるとの事、一度お願いして実家の人達を御指導して戴こうと思い付き、現在H出張所の責任者であるT様にお願い致しました。それは昭和二十五年の一月末頃だったと思います。するとT様は「二月十一日に私宅に光明如来様の御祭りがありますから、一度御参りして先生からよくお話を御伺いし、それからお願いしなさい」と言われましたので早速お祭に御参りさせて戴き、U先生より色々の有難いお話又御浄霊も見せて戴き「実家の御救いはまずあなたがさして戴いては」とのお話に早速入信させて戴きました。その後は実家に帰って御浄霊をさせて戴きました。現在では誰一人として床につく程の病気をする者もなく、一家喜びに浸り今では母も入信さして戴いています。又生まれてより病気をしない月はない程に、一カ月に一度は必ず四十度の発熱があり、そら薬だ、そら医者だ、ペニシリンだ、と言って随分医者へ通い、又来て貰いまして、段々と月日がたつにつれ、長い時は二十日も掛り心配を重ねておりました私の長男が、入信後五日目の事急に又四十度の高熱が出ました。御守様を拝受して日の浅い私でも良くなるであろうかと心配しましたが、御参りしました時のU先生よりのお話を思い出しまして一生懸命に御浄霊をさして戴きました。一時間経た頃には長男もすやすやと眠り始めまして、翌日には食欲も出て熱も大分下り、約四日間で全快致しました。第二回目の浄化は三日掛りまして第三回目の浄化の時などは一日で恢復させて戴きました。今では長男も近所の子供より元気が良くなりました。
又二十六年春の大祭には本部に御参拝さして戴き、御明主様に御面会させて頂きましたが、その日から十年間苦しんでおりました痔病の御浄化を頂きまして、血便三日間の大変有難い浄化を頂き、現在では大元気で働かして頂いております。私は現在金物商を致しておりますが、御客様方で便器を買う人には一人残らずこの道のお話をさせて頂き、毎晩十二時か一時頃までは御用をさせて頂いております。
又本部、中教会、教会、出張所へ御参りするたびに奇蹟的な御守護を頂き、店の方は御客様の数が多くなり、毎日楽しい日々を送っております。入信後一カ年間数々と有難い御守護を戴いておりますが、これにてペンを止めさせて頂きます。広大無辺な大光明如来様に感謝を捧げ……
御明主様、誠に有難う御座います。厚く御礼申し上げます。なお御指導下さいました諸先生方有難う御座います。
(昭和二十六年七月三十日)
類のない脱肛から救わる
岐阜県 T.S (28)
明主様、日々御守護を戴きまして有難う御座います。
昭和二十一年父母入信以来、度重なる御守護を戴き、昭和二十五年二月私と妻の二人並びに弟妹全部入信させて戴き、三月には大光明如来様を御迎えし、完全なる無医薬の家庭となり、幸福なる日々を送らせて頂いております。
昭和二十五年八月二十六日、長男A(一歳)が腹痛を訴え、便通はとまり、腹は大きくむくみ、床の中をもだえ苦しむ有様となり、早速会長先生の御浄霊を御願い致しました。
“生死の境”との御言葉に驚き、四、五日間先生の御宅に御世話になり、一生懸命御守護を御願いすると共に先生の御熱心なる御浄霊の御蔭にて間もなく水便が下り始め、腹痛もとまり、母乳も受付けるようになり、一命を救って戴きました。その後も四、五日に一回ずつ位浄化が続きました。
二十六年一月、私が熱海瑞雲郷地上天国建設奉仕隊員として一カ月の御奉仕を終り帰って参りましてより、だんだん元気になり、七月まで元気で過して参りましたが、八月に百日咳の浄化を戴き、激しく咳込む中に、長さ三寸、太さ大人の親指二本大の真赤なものが肛門より出て会長先生並びに信徒の方々も驚くばかりでした。先生方の御浄霊を一カ月程続けてもなお激しく浄化するので、先生方も心配され、先生の特別の御計いにて父が明主様に特別御面会を戴き、有難くも「治りますから心配いりません」との御言葉を頂き、大いなる心の杖を頂き、不思議にそれ以来肛門の周囲より粘液がどんどん出て来ました。その悪臭はとても鼻持出来ませんでした。これが腸内の薬毒であり、その臭である事がはっきり致しました。
W先生の御浄霊を頂いておりますと見るみる中に少しずつ小さくなり、その月のそれから三、四日経って完全に元に収まり、どんなにいきみましても絶対に肛門から出ないようになり、一同ホッとし、有難いやらうれしいやらで胸一ばいでした。不順であった便通も順調になり一同再度の喜びに浸っております。
直ちに子供用の御守様を御授け戴きました。翌二十五日には熱海の本部へ家内共々御礼参りさせて頂きました。
明主様の偉大なる御力でなくて何で御座いましょう。限りなき明主様の御慈悲の賜物と深く感謝致しております。
この上は御恩の万分の一にも報ゆべく御手伝をさせて頂きますと共に、地上天国建設の御神意に添い奉らんと日夜努力致しております。
(昭和二十六年十一月二十五日)
痔病の大出血より救わる
鹿児島県 F.K (28)
謹みて明主様に御報告申し上げます。私は昭和二十一年頃より痔病を患い、二十四年の夏頃まではたいした事も御座いませんでしたので別に気にもせず働いておりました。ただ当時は大便の済んだ後少々痛む程度で御座いました。ところが二十四年の秋より脱肛と共に出血がともない、寒さが加わるに従いまして多量となり、日一日と苦痛は増す許りで御座いました。最初は両親にも話す勇気がなく、何とかしてと新薬に頼り、一人で解決しようと苦心致しましたけれども、余りの出血で便所にて両親も知り、「お前は痔が悪いのではないか、こんなに出血がしては大変だ。お前はあまり酒が多すぎるからこんなに悪くなったんだ、酒を絶対にやめなくてはいけない」との事、私は従来より酒好きでしたので余り多量に飲み過ぎた関係かも知れないと思い、その後出来るだけ酒より遠去かるように心掛けました。けれども良くなる様な結果も見出し得ず、反って悪くなる一方で、大便後一時間ないし二時間位は体を横にして、じっと休んで痛みが治ってからでないと仕事にも取りかかる事は出来ないようになってしまいました。時々無理をして仕事した場合など二、三日続いて痛むようになり、勿論出血もひどく、このままで悪化していったならばどうせ自分の体は長くもてる体ではないだろうと思い、希望も失い一日一日地獄へ突き落されて行くようでした。なお又人々の話によりますれば肺結核になるというような話に、恐怖は益々募る許りで御座いました。いよいよ私も最後の手段として専門医の手術を受けようと決心致しました。しかしながら、当時の吾家の家計は相当苦しく、手術を行うも早速という訳にもいきませず、時期を待って入院致す覚悟を致しておりました。ところが私のごとき罪深き者にも大慈大悲の光明如来様の救いの御手が差し伸ばされて参りました。昨年の四月中旬、救世教を信仰しておられるI先生、S先生という方が当地にお見えになり「こうして手を翳す事によっていかなる病気でも治りますよ」とのお話。あまりうますぎるお話でしたので、ただ今考えて見ますとはなはだ失礼なお話ですが、最初は警戒致し、御浄霊を御受けする気にもなりませんでしたが、あまり熱心にお奨めになりますので、もし万一治ったらという気持になり、好奇心にかられて御浄霊をお受け致すようになりました。二、三回御浄霊を受ける内にとても臭気を帯びた粘液が下りました。その臭いがちょうど四、五カ月前肛門より押し込んだ新薬の臭いと少しも変りませんでした。この不思議さに先生方の御話になる薬毒の浄化の意味が多少分って参りました。その後熱心に御浄霊を受けるようになり、六月八日御懇切なる支部長K先生の御教修により御守様拝受の光栄に浴し、初めて知る薬毒の恐しさと浄化の有難さを知りました。その後M支部の月例祭に参列さして戴くと共に、御浄霊を続けて参りました結果、出血はなお多量となりましたが、浄化の有難さを知り、別にそう心配も無く、昨年の暮まで一進一退でありましたが、十二月二十日過より大浄化を戴き、激烈なる痛みを感じ出血もひどくなり、三日三晩は一睡も出来ませず、魚の腐れたごとき臭いのする粘液が多量に下り、I先生の懸命なる御浄霊にて僅か十日間ですっかり出血も脱肛も良くなり、痛みも痒みも無くなり、そのときの嬉しさは筆や言葉に表すことは出来ません。そして昭和二十七年の新春を天国に住む思いでお迎え出来ました事は、明主様の広大無辺なる御慈悲の賜物と深く深く感謝致しております。この上は御恩の万分の一にも酬ゆべく、力の限りを尽し、地上天国の建設に御協力さして戴きます。明主様有難う御座いました。
(昭和二十七年三月一日)