霊界の地位/徳を積む/人を見て法を説け...応身(御垂示録16号昭和27年12月1日④)

人を幸せにする事が明主様の御仕事の手伝いをするという事になる

《お伺い》病気は浄化作用だという事は良く分らせて戴いている人はありますが、他の事になりますと悪い事があったという観念が抜けない人がある様でございます。

《御垂示》それも一切が浄化作用なのですが、ちょっとのみ込みにくいのです。心配事も浄化作用です。だから悪い事や心配事があるという事も、やっぱり仕方がないので、その浄化によって境遇が良くなるのです。

《お伺い》貧の御浄化という場合に、曇がある為に抜けられないという状態でございますが、御用を励まさせて戴きますと、その為に……。

《御垂示》それは霊界の地位によるのです。貧乏しているのは、貧乏をする地位にいるのです。ここの層は貧乏の人の霊界です。そこにいるという事は、それだけのものがあるからです。そうして上に上って、ここは貧乏が大分楽な世界になるのです。ここ(更に上層)に行くと、もう豊な人の世界です。そういう様なもので霊界の地位の問題です。だからどうしても仕様がないのです。それで地位を上らなければならないのです。地位を上げるには浄まらなければならないのです。その為には自分が苦しむとか、人を助けるその手柄その働きによって早く上にあがって行くという事です。だからこの辺に行けば物質に恵まれ、良い事の世界なのです。又ここまでには時期が行ってないから、この辺(一寸下層)までは行けるのです。結局霊的状態、霊的地位が上るという事が一番です。

《お伺い》よく明主様が頭が悪いという事をおっしゃいますが。

《御垂示》それもそうです。丁度山と思えば良い。ここよりもここ(少し上)に行けば良く見えます。頭が悪いという事は、ここ(下層)に居れば一寸しか見えないからです。ここ(最上部)に行けば何でも見えるから、頭が良いというわけです。

《お伺い》徳を積めば良いという事で、どうする事が一番徳を積む事になるかという事をよく聞かれますが、その一番の事は明主様の御仕事の御手助けになる事をさせて戴くという事が一番良いという事でございますから。

《御垂示》それは間接な言い方ですが、直接には人を仕合わせにする事です。要するに徳を積む事です。それが明主様の御仕事の手伝いをするという事になるのです。

人を見て法を説け...応身

《お伺い》もう一つは、人間の目で見ました処では、ああいう人、こういう人という事がございますが、一番はっきりしている事は、一万円と二万円は誰にでも分かります。それから期間で、その連続が一番御蔭を戴くというわけでございます。

《御垂示》そうです。はっきり分かるのです。だから要するに理屈は簡単なものです。ややこしい事はありません。むしろ簡単なために分からない場合がよくあるのです。こうして(御浄霊)病気が治るという事と同じです。医者が大騒ぎをして治らない、こうして治るものか、と。反って簡単すぎる為に分からない事が多いのです。それは今迄ややこしい面倒臭い世界に住んでいたからで、丁度薄暗い所に住んでいたから見えないが、明るいとすぐ見えるのです。それが霊的であって物質的でないから、すぐに分からない。従っていろいろと分りにくいわけです。それが一つの仕事というわけです。だからその人によって、話で分からせるのの上手下手と言うか、急所ですが、さっきも言った通り急所を見るのです。この人にはこういう事を言えば分かる、しかし又人によって違うのです。この人にうまく言った事を他の人に言っても分からないのです。人を見て法を説けという事です。それは別に考えなくても自然になるものです。その人の心が素直になって、要するに邪念がなくなると、自然にその人の急所に行く様になるのです。それがそうならないということは、その人に我があったり邪念があって、自分が喋ろうということになるから、それでスーッといかないのです。この教えは応身というのですから、先方に応ずる様にすると、丁度先方に触れる様な話になってしまうのです。これは中々易しくて難かしいのです。それが一つの修行です。そこに行く様に段々やる事です。そうすると急所にいくから、先方でなるほどと心が動くというわけです。だから頭が良いとも言えるし、霊位が非常に高くなるとそうなるのです。無闇に喋っても割合に効果がないのがありますが、鉄砲打の名人みたいなもので、一発であたるのと、散弾などをバラバラ射って、やっと一つあたるというのと同じです。

《お伺い》やはり英知と濁智でございます。

《御垂示》そうです。そういった味わいは面白いものです。あんまり喋ってはいけないし、喋らなくてもいけないし、時と場合によって千変万化自由無碍というわけです。だから一つの学問みたいなものです。ただこの方の学問は世の中の学問とは違うわけです。

こっちは高級なのです。大学以上です。だからそういう風になれば、どんな学者や大学の先生でもちゃんと先方で頭を下げます。私は高等小学だけみたいなものですが、先方は大学の先生でも頭を下げて来ます。これはその一つの見本です。

《お伺い》先日泰さんという作家の人が、明主様に御目にかかりました後で私の処に来まして一時間半くらい話しましたが、今日は来て良かったと非常に喜んでおりました。その場合にもどんな人と会いましても、相手が感心する様な事を話させて戴け、一歩上の事を言わして戴けます事は、実に有難い事でございます。

《御垂示》それはそうです。世界が違います。

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