
私が書く光明如来の御神体は、単なる文字であると思う人もあるかもしれないが、実は礼拝をする際観音様がお現われになるのである。処が、話だけでは中々信じられ難いものであるから、時々奇蹟によって現実を御見せになる。
下記の質問は、それを如実に表わした好い例であるから 特にこの欄へ記くのである。
地上天国13号 妙智之光
【問】入信させて頂きましてより丸五年になりますが、二年前より「光明」の御軸に毎朝観音様の御姿が拝せられます。それは朝の祝詞の終り頃瞑目しておりますと、先ず燦然たる光輪が現われ、次に観音様の御像が、恰も光輪の逆光線を受けて浮彫の如く神々しく現じられます。此場合光輪の中心に、お顔の部分が拝せ られます。次にお姿の右方より、左上に向って半円を描きつつ、七彩も鮮かに大きな虹がほのぼのと立昇ります。そして約十五、六秒そのままの光景が続き、次で光輪お姿、虹という順序に、次第にぼんやりと消えてゆきます。かねがね霊感度の相違により御像や金色の御光を拝される方々があるやにお伺いしますが、お姿と虹には如何なる関係が御座いましょうか。因に毎朝拝される虹と、其後偶々本物の虹を目撃致しましたが、その配色の順序等全く同一である事を発見し、異常な驚愕に打たれました。尚お姿は最初半年位の間は、全身の立像(斜左向)で御座 いましたが、その後半年位は斜右向の七分身像になり、最近一年位は巖頭の座像 (斜左向の全身像)にお変りになっております。又最初の全身像の場合は、両方のお手で巻物の如き物をお持になり、次の七分身像の時は左手に蓮華を右手に玉を持たれ、只今の巖頭像の時は頭上に外国のキングに見るやうな王冠の如き冠を頂いておられ、左手に蓮華、右手に巻物をお持ちになっておられます。以上の如 くお像は今日迄三回の御変化がありましたが光輪と虹及びその御出現の次第には変りは御座いません。
【答】之は私の書いた「光明」のお軸は単なる文字だけではない。観音様がおいでになる事をお知らせ下すった意味もある。之を多勢の人が知ると、御神体に対する考えがちがうからである。 虹は、火と水の強い場合、虹になるのであるが、観音様のお働きは火と水であるから、虹が見えるのは、自然現象の虹と同じ理由である。最初に光輪が見えお姿が見え、虹がみえるという順序も面白い。 蓮華を持っておられるのは聖観音で、仏法の御働きを表わし、玉は如意宝珠の御働きで如意輪観音である。 巻物は昔でいう六韜三略の巻で、実は経綸を書かれてある。王冠を頂いておられるのは、観音様が人間として御表われになった時、王様の御位であったからである。 以上は、今迄の変り方を示されたものであるが、今後まだまだいくらも変られる。