奉仕者型と利用者型(未発表 昭和23年執筆)

 本教に接近する人に二つの種類がある。一つは利用型、今一つは奉仕型である。前者はもちろん未信者であって、接近する目的は近頃出来たメシヤ観音教は、馬鹿に景気が好い。新聞雑誌や人の噂によると大分デカイ収入があるらしい。何とかして教主に近づいて巧く利用し儲けたいと言う一種の野心を抱いて来るのである。ところがおもしろい事には彼等の話を聞いているうちに、その嘘偽うそいつわりで出来た企みが、余りにもはっきりと判るのである。しかしその場で暴露するのは可愛そうだから、馬鹿になって聞いてやると、彼等はシテやったりとほくそえみ段々本音を表わす。それはこっちの飛付きそうなうまい話を持かけるので、こっちは不得要領的で巧く逃げてしまう。しかし彼等は案外鈍感で中々諦めようとしない。まだ脈があると思いあの手この手で喰下ってくるが、遂にあきらめてしまう。しかも東京から熱海くんだりまで再三通ってついに虻蜂あぶはち取らずとはまことに気の毒ではあるが、先方の動機が神様を利用しようと言うはなはだ不純である以上、因果応報でまた止むを得ないのである。

 右に引換え、後者は無論信者であるが、何とかして神様のお役に立たせて戴き度いと言う、誠と熱で奉仕するのであるから、実に今の世の中では信じられない程の真剣さで、実に涙ぐましい程であって前者との余りの違いさにただ只驚くのみである。全く玉と瓦と比較してもまだ足りないくらいである。

 右は在りのままの両面を書いたのであるが、大多数の社会人は右のドッチ付かずの中間くらいであろう。ところが霊界が昼間になるに従って、中ブラ党では許されない事になり、どっちかに決定されなければならない運命が来よう。それが善悪の立別けであり、最後の審判とも言えよう。

 これを端的に言えば天国へ行くか地獄へ行くかである。もちろん地獄へ行きたい人はあるまい事は判り切った話である。しかしいくら助かるとしても、切羽せっぱ詰ってからではおもしろくない。早い程有利なのは当然である。とすれば、助かる方へ行きたい人は一日も早く本教へお入りなさいと、お奨めする次第である。

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