昨年の御降誕祭に聖地に参拝させていただいた帰りの電車の中で、一緒にいった友人から聞かせてもらったお話です。
今は亡きある婦人の話です。彼女はこの5、6年来、旅先などで出会った人には、太陽に向かって手を合わせ”浄霊”すれば誰でもできるからと伝えていました。
3年くらい前の話です。近所のバザーで知り合った人々とお茶会をしている時、”浄霊”の話が出ていつものように彼女は伝えたそうです。その時は皆静かに聞いていたそうです。
後日その中の一人の方が顔面神経麻痺に成って、彼女に聞いていた”浄霊”のことを思い出し、太陽の黒点に向かって祈り、”自己浄霊”をしたそうです。
ナント!!
その結果‼ 1、2回の”浄霊”で完治したとのことなのです。
話しを教えてくれた友人も、親戚で同じ病気になった人に浄霊を取り次いだことがあるけど、中々だったのにといっていました。
そして、この方のご主人が顔面神経麻痺が治った事を大変喜こばれて、ご夫婦で1週間の九州旅行に連れて行って下さり、帰ってすぐ彼女が報告に来られたとのことでした。
70代女性3人での参拝でしたが、友人が口を揃えて、上記の事例を今出すべき事例だというのです。
もちろん私も、昨年からHPにご協力いただいていた皆さんとグループラインで、お光なしの浄霊が話題になっていたので、丁度時節にあった事例と思い新年早々アップさせていただきました。
以下参考資料
明主様と読売新聞社科学部次長 為郷恒淳氏との御対談より
為郷氏 : そう致しますとお光をなさるという事は、誰でもいいという事ではないのですか。
明主様 : やる人は誰でもいいのです。熊公でも八公でも、人間であればいいのです。
為郷氏 : 例えば私でもこうやればいいのでしょうか。
明主様 そうです。博士の見離したものでも治ります。
為郷氏 : しかし私が霊界というものを信じなければいけないのではないでしょうか。
明主様 : そんな事はありません。ですからそこに価値があるのです。自力というのは少しもないのです。自分が一生懸命になると言う事は自力が加わる事です。ですから人間の力は不必要です。いらないのです。六つか七つかの子供が親をこうやって(浄霊)治るのですから素晴しいもので
為郷氏 : お光は向うに行ってまた返って来るのでしょうか。
明主様 :そんな事はありません。透ったきりです。私のお腹に光の玉があってそれから光が出るのですから無限なのです。
為郷氏 : その玉というのは明主様だけがお持ちになって居られるのですか。
明主様 : そうです。
為郷氏 : そう致しますと仮に明主様が100年の後に霊界にお入りになりますとないことになりますが。
明主様 : しかし霊界から出しますから同じ事です。かえってよく出ます。体があると邪魔になりますから。
為郷氏 : それで教団の方も御安心なわけですね。
明主様 : それからその時分になると病気もずっと減って来ます。病人が減ってしまうからほとんど必要ないくらいになるでしょう。病気の原因というのは薬ですから、体から薬を抜けば病気は起らないのです。薬を出す作用が病気です。これで(御浄霊で)やってもすっかり取り切るという事はできませんが、大体取るには二、三十年かかります。普通では何十年かかるかわかりません。ですからこうやる(浄霊)のは薬を取る方法です。それを知らないで、今皆薬を服んでますが危い話です。そこで薬によって病人を作っているのですが、一面、薬という事も矢張り必要があって神様が作ってあるのです。これは今度の本『文明の創造』にみんな書きますからそれを読んで下さい。唯一遍の話では中々分かりません。
健富和教会 会報5号から一部引用
昭和29年4月19日、明主様(メシヤ様)は浄化のため、お文字をお書きいただけなくなりました。その後役員会で当時理事長であった木原義彦先生はお文字を印刷して、御神前でお願いし、御守として下付しようと発言され了解されました。
しばらくして明主様(メシヤ様)から
「御守りはどうしているか」とのお言葉があり、
側近の阿部執事が「木原さんがこのように申しましたので、このようにさせていただいております」というふうに申し上げたところ、
「ああ、それでよかった。それでいいんだ。」
「本当はお守りはなくていいんだけどな。入会者の氏名、年齢、職業を私に報告するだけで良い」とのお言葉があったのです。
信仰読本「祈りの栞」に寄せてより抜粋(メシヤ教発行)
浄霊はお守りをかけていても、かけていなくてもできるということですね。
見えない世界の事ですから、肝心なことは宇宙をお作りになられた創造主神様に心をあわせるという事のようです。
主神様は一神にして多神...宇宙も大自然も太陽も岡田茂吉師も分霊が宿っています。
(大変申し訳ありません🙇♀️ 神様についてはもっと勉強し直してお伝えさせていただきます。汗)
八尾屋


