[メシヤ講座]いよいよの時、誠だけでは役割を果たすことができない。叡智をいただけるように学ぶ。21015年6月⑧(目からウロコより)

二大宗教と二大文化

代表先生

先月まで仏教の学びをずっと積み上げさせていただいて、今月からキリスト教に入っていきます。メシヤ様は最初にですね

『キリスト教は、イエス・キリスト生誕の時から在世中は固より、十字架に懸けられる迄の凡ての事は、微に入り細に渉ってかきつくされてゐるので、今改めてかく必要はないから、私としての今迄何人もかかなかった事柄に就いてのみかく』
というふうに書かれておりますので、これから学ぶことは、今までキリスト教について書かれたことにはない、メシヤ様が独自に書くものである、ということを心得て勉強に入っていきたいと思います。

そして、このページ最後の行に

『私が常にいふ如く、神は何千年に渉って、天国的文化を形成する目的の下に経と緯の経綸をされて来たのであるが、其経の経綸の代表的宗教としては仏教であり、緯の代表的宗教としてはキリスト教であった。そこで仏教に就ては既に解説して来たから、今キリスト教に移るが、緯の経綸こそ物質文化の進歩発展の基本であって、即ち科学である。今日驚くべき文化の発展は、全くキリスト教以来の世界的経綸である事は言う迄もないが』
というふうに書かれておりますので、ここで『キリスト教以来の世界的経綸』ということと、それから経緯の経綸をメシヤ様は、経の経綸は仏教というのが代表されているのだ、と。緯のキリスト教というのが代表してあるという・・、そういうところから考えていきますと、物質文明が発展していくと、我々は一方で何に襲われていくかというとですね、現代においては、どっぷりと浸かっている謂わば経済至上主義であります。

経済至上主義というのはどういう方向に持っていこうとするかというと、欲望を膨らませて、その欲望を満たせようという方向へ動いていきます。その動いていく時に、欲望が満たされない時には、我々の心の中に、“満たされない”という想いと、“なんで自分だけが・・”という気持ちが起きてくるので、そういう時に、仏教の機能として言われている「鎮めのエートス」というのが働いてきます。それが働いてくるから、“いや、よそさまはあれだけのものを満たしているけれども、自分の現状ではこういうところだ”というふうに諦める気持ちに導くわけです。仏教というのは「鎮めのエートス」が根幹ですので、その心を鎮めていく方向に働いていくわけです。

これが経と緯の働きで、私達をですね、欲望だけに走らせない方向へ神様が導いて下さっているというのが、この働きとしてはよく見ておかないといけないと思うのですね。

真に導くために「学ぶ」ということは?

代表先生
そして、今ですね、文化がずっと発展してきた上において、メシヤ様は最終的にこの「祈りの栞に寄せて」のですね、「まとめ」のところにメシヤ様が仰って下さっていることをまとめて書いております。

『いよいよの時、初めて諸々、浄まった者それぞれに因縁通りに諸々の御用を申しつける。神格をいただける者もいる。その人によって御用は変わる。』
というふうに仰っておられます。いよいよの時は、こういう形で神界から私達に使命が下ってくるわけなのですけれども、その使命が下ってくる時に、その使命が下ってきたことを自覚させてあげたりするのが、これからの我々の役割になっていきます。その役割を果たす時にはですね、メシヤ様は誠だけではその役割を果たすことができないので、叡智が必要だということで、今『文明の創造』を学んでいるわけです。

そこでですね、若いお子さんやお孫さんがですね、ある程度世の中の動きに疑問をもったり、あるいは更に探求心が生まれてきた時に、「どうして日本という国はインドで生まれた仏教がここまで定着したのだろうか?」という質問がきた時に、さっと答えられないといけないので、その答えるために、必要なためにですね、先月まで学んできた305ページの『霊界における昼夜の転換』から先月までの『仏教に於ける大乗小乗』をですね、これぐらいの厚さを頭の中に整理して記憶して置いていただきたいのです、そして、その記憶したことを絶えずですね、話す練習をしておかないと、いよいよの時に使命をいただくという人の、その使命を自覚させてあげるというところに導けませんので、本来の御神業を担うことができないということになってしまいます。ですから、「どうして日本はインドでできた宗教をこれだけしているの?」と聞かれたらどう答えたらいい?
2015年6月メシヤ講座大阪

2015年6月の御教えは『文明の創造』宗教篇「キリスト教」です。

霊界に於ける昼夜の転換

仏滅と五六七の世

仏教の起源

伊都能売神

観世音菩薩

弥勒三会

仏教に於ける大乗小乗

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