御論文

信仰雑話

神と仏 (信仰雑話 昭和二十四年一月二十五日)

或日釈尊は憂欝に堪えぬ御様子なので、弟子の一人が心配のあまり御質ねした。処が釈尊は『実は儂(ワシ)が之程苦心して説いた此仏法も、何れは滅する時が来る事が判 ったので失望したのである』と申された。
信仰雑話

東洋と西洋 (信仰雑話 昭和二十四年一月二十五日)

天地間凡ゆる物に、陰と陽のある事は誰知らぬ者もない。そうして私は此陰陽を経緯(タテヨコ)に別けてみるが、陽は経であり、陰は緯である。この経緯を左に分類してみよう
信仰雑話

家相方位 (信仰雑話 昭和二十四年一月二十五日)

人間には人相とい う事がある如く、家にも家相があるのは当然であろう。人間も人相の善し悪しによって運不運に大関係のある如く、家相も善い悪いによって運不運に影響するのである。 私の説く家相は易者等のいうのとは相当相違点があるが、之は私は誰からも教えられたものではない。自分の霊感と経験によるものである
お蔭話

癌(3)『アメリカを救う』昭和28年1月1日発行 ※直腸癌(お蔭話)

関節リューマチスも治り瀕死の直腸癌患者癒ゆ
信仰雑話

十干十二支の弁 (信仰雑話 昭和二十四年一月二十五日)

 十干十二支(ジッカンジュウニシ)に就て私はよく質かれるから、茲に大略説明する。
信仰雑話

地震に就て  (信仰雑話 昭和二十四年一月二十五日) 

泥海が固体となるという事は大自然の硬化作用に因るので、硬化するに従い地球の容積は減ずる。所謂地殻の収縮である。此の地殻の収縮が地震の原因であるから、古い時代程地殻の収縮が大きい為、地震も大きかったのである
信仰雑話

地球は呼吸する (信仰雑話 昭和二十四年一月二十五日)

凡ゆる生物は呼吸してゐるという事は誰も知ってゐるが、実は植物も鉱物も其の他万有は悉く呼吸してゐる。そうして地球も呼吸してゐると言ったら、一寸意外に思うかもしれないが、左に説く処によって成程と肯くであろう。
アメリカを救う

癌(2)『アメリカを救う』昭和28年1月1日発行 ※子宮ガン(お蔭話)

思い出すさえ恐しき子宮癌の妹、七歳を頭に四人の子供を残して主人は出征し、過ぎし事ではありながら込み上げて来る涙をどうする事も出来ません。
第四篇「奇跡物語」

入信後の神懸り (自観叢書四「奇跡物語」 昭和二十四年十月五日)

忘れもしない大正十五年即ち昭和元年十二月或夜十二時頃、未だ嘗て経験した事のない不思議な感じが心に起った。それは何ともいえない壮快感を催すと共に、何かしら喋舌らずには居られない気がする。止めようとしても止められない、口を突いて出てくる力はどうしようもない。
お蔭話

癌 『アメリカを救う』 昭和28年1月1日発行 ※胃癌(御蔭話)

次に注意したい事は、単に癌といっても真症と疑似との別がある。即ち右にかいたのは真症であるが、実は疑似の方がズッと多く、この点日本も米国も大差ないであろう。この疑似癌の原因は、無論悪性な薬毒の
アメリカを救う

米国に於ける病気状況  米国駐在信者 立松 文二(『アメリカを救う』 昭和28年1月1日発行)

再びイアゴウ・ゴールドストン博士の言葉を借りれば、「かかる現象は、現代医学の進歩に由因するのである。前にも述べたごとく、現代医学は死亡者数を大量に減らした代りに、罹病者数を大量に増やしたのである」そして、
アメリカを救う

浄霊医術 『アメリカを救う』 昭和28年1月1日発行

専門家も一般人もこれを見たら、現代医学に比べて余りに卓越せる治病力に到底信じられないであろう。しかも施術の方法は患者から数尺離れて、空間に手を翳すだけで、時間は十分乃至三十分位の短時間で終り、何等の器具も費用も要らないで、一人で一日数十人の患者を施術出来るのであるから、これこそ最も進歩せる理想的医術である。
アメリカを救う

 手術について (『アメリカを救う』昭和28年1月1日発行)

手術の進歩とは、医術の進歩ではなく寧ろ退歩であるからである。何となれば真の医術とは、病に冒されている臓器その物を除去するのではなく、臓器はその儘にしておいて、病だけを除去するのが本当であるからである。しかもその為肉を切り、出血をさせ、非常な苦痛を与えるのみか、内部的不具者にするのであるから
アメリカを救う

種痘と薬毒 『アメリカを救う』昭和28年1月1日発行

何よりも凡ゆる痛み、痒みの原因は悉く薬毒であるから、人間薬さえ体内へ入れなければ、一生涯病苦の味は知らなくて済むのである。要するに、この薬毒迷信を打破しない限り、人間から病気の苦痛は絶対解決されない事を断言するのである。
芸術

ピカソ展を観て (栄光 百三十五号 昭和二十六年十二月十九日)

そこでありの儘をかいてみれば、先づ第一之が絵画というものであろうかという疑問である。一体何処に美しさがあり、何処に良さがあるのであろうか、之を室内に飾って、果して楽しめる人が一人でもあるであろうか、というように考えれば考える程分らなくなって了う。
対談

明主様と読売新聞社科学部次長 為郷恒淳氏との御対談 現代人の悩みは何 (栄光百七十九号 昭和二十七年十月二十二日)

宗教には余り興味がありませんよ。宗教家が斯んな事を言うのは可笑しいが、と言って科学でも仕様がないのです。特に現代の青年層などが学校で科学を習って社会に出ると結局科学では駄目だという事が分って、矢張り理屈通りに行きませんので、もっと深い大きな何かを欲しいと言う希望は必ず起るのです。では宗教をと言った処でどうも今迄の宗教と言うものは、あまりに現実離れがして、行る気になれないという感じが……非常に多いと思います
アメリカを救う

「病気とは何ぞや」(『アメリカを救う』 昭和28年1月1日発行)

驚く勿れ病気というものは医療が作るのであって、特に薬剤がその中心をなしているという事実である。つまり病気を治し、病人を減らそうとするその方法が、反対に病気を治さないようにし、増やしているという到底信じられない程の迷妄である。
アメリカを救う

『アメリカを救う』「序論」 昭和二十八年一月一日 発行

キリスト教を以て立国の方針となし、一般国民は神を信じ、正義の行われている国としては、先ず米国を以て第一とせねばなるまい
信仰雑話

科学の力 (信仰雑話 昭和二十四年一月二十五日)

科学によって解決不可能の問題も相当あり、之こそ宗教が分担すべきものではなかろうか。是に於て私は惟(オモ)ふ。此両者の一致的進歩こそ真の意味に於ける人類文化の向上であろう事を。
信仰雑話

主義というもの (信仰雑話 昭和二十四年一月二十五日)

此の意味に於て人類社会永遠の平和と栄えを望むとすれば、今日迄の主義と異なる処の−−それは世界的、人類愛的のものでなくてはならないと思う。近来米国に於て唱道され始めた世界国家や、MRA運動等は右の如き意味のもので、吾等と同一目的たる地上天国出現を目標としての運動と見るのである。
信仰雑話

気候と天候 (信仰雑話 昭和二十四年一月二十五日)

気候の変化も、天候の好し悪しも、人間が作るという事である。というと甚だ不思議に聞えるかも知れないが、之から私の説く処を玩味されたいのである。
信仰雑話

運命と自由主義 (信仰雑話 昭和二十四年一月二十五日)

運命は限定された或枠内の中は自由自在で、その人の努力次第で、枠内の最上位に迄は到達なし得ると共に、その反対であれば下位に転落するのである。
信仰雑話

下座の行 (信仰雑話 昭和二十四年一月二十五日)

神様は慢心を非常に嫌うようである。謙譲の徳といゝ、下座の行という事は実に貴いもので、文化生活に於て殊にそうである。
信仰雑話

観音教団とは何乎 (信仰雑話 昭和二十四年一月二十五日)

以上説く如く世界の大転換期を乗越す資格とは、病貧争絶無の世界に生存なし得る人間であって文字通り病気のない健康人、貧苦から脱出した人間、和を好み争を嫌う人間である。此三大資格を有する人間であれば神は滅し給う必要がないばかりか、来るべき新世界の有能人として遇される訳で、神の意図と人間の理想との食違いはない事を私は信ずるのである。
地上天国

大乗たれ (地上天国 三十号 昭和二十六年十一月二十五日)

私はいつもいう通り、大乗の悪は小乗の善であり、小乗の悪は大乗の善であるという事であるが、此肝腎な点をどうも忘れ勝ちな信者があるが、之は大いに反省して貰わなければならないのである。判り易く言えば、何事も大局的見地から観察するのが大乗的観方である
お蔭話

霊界は在りや (栄光 百二十二号 昭和二十六年九月十九日)※体験談 ”昏睡して一度は霊界へ赴き新たな生命給わる”

本教信者なら、霊界の有無など問題ではない。有るに決っている位の事は、誰も知っているが、然し乍らヤハリ体験者の話を、一回でも余計聞いた方が、それだけ信じ方が深くなるのは勿論である。殊に信者未信者を問わず、疑いのある人には最もいい参考となると思う
栄光

悪人は病人なり(栄光 百三十一号 昭和二十六年十一月二十一日)

此標題を見たら、誰しも首を捻るであろう。何故なれば、悪人でも、健康そうに見える者も沢山あるからで、寧ろ悪人の方がそういう人間が多い位だ。然し之は表面から見るからで、内容即ち霊の方は立派な病人なのである。というのはいつもいう通り、悪人というものは悪霊が憑依して、本守護神を押込め、正守護神を蹴ッ飛ばして、早くいえば其人の霊の大部分を占領して了い、悪霊自身が主人公になり済まし勝手気儘に振舞うからである
信仰

之も慢心 (栄光 百二十一号 昭和二十六年九月十二日)

其證拠には今迄間違った信仰の為に、神様から裁かれ、人によっては命迄失った事実は沢山あり、古い信者は幾度も経験しているであろう、だから人の善悪を批判する前に、先ず自分の腹の中の善悪を見る事である。
信仰雑話

地上天国 (信仰雑話 昭和二十四年一月二十五日)

地上天国という言葉は、何たる美わしい響であろう。此言葉ほど光明と希望を与えるものはあるまい。然るに多くの者は、地上天国などという事は実現の可能性のない夢でしかないと想うであろうが、私は必ずその実現を確信、否実現に近づきつつある事を認識するのである。
信仰雑話

宗教と分派 (信仰雑話 昭和二十四年一月二十五日)

以上の如くであるから私は出来るだけ難解を避け、何人にも理解出来得るよう、新しい形式の下に教の道を説かんとするのである。
信仰雑話

大乗と小乗 (信仰雑話 昭和二十四年一月二十五日)

最後は経緯を結ぶ、即ち十字型とならなければならない。此意味に於て時所位に応じ経ともなり、緯ともなるというように、千変万化、応現自在の活動こそ真理であって、此十字型の活動が観音行の本義である。昔から観世音菩薩は男に非ず女に非ず、男であり女であるという事や、聖観音が・・
信仰雑話

禁欲 (信仰雑話 昭和二十四年一月二十五日)

 昔から立派な宗教家たらんとするには、禁欲生活をしなければならないように想われ、それが真理を悟り魂を磨く最良の方法とさえ思われてゐた。然し私は反対である。
信仰雑話

迷信邪教 (信仰雑話 昭和二十四年一月二十五日)

今日新聞雑誌ラヂオ等、盛んに迷信邪教に瞞(ダマ)されるなという事を警告してゐるが、成程迷信邪教は昔から断えず輩出してゐるばかりか、今日は最も甚しいようである。然し全部が全部迷信邪教とはいわれまい。その中の幾分かは今日立派な宗教として残ってゐるからである
信仰雑話

難行苦行 (信仰雑話 昭和二十四年一月二十五日)

日本に於ても未だ相当バラモン式苦行を行う行者や宗教家もあるようであるが、私はあまり賛成出来ないのである。というのはわが観音教の信徒が別段難行をせずとも覚者となり、正しき道を履(フ)み、天職使命を実践するようになり得るからである。
信仰雑話

怒る勿れ (信仰雑話 昭和二十四年一月二十五日)

私の修業は「借金の苦しみと怒りを我慢する」という此二つが重なるものであった』と答へるので、聞いた人は唖然とするのである。
信仰雑話

プラグマチズム (信仰雑話 昭和二十四年一月二十五日)

世間よく信仰を鼻の先へブラ下げてゐるような人がある。之を第三者から見る時一種の不快を感ずるものであるから、理想的にいえば、些かの宗教臭さもなく普通人と少しも変らない、唯だその言行が実に立派で、親切で、人に好感を与えるというようでなければならない。一口にいえばアク抜けのした信仰でありたい、泥臭い信仰ではいけない。
信仰雑話

奇蹟 (信仰雑話 昭和二十四年一月二十五日)

私は思う。悠久極りなき此地球上に於て、何時如何なる時代に、奇蹟の宗教が表われないと、誰か言い得るであろう。
信仰雑話

信仰の醍醐味 (信仰雑話 昭和二十四年一月二十五日)

私は常に、どうしても判断がつかぬ難問題に逢着した時、観音様に御任せするといふ事にして、後は時を待つのである。処が想ったよりも良い結果を得らるる事は幾多の体験によって明かである。殆んど心配したやうな結果になった事は一度も無いといっても可い。
信仰雑話

善を楽しむ (信仰雑話 昭和二十四年一月二十五日)

私は熟(ツク)づく世の中を観ると、多くの人間の楽しみとしてゐる処のものは善か悪かに分けてみると、情ない哉、どうも悪の楽しみの方がずっと多いようである。否楽しみは悪でなくてはならないように思ってゐる人も少なくないらしい。
信仰雑話

悪の追放 (信仰雑話 昭和二十四年一月二十五日)

総ゆる問題も、成功不成功も善悪の量に因る事で、此意味に於て為政者も、教育者も、知識人も、世を挙げて悪を減滅する事に専念すべきで、それ以外に良法のない事を私は断言して憚らないのである。