テーマ別御教え

第三篇「霊界叢談」 

天国と地獄 (自観叢書三 昭和二十四年八月二十五日)

天国は曩に述べた如く上位の三段階になっており、第一天国、第二天国、第三天国がそれである。第一天国は最高の神々が在しまし、世界経綸の為絶えず経綸され給ふのである
大経綸

御講話 昭和10(1935)年4月5日

天津金木(あまつかなぎ)は、天照大神様が押し込められしためお身代わりとしてお作りになり伝えられたるものにして、これが判れば、森羅万象すべてのことはみな判るのである
御講話など

御講話 昭和10(1935)年4月4日

仏が滅することもすべて知られたるために、「仏滅の世が来る」とお説きになり、この世は火宅だなどと申されたのであるが、その実は、仏の時代のことであって、一度観音様がお越しになれば、この世は救われることもご存じになられたから、時期の来るまでを仏教により少しでも善いほうへ導くようにと弘められたまでであった
第三篇「霊界叢談」 

死後の種々相 (自観叢書三 霊界叢談 昭和二十四年八月二十五日)

死にも種々あるが、脳溢血や卒中、心臓麻痺、変死等のため、突如として霊界人となる場合があるが、何も知らない世人は病気の苦痛を知らないからむしろ倖せであるなどというが、これらは非常な誤りで実はこの上ない不幸である。それは死の覚悟がないため霊界に往っても自分は死んだとは思わず相変らず生きていると想っている
信仰

御講話 昭和10(1935)年2月11日

観音会の仕事は、人間の心の岩戸を開ければ、世界中開かれるのであります。宇都売之命(うづめのみこと)が踊って神々様を笑わせますが、観音会には笑いが必要なのであります。なぜかと申しますと、議論や説教では岩戸は開けません。笑いはにこやかであります。笑い合うようでなければ心の岩戸は開けません。議論や小言では逆に岩戸がしまってしまいます。
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祖霊と死後の準備 (自観叢書三 昭和二十四年八月二十五日)

世間よく仏壇を設置するのは長男だけで、次男以下は必要はないとしてあるが、これは大きな誤りである。何となれば両親が生きているとして、長男だけが好遇し、次男以下は冷遇または寄付けさせないとしたら、大なる親不幸となるではないか。そういう場合霊界におられる両親は気づかせようとして種々の方法をとるのである。そのために病人が出来るという事もあるから注意すべきである。
第三篇「霊界叢談」 

霊界の存在(自観叢書第3篇『霊界叢談』昭和二十四年八月二十五日)

人間は何がためにこの世に生まれて来たものであろうか。この事をまず認識せねばならない。それは神は地上経綸の目的たる理想世界を建設せんがため人間を造り、それぞれの使命を与え、神の意図のままに活動させ給うのである。原始時代から今日のごとき絢爛(けんらん)たる文化時代に進展せしめたのも、現代のごとき人間智能の発達もそれがために外ならない。
第三篇「霊界叢談」 

自観叢書第3篇『霊界叢談』序文 昭和24年8月25日発行

そもそも今日学問も人智も進歩したというが、それは形而下の進歩であって、形而上の進歩は洵(まこと)に遅々たるものである。文化の進歩とは形而上も形而下も歩調を揃えて進みゆくところに真の価値があるのである。文化が素晴しい進歩を遂げつつあるに拘わらず、人間の幸福がそれに伴わないという事は、その主因たるや前述のごとく跛行的進歩であるからである。これを言い換えれば体的文化のみ進んで、霊的文化が遅れていたからである。
文明の創造

『文明の創造』 総篇 「序文」( 昭和二十七年)

此の著は歴史肇って以来未だ嘗てない大聖著であり、一言にしていえば新文明世界の設計書であり、天国の福音でもあり、二十世紀のバイブルといってもよかろう。即ち現在の文明は真の文明ではなく、新文明が生まれるまでの仮の文明であって、聖書にある世の終りとは、この仮定文明世界の終りを言ったものである。また今一つの“普く天国の福音を宜べ伝えらるべし、然る後末期到る”との予言も、この著の事であろう。
光明世界

話上手より聞上手 ( 光明世界二号 昭和十年三月四日)

次に相対する場合何処までも先方を上座にコチラは下座にゆかなければ駄目だ。処が往々先生と言はれるようになるとブリたがるもので此の点大いに注意すべきであ
東方の光

全人類待望の炬光 大聖観音力の顕現 併而仏説の開扉 (東方の光三号 昭和十年二月二十三日)

古来仏誕の国、印度に於いて面白い伝説がある。正法千年、像法千年、末法千年であって、今日は正像の二千年が過ぎ、已に末法に入って六百年を経過してゐる訳である。
光明世界

余が発見せる風邪の原因と其療法 (光明世界一号 昭和十年二月四日)

医学は、非常に進歩したといふ。然し乍、罹病率の王者を占め、また重病の先駆的危険を有する風邪(カゼ)の原因が未(イマ)だ、発見せられざると言ふに至っては、甚だ以て心細い限りと云はざるを得ない。然るに、余は数年来、独特の神霊療法を施行中、終に、此の風邪の本体を掴み得た
光明世界

千手観音の霊写真に就て (光明世界一号 昭和十年二月四日)

昭和九年十月十一日、午後二時頃、全く未知の人、東光男なる名刺を持って、面会を求められた。余は、その姓名を見るや、興味を覚へ、早速、面会に及び、其来意を訊ねたるに、同氏曰く、「自分は予(カネ)てより、霊感に依って「観音力所有者」を探しゐたり、而(シカ)も本年は、自宅より東方に方(アタ)って、見当るとの霊感ありて、
大経綸

世界救世(メシヤ)教教義 (救世五十三号 昭和二十五年三月十一日) 

抑々、世界の創造主たる主の大神(ヱホバ)は、此地上に天国を樹立すべく、太初より経綸を行はせ給いつつある事を吾等は信ずるのである
光明世界

金龍物語 (口絵霊写真の解説) (光明世界三号 昭和十年五月二十一日)

八大龍王の上に、一の主龍神が被在(アラ)れた。御本体は、伊都能売神龍と申上げ、実は、高貴なる御神霊が、黄金の龍体と化せられ、琵琶湖の湖底深く潜み給ひ、八大龍王と倶に、時を待たれ給ひたのである。
大経綸

東方の光  (栄光百八十二号  昭和二十七年十一月十二日) 

今から約二千年前位と思うが、ヨーロッパの一隅から東方の光という言葉が生れ、段々拡がって今日は世界中知らぬ者はない程であるが、今日迄此言葉の意味が本当に 分らなかった為、今尚謎のまゝになっているのであるが、私は之に就て真の意味を知らせようと思うのである。
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御教え集16号  昭和二十七年十一月六日   

この事は一番肝腎な事でして、之については色んな神秘があります。乾坤山日本寺ですが、日本寺に行った人は分りますが、山の上に石仏が沢山あります。達磨、観音、釈迦、阿彌陀、釈迦の十大弟子から羅漢と、それは仏教に関係した仏様は全部網羅してあります。それで入口には、お釈迦さんが行をした沙羅双樹(サラソウジユ)――樹下石上と言って、石の上で行をされた。それであそこは日本に於ける仏界の型
大光明世界の建設

大光明世界の建設 真のミロク (光明世界二号 昭和十年一月十一日)

仏の世は必ず滅する。そして仏滅後に弥勒が現はれる。それからが初めて五風十雨の正しい世、苦悩のない五六七の世が出現すると予言されて居るんであります。であるからお釈迦様も、ミロク出現迄は苦の娑婆であるから夫迄は多くを望むな、諦めてをれとお説きになられたのが仏法の根本であります。
観音講座

観音講座 第二講座 「宗教の根源と救世主の出現」(昭和十年七月十五日)

地上の御経綸については、初め国常立尊(くにとこたちのみこと)が善一方の世界を出現させるべく御経綸遊ばされたが、余り厳格なりし為諸々の神様が非常に煙たがり反対された為にこれは失敗し、いよいよ善悪二通りで進む事と今後なるのである。二千六百年以前神武天皇に御神勅ありて日本統治をなされた。
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『天国の福音書』 序文  救世(メシヤ)教とは何ぞや       (天国の福音書 昭和二十九年八月二十五日)

この文を書くに当って、前以て断っておきたい事は、我がメシヤ教は純然たる宗教ではないのである。と言っても、一部には宗教も含まれてはいるが、全部でない事は勿論である。では、何故メシヤ教の名を附けたかというと、何しろ有史以来夢想だもしなかった処の劃期的救いの業である以上、止むを得ずそう附けたまでであって、特殊の名前を附けるよりも、この方が分り易く親しみ易いからで、これを卒直に言って宗教以上の宗教、即ち超宗教であり、空前の救いの業と思えばいい

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個人と先祖など(基本その2)  昭和9年(?)論文

今、現在生きてゐる吾々個人は、突然と涌いた処の、何れにも係りのない存在ではなくて、実は何百人か何千人か判らない、多数祖先の綜合されて一つになった、其尖端に存在呼吸する一個の生物であって、それが、無窮に継承されてゆく中間生命の、時間的個性の存在である。大きく観れば、祖先と子孫とを繋ぐ連鎖の一個であり、小さく言へば、親と子を繋ぐ楔子(クサ ビ)でもある。
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霊と体など (基本)  昭和9年(?)論文

森羅万象如何なる物と雖も、霊と体とから成立ってゐるのである。生物でない、茲にある此火鉢でも、座蒲団でも霊があるのであって、もし、霊が分離すれば、その物は直ちに崩壊するのである。
信仰

大光明世界の建設 本然の道 (光明世界三号 昭和十年一月十一日)

観音様を信仰すれば、病貧争が無くなる斗(バカリ) でなしに、未(マ) だまだ重大な御蔭があるのであります。それは何かと云ふと人間としての「真の道」が判るのであります。あらゆる階級−−あらゆる職業、凡ての老若男女は、各々天から定められた「本然の道」があるのであります。
観音講座

観音講座 第一講座 「主神の御目的と天地経綸の真相」

これから説く事は世界の大秘密である。それをいよいよ暴露するのであります。今までは夜の世界であった。それ故諸々(もろもろ)の穢(きたな)い事が匿(かく)れて居ったのであるが、観音様がこの世に現れた為に霊的に日が出た事になり、いよいよ秘していたことが目に見えて来た
大光明世界の建設

大光明世界の建設(四) 観音様と阿弥陀様(光明世界四号 昭和十年一月十一日)

外の仏様は印度から出たんでありますが、観音様だけは日本から印度へ渡られたんであります。阿弥陀様とお釈迦様とは日本の仏様じゃないのであります。それで頭の毛が縮れてゐるんであります。観音様はちぢれてをりません。よく仏像等で古いのになると一寸見るとお釈迦様か観音様か区別の分らないのがあ
大経綸

六韜三略の巻 (栄光百十九号 昭和二十六年八月二十九日)

之は全く、仏滅後ミロクの世を御造りになる大経綸の、深い仕組をかかれたものに違いなく、其文字はミロクの神様の御神示をかかれたものであって之こそ私が現在実行しつつある、多種多様の神業のプログラムで、私が見真実になった時、已に明されたものである。
大経綸

御垂示録15号 昭和二十七年十一月一日 ※エルサレムの開かずの門

将来救世主が現われる、其時にそれを御迎えするという準備です。其為に四つの門を拵えたのです。それで三つの門丈は開けられるが、一つの門丈は“開かずの門”と言って開けられなかった。今でもありますが、それで一番不思議に思う事は“開かずの門”の上に十六の菊が附いている。
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私は宗教科学者だ (栄光255号 昭和29年4月7日)

近来学者間に於てヴィールスは無機物か有機物かの論議があるそうだが、実に滑稽である。それは無機物から有機物に変化せんとする中間粒子であるからで、どちらとも決められないのである。従って肝腎なのは無機物発生の原地であって、これが霊界である。故にこれが分れば最早顕微鏡の必要はなくなる訳である。
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神言祝詞(のりと) 昭和9(1934)年12月4日

メシヤ様のお作りになられた「神言祝詞」です。今はあまり「神言祝詞」をお唱えする機会は少なくなったと思いますが、メシヤ様が御昇天になられてからは、世界救世教では、大本教の神言を奏上していました。同じ「神言祝詞」でも、大本教の神言とメシヤ様がお作りなられた神言とでは随分意味合いが違うようです。
その他

はしがき 『天国の花』昭和6(1931)年7月10日発行

現代こそ黄金よりも、大政治家よりも、時速千哩(マイル)の飛行機よりもモツトモツトユウスフルなもの! それは笑ひだ! ほんとに笑ひだ。笑ひこそ万人健康の源泉! 若返りの秘訣だ。幸福は悧巧な面(つら)には見出だせない。何んとあまりにも悧巧な面の多すぎる時代相よ。窮屈な悧巧を粧ふ苦しみから逃れようではないか。で先づ吾等から愉快な馬鹿になつて明るく生きたいと思ふ。
その他

「南無諦め宗」(御発表)

当然のこと、当然のものが本当のものなんであります。  森羅万象一切に狂うものはない。草木の育つのも、太陽が出るのも、ちっとも狂わぬ。天地自然の運行は狂わぬ。悪魔は破壊しようとして、そのために人間を狂わそうとするのです。  神様はこれを救われるわけであります。
政治

再び汚職の母体 (栄光二百五十一号 昭和二十九年三月十日)

この題の下に前号に色々かいたが、まだ言い足りない点があるので、再びかいてみようと思うのである。というのは目下ジャーナリストがこの問題に対する批判として、各新聞に出ているのを見ると、尤もらしい理屈はかいているが、その実平平凡々、何等新味はなく

政治

汚職の母体 (栄光二百五十号 昭和二十九年三月三日)

汚職の急所とは何であるかというと有神思想であって、実は汚職問題と雖もその発生の母体は有神思想とは反対の無神思想であるから始末が悪いのである。言うまでもなく無神思想とは、ズルイ事をしても人の眼にさえ触れなければ済むとする怪しからん考え方であって、然も人智の進む程それが益々巧妙になると共に、出世の第一条件とさえ思われている今日である。
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御教え集30号 昭和二十九年一月三日

今まで浮世絵展覧会というと版画が主で、肉筆は殆んど出さなかったくらいですが、今度は肉筆専門ですから、これも初めての企画です。
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垂示録13号 昭和二十七年九月一日

大体犬は座敷に上るという事は嘘です。法に外れているのです。犬というのは、土間に居るのですから、土間に置く可きです。然も神様をお祀りしてある処に四足を入れるという事は大変な御無礼です。信者というものは気がゆるんでいるのです。神様に対する尊敬心を忘れているか、ゆる んでいるかしているのです。だから隙があるわけです。
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御教え集30号 昭和二十九年一月六日

以前はなかなか医学が喧(ヤカマ)しく、政府が言論の自由をなくしていたから、下手にやって酷い目に遭うといけないからと思って、はっきり書かないようにしていた。それがずっと続いて来たので、あまり徹底しなかったのですが、今度、今言ったような訳で書きました
神霊科学

浄霊は科学療法なり-1(栄光二百四十三号  昭和二十九年一月十三日)

抑々人間なるものは万物中最高級なる生物であって、実に神秘霊妙到底人智では計り得ないものがある。処が科学はそのような深い点は全然未知なるが為、人間を以て単なる一個の動物と看做し、物質である肉体のみを対象として来たのでから、病気を以て肉体の毀損と解し、薬剤や機械等の物質を以て修理しようとする甚だ単純な考え方であった。

大経綸

浄霊は科学療法なり-2 (栄光二百四十七号 昭和二十九年二月十日)

前(サキ)にかいた処の太陽の精なるものは、勿論太陽の霊であるのは言うまでもないが、では何故今日まで地球上それが現われなかったかというと、これには大なる神秘 的理由がある事であって、それを詳しく書いてみよう。
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御教え集32号 昭和二十九年三月十五日

兎に角日本人というものは美的には実に勝れたものです。私はよく仏像を見る場合に、支那の仏と日本の仏とは、こうも違うかと思うくらいです
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御教え集32号 昭和二十九年三月十五日

今のは学校の勉強時間のような話ですが、これが本当に分れば何でもないのです。逆の方の教育を受けたために非常に分り難くなっているわけです。つまり救世教というものは高度の科学を教えるわけです。だから宗教ではないと言う