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此事実を何とみる (自観叢書十 昭和二十五年四月二十日)

私は医学者でもなく、医学を学んだ事もないに拘はらず、病気に関する一切は神示によって根本的に知り得たので、前述の如く現代医学が如何に邪道に陥っているかが明かに判った以上、その是正こそ人類救済の第一義として私をして病無き世界を造るべき大使命を神から委任された事を深く思うのである。
2020.09.20
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おかげ話から何を掴んだか (自観叢書十 昭和二十五年四月二十日)

実地に当って深く研究を進めれば進める程、現代医学が如何に邪道に進みつつあるかを痛感するのである。随而之に目覚めない限り医学が如何に努力し研鑚を積めるとも、結果からみて何等の進歩もなく百年一日の如く堂々めぐりしてゐるに過ぎないのである。何よりも現在見るが如く病者の氾濫と健康状態の不良である。即ち一方の病気が減れば他の一方に新しい病気が発生するというような現実は常にみる処である。
2020.09.18
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栄養の喜劇 (自観叢書十 昭和二十五年四月二十日)

前述の如く未完成食物を喰ひ、完全栄養素に変化させるその活動こそ人間生活力であるという事を、機械製造工場へ例へてみよう。

薬毒 (自観叢書十 昭和二十五年四月二十日)

医学では副作用のある薬毒もあるにはあるが、薬毒は凡て消失するといふのであるが、之程の間違ひはない。それは薬毒発見までに医学は進歩してゐないからである。何となれば、人体の消化器能は天与の食物のみに限定されてをり、それ以外の異物は処理されないように出来てゐるからである。実に造化の妙は自然の二字に尽きる
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真の健康と擬健康 (自観叢署十 昭和二十五年四月二十日)

誤謬から出発した医学は、全然病気の真因も健康の要諦も未知であるから、病理の説明などは全然コジツケとしか思えない。即ち漢方医学に於ては、病気とは五臓六腑の不調和からといひ、西洋医学は「黴菌の侵犯である」とされてゐる。
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人間は健康の器 (自観叢書十 昭和二十五年四月二十日)

よく昔から人は病の器などと謂うが、之ほど間違った話はない、吾等はこれを訂正して人は健康の器なりというのである。前項に述べた如く元々人間は健康に造られたものであるからである。処が実は病なるものは人間に附物で、どうしても解決出来ないのが現実で、やむを得ず宿命として諦めて了ったのである
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健康の真理 (自観叢書十 昭和二十五年四月二十日)

健康を説くに当って第一に心得るべき事は、健康の真諦は自然順応であり、自然尊重である事である。それに就て先づ考ふべき事は、造物主即ち神が人間を造られた御目的は何であるかといふ事である。吾等の解釈によれば、それは真善美の完き世界を造る事である。といっても斯んな途方もない説は容易に受入れ難いであらう。
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医学の誤謬 (自観叢書十 昭和二十五年四月二十日)

現代医学の病気の解釈は、驚くべき程の過誤に陥ってゐる。何よりの證拠はこれ程医学が進歩したというに拘はらず、感冒の原因すら今以て判明しないというに於てをやである。此事から順次詳説してゆくが、元来病気なるものの原因は実は自然の生理作用で、此理は凡ゆるものに共通してゐる。
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序文  自観叢書第十篇 『神示の健康法』昭和二十五年四月二十日

近代文化が驚くべき進歩を遂げ、燦然たる光彩を放ちつつあるに拘はらず、ひとり人間不幸の最大原因である健康に関しては古代人と何等変りがないと言いたいが、実際はマイナスにさえなってゐる事実である。而もこれに対し何人も疑義を起さないばかりか、却って進歩せりとの誤謬に陥ってゐるのは実に大問題である。
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日本人と精神病 (自観叢書十 昭和二十五年四月二十日)

右の如く法規の力が前頭内に光ってゐるとすればそれを識ってゐる憑霊は、そこを占有することが出来ないが、一旦霊が稀薄になった場合邪霊は得たりかしこしと憑依する。稀薄といっても厚薄の差別があり、その差別通りに活動する。例えば、前頭部の霊の充実が十とすれば、憑霊する事は全然出来ない。九となれば一だけ憑依出来る
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