岡田茂吉 予防接種と結核 (自観叢書十 昭和二十五年四月二十日) | 岡田茂吉を学ぶ

予防接種と結核 (自観叢書十 昭和二十五年四月二十日)

 此論文は、現在政府が絶対的信念の下に行はれてゐる医学的方策を非難するといふ意味になるのでかきたくはないが、余りの迷蒙に看過する事が出来ないから書いたのであるから先入観念に捉はれる事なく一の学説として参考とされん事である、之を信ずると否とは観る人の自由であるからである。  

 今日伝染病と称するもの、例えば天然痘、麻疹、百日咳、ヂフテリヤ、チフスを初め、数多い種類があるが、それら防止手段として予防接種を行ふが、成程之によって一時的発病を喰止め得ても発病を絶対阻止する事は不可能である。

  吾等の持論である病気とは何人も必ず保有してゐる体内毒素の排除作用であるから、病気こそ体内を清浄化する天与の健康増進法であるに対し、医学はこれを逆に解釈し、その浄化活動を停止するを可とする。それが予防接種である。元来伝染病なるものは旺盛なる浄化作用であるから年少者に多いのである。何となれば発育盛りの小児は新陳代謝が旺盛であるから発育の障害物である毒素排泄の浄化活動が起りやすいのは当然で、実に天の恵といはなくてはならない。然るに何ぞや医学はこの結構な浄化活動を弱らせやうとする。それには薬剤其他の異物を体内に注入して衰弱させるのである。之によって弱体化した児童は御拵へ通り浄化作用即ち病気が起り得なくなるから医学は効を奏したと誤認し、今日の如き予防接種を旺んに行ふやうになったので、その誤謬たるや評すべき言葉はないのである。従って折角排除さるべき毒素をそのままに保存するばかりか、新しく薬毒を追加するので、毒素は愈よ増量するが、弱体化した児童は強力な浄化が起り得ない為、精々感冒位が頻繁に起るのである。処が之だけならいいとしても、実は之が恐るべき結核の原因となる事である。茲で一言いふが、感冒とは微弱な浄化ではあるが、兎も角喀痰、鼻汁、発汗等によって体内毒素は緩慢ながら排泄されるが、医学は逆に解釈し、停止手段を行ふその結果結核に転化する事は、結核の項目に説いた通りである。  

 以上の如くであるから、今日、盛んに行はれてゐる予防接種こそ全く結核の種蒔きといふ訳になるから、之に目覚めない限り結核は減る処か、益々蔓延するのである。  

 然るに、本教浄霊による時、その治癒の速かなる驚く程であると共に、殆んど生命に危険を及ぼす事は滅多にないのでその効果の的確迅速なる事は、例えていえば、赤痢は一回二、三十分の浄霊二、三回で全治するから、半日で完全に治癒する訳である。チフスにしても一日乃至三日間で全治する。疫痢猩紅熱等も同様である。ヂフテリヤは注射を受けないとすれば一、二回で全治する。百日咳は一、二週間とみればいい。之をみた人は恐らく信じられまいが、事実であるから致し方ない。此事実はおかげ話を見れば想像がつくであらう。故に浄霊が一般に行はれるやうになったら伝染病は何分の一に減少するであらう。 

  以上の如き劃期的神医学は病理も治療の方法も、既に完成してゐる事で之を知らない人達は迷信と断じ、一顧だも与えないのであるから、其人達こそ吾等から見れば恐るべき迷信に掛ってゐるといへよう。

 あゝ、右の啓蒙こそ実に難事である。何となれば非迷信を迷信と思ひ込んでゐる、その根強さであるからである。 

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