「運命は自由に作られる」というのを書いたのですが、これは良く知っておくと非常に楽になるのです。これは特に信者の人にも大いに必要ですから、今読ませます。
御論文〔運命は自由に作られる〕【註 地上天国四十一号】
よく、奥さんが信者になっていて、どうも親父は分からないと言って煩悶しますが、親父が分からないと言って煩悶するのが浄化作用なのです。その奥さんの浄化作用なのです。だから奥さんが浄化されるという事は、それだけ曇りがあるからです。ですからその奥さんの曇りが除れると、その親父は反対出来なくなり、やっぱり信仰したくなるのです。やっぱり相応の理です。その点を良く知らなければならない。「あいつはオレがあんなに親切にするのが分らない、むしろオレを苦しめたりいじめたりする、けしからん」と言うが、それはやはり自分に曇りがあるからです。ですから人間の一切の悩み苦しみは、みんな浄化されているわけです。「あの畜生、人を酷い目に遭わせやがる、あいつの為になんて酷い目に遭った」とかと言う「あいつ」というのは浄化作用をやってくれている人です。その点が分かると、自分を苦しめる人を恨む事が出来なくなるのです。それを知るのが人間には肝心です。で、すべて浄化作用は苦しみによって除るという事に、昔からなっている。そこで信仰すれば良いという事になるが、信仰と言っても難行苦行をするのです。無理に断食をしたり水を浴びたり、苦しむ様にするのです。よく、お百度参りをしたり、襦袢一枚で町を駆け出したりするのがありますが、あれでやはり魂が浄まるのです。ところがそれは夜の世界の時代だったから、どうしても地獄的に身魂を浄めるのです。ところがメシヤ教はそれとは反対に楽しみながら、苦しまないで浄めるのです。ですから美術館なんかというのはそういった意味です。あれは、美術を見ていると、美術を楽しみながら自然に浄まる。向上するのです。魂のレベルが上がります。それからお祭の時の余興とかもそうです。大体余興をする芸能人なども、だいぶ信者になるのが増えて来ましたが、ああいう人達が信仰が分かり――まあ、信者なら結構ですが、そうするとその人は霊的にそれだけ高くなりますから、そういう人の言葉や声を大衆に聞かせると、大衆がそれによって楽しみながら幾分浄化作用が行われるのです。神様のそういう仕組みなのです。そこでメシヤ教は今迄と反対に、苦しまないでつまり楽しみながら磨けていくのです。これが天国的宗教です。つまり昼間の世界の宗教です。これは大変な異いです。ですから私はいつも、苦しんでやる事にろくな事はないと言うわけです。私はその方針です。例えてみれば、私が物を造ったりしますが、そういう場合に苦心したり考えたりしないのです。ですから人が、これだけのものを造るのは随分苦心なさったでしょうと言われますが、返事に困るのです。しかし信者以外の人には「中々骨折って苦労しました」と調子を合わせて置きます。それから私は、何か考えてちょっと考えが出ないと、止めてしまうのです。それをどうしても考え通そうとはしないのです。止めるのです。そうして忘れていると、ある場合にヒョッと気がつくのです。ああこれだという事になる。ですからちょっと考えて良い考えが浮かばないと止すのです。考えが浮ばないという事は時が来ないのです。それで時が来ると神様の方でヒョッと知らせますから楽なものです。ですから、苦しまないで実にスラスラ順序良くいくのです。とにかくこの味というものは、今までの頭では信じられないのです。ですから私は苦しむ様な事はしないのです。よく展覧会などに行って思う事は、絵が苦しんでいるのです。だから、それが楽しみ乍ながら画けば良いのですが、一生懸命画こうとか、なんとかの苦悩が画面に表われているのです。ですからそれを見てそれから受けるから楽な良い気持ちはしないのです。楽しみながら画くとそれが画面に出ますから、それを見て楽しい気持ちがするのです。ですから展覧会などを廻ってみても、良い気持ちがしないのです。何となく変な気持ちがする。それは骨折って画いてあるからです。そういう事は今の人は知らないのですが、メシヤ教はそういう事を段々教えるのです。そんなわけで運命というものは自由なのです。自由という事は、こっちの魂の状態さえ曇りが無くなれば良いのです。曇りに相応して苦しみは来るのです。だから伝染病が伝染すると言っても、濁った血があるから伝染するのです。濁った血が無いと黴菌は死んでしまうのです。それと同じで、苦しみや禍もこっちに曇りがなければ来ないのです。よく御蔭話で「高い所から落ちて助かった」という事があるが、そこに曇りがあればその時に死ぬとかするが、御守によって曇りが減っているから、そこでどうしてもそれを避けてしまうという事になる。一切は相応の理によって動いているのです。それを知れば楽にうまく行くのです。どうも、自分はこれ程骨折っても成績が上らない、という事は、まだそこに曇りがあるのです。成績が良くないという事は、こういう層(良い運命と悪い運命の上下の層)があるが、自分はここ(下の層)に居るから、良い運命は上を通り越してしまう。こっち(下の層)は成績が悪い運命です。そういうわけです。




