メシヤ様の関西御巡教最後の日、吉野神宮に御参拝の後、金峯山寺にご参拝になられました。
その時のご様子を「みあとしのびて」より以下に転載します。
吉野山を代表するお寺は金峯山寺の蔵王堂である。み堂は高さ34メートル、奈良の大仏殿に次ぐ日本第二の巨大な木造建築であり、自然木を使った堂内の柱に私たちは目を見張ったのである。
参拝を終わり、花も散った下の千本から、中の千本に向かう道で、今度は前の方で、側溝にはまった車があるとかで、進めない。明主様は身軽に車を降りられて、一同と共に歩を進められた。土産物屋や旅館の看板の並ぶ中を、桜見物の人並みを分けながらお歩きになられる、そのお元気さ、みちみち明主様は二代様と、そして時々私たちを顧みられながら、源義経のこと、山岳仏教のことなどを気軽くおはなしになられた。
旅館で小憩ののち、私はいろいろの要務で遅れたのでその後のご様子は記し得ないが、それにしても、吉野神宮ご参拝のこと、お元気であった明主様と山の坂道をご一緒に歩いてお供したことなど、しかもそれ以来明主様が、関西の御巡教に、永遠にお出ましになられないだけに、あざやかに私の心から離れないのである。
「みあとしのびて」 森山 実太郎著 より抜粋
金峯山寺(キンプウセンジ)は吉野山のシンボルであり、修験道の総本山。
蔵王堂は正面5間、側面6間、高さ約34m、檜皮葺き(ヒワダブキ)の、東大寺大仏殿に次ぐ木造大建築。蔵王権現像(重文)3体がまつられ、本尊は高さ7mにもおよびます。
蔵王堂の秘仏公開最終日の11月30日に再び吉野を訪れました。
秘仏拝観は今回で二度目です。秘仏の真下まで行って見させて貰えるので、すごいド迫力で圧巻です。
金峯山寺にお祀りされる御本尊は、金剛蔵王大権現であります。今から1300有余年前、金峯山山上ヶ岳に役行者が一千日の修行に入り、感得された権現仏であります。権現とは権(仮り)に現われるという意味で、本地仏の釈迦如来(過去世)、千手観音(現在世)、弥勒菩薩(未来世)が権化されて、過去・現在・未来の三世にわたる衆生の救済を誓願して出現されました。また金剛蔵王とは、金剛界と胎蔵界を統べるという意味も表しています。
蔵王堂の奥の蔵王権現本地堂に蔵王権現の本地仏、右手から千手観世音菩薩、釈迦如来、弥勒菩薩の三尊が祀られていました。修繕したばかりなのか綺麗な金の仏像で蔵王権現像と同じように右から現在・過去・未来を現しているとのこと。
こちらで修験道のビデオとかもみれました。
秘仏ご開帳の時は毎日午後一時から、当山の僧侶による法話会があり、参加させてもらいました。この日はご開帳の最終日であることもあり、お話は大変熱のこもったものでした。メシヤ様と通じる内容でもあり、千手観音様が現在で未来が弥勒菩薩様とは、まさに私たちが千手の内の一本の手にでもならせていただき、弥勒の世を建設させていただかなくてはいけない、今(現在)を指し示されているように思いました。
また、お話では輪廻転生、生まれてきたことへの感謝、先祖供養のことなどなど、(もっといろいろ深い話もしていただきましたが、うろ覚えなのですみません。)、メシヤ様の教えと繋がっていて、やはり、メシヤ様のことをお伝えする時は、お坊さんも熱心に話されていましたが、霊界の事は外せないなとつくづく思いました。
境内の年表にも源義経らが吉野山に潜伏。
静御前が捕らえられ、鎌倉に送られる。
と載っていました。
鎌倉で静御前は身籠っていることがわかります。
女の子だったら良いが、男の子だったら生かせては置けないと、源頼朝に言われていました。
生まれたのは男の子でした・・・・。
切ないお話です。
吉野はメシヤ様にとって、思い出深い因縁の地だったようです。