御教え集14号 昭和二十七年九月二十五日 秋季大祭 (京都平安郷)

 今度京都の嵯峨という所――広沢の池のある――あそこに思つた通りの土地が手に入る事になつたのです。何しろ、何時でも金は逼迫しているのですから、そんな大きな土地を買つたと言うと威勢が良いが、買う約束をしたのです。で、一万八千坪です。私の予定は三万坪なのですが、いずれ又附近が手に入るだろうと思つてます。然し一万八千坪でも可成り広いです。神仙郷丈が三千坪なのですが、もつと大きく見えるでしよう。此処が一万坪の内の三分の一で、此の上に未だ六、七千坪あるのです。それは、色んな物を拵えると広く見えるものです。之は、あつちを見た人は知つてますが、大変な良い地所です。嵯峨野の秋とか、何とかいう――野原になつてます。で、広沢の池――大きな池ですが、昨年の春初めて京都地方に行きまして、嵯峨のお釈迦さん――釈迦堂と言つて有名なものですが、あそこは私は約四十年位前に京都に初めて行つた時、あそこの釈迦堂の天井に栖鳳が龍を画いたばかりのがあつて、それを是非見ろというので、行つて見たので良く記憶に残つているのです。去年の春に行つた時に、釈迦堂に行つた帰りに法然院に行つて皆に話をしましたが、法然院というのは、法然上人があそこに居て修業されたのです。ですから素晴しく大きな阿彌陀さんがあつて、作も随分良いのです。あんな立派な作は他に無いかも知れません。で、法然上人は浄土真宗の開祖ですから、つまり南無阿彌陀仏を最初に弘めた人です。で、法然の弟子が親鸞です。親鸞から六代目の蓮如上人に至つて全国的に教えを弘めたのです。それが今の浄土真宗です。本願寺です。そういうわけで法然上人は仏教の方では大した仕事をされたわけです。今度の地所というのは、丁度釈迦堂と法然院との間位になつています。そうすると釈迦、阿彌陀、その真中が私の方は観音ですから、それで三位一体の形になつたわけです。真中が観音様で、そうして観音様の左側が阿彌陀さん、右が釈迦と、それが本当の順序なのですが、やつぱりそういう工合になるのです。三尊の彌陀――そういう形になるのです。ですからお釈迦さんは七の彌勒です。仏教の方で言うと、釈迦が七の彌勒、阿彌陀が六の彌勒、観音さんは五の彌勒。日の彌勒、水の彌勒、土の彌勒となつていて、それで五、六、七になるのです。そういうわけで箱根は何時も云う通り「五」になつて、熱海が「六」になつて、今度の京都は「七」になるわけです。ですからそういつた、地理的に日本の中にミロクの姿が出来たのです。兎に角位置丈は現界的にミロクになつたのです。それで去年釈迦堂にお参りして、法然院に行く途中で――私は初めてあそこを通つたのでヒヨッと広沢の池を見て、之は良いなと思つて、廻りを見ると平で突当りに低い山があるので、非常に気に入つたのです。そうすると、京都にいずれ地上天国を造らなければならないが、此の辺が良いなと思つていると、少し経つてから売物があるから見て呉れと言うので、今年の春に行つて見ると非常に気に入つたのですが、とても高い事を言つているので駄目だから打遣らかして置け、要り用なら神様が何んとかするだろうと思つていたら、最近こつちで手が出る様な値段で売りたいと言うので決つたのです。そんなわけで、最初から決つているのですが、時期によつてそういう工合に具体的になつて来るのです。今度なんかも、今年の秋はあつちに行かない積りで居たら、此間京都の新聞社と東京の博物館のそういつた係の人が来て、今度京都で浮世絵展覧会をやる。つまり京都の平安神宮にある美術館が、今迄接収されていたのが今度解除になつたので、その記念として相当張切つて浮世絵展覧会を最初にやる。だから是非出品して貰いたいと言うので、結局四点丈出品する事になりました。ですから私も是非見たいし、大分大仕掛に網羅した様な物が出る様ですから、行きたいと思つて行く事にしたのです。そうすると今の土地が決つたので、丁度神様が、あつちに行く迄に其土地を決める様に、間に合わせる様にやつたとしか思えない。つい昨日か一昨日仮登記したのですが、そんな様なわけで神様のやる事は非常に気が利いているのです。実に言うに言われない面白い処があるのです。ですからそれを考えると、人間のやる事は実に間抜だと思います。よくハッと思う事があります。美術品なんかもそうです。斯ういうのが欲しいなと思うと、パッと出て来ます。最近浮世絵の良い物が非常に入つて来るのですが、之は神様が浮世絵展観会をやれという事です。来年迄に此処に美術館の別館を造る積りです。それは五間に八間です。丁度美術館の広い方の部屋位の物を造ります。其処には特別展――そういう催し物をやる為に必要なので、最初其処で浮世絵展覧会をやろうと思つてます。そんなわけで今度の京都の土地は純日本的の庭園と建物を建てる積りです。之はずつと先ですが、つまりそういつた、神様の方の意味になつているのです。早い話が、箱根はさつき言つた通り全体の中心になるから、此処は西洋風の物と日本風の物――此処は元ですから――。処が熱海は今度は純西洋式の物です。大体熱海は六ですから、六というのは水ですから、西洋の文化、或いは――西洋というものは水になる、六になる。ですから熱海は又徹頭徹尾西洋風です。会館でも展望台でも美術館でも、全部西洋風です。日本風の物は無いのです。それから京都は純日本式にやる積りです。鉄筋コンクリートも使いますが、日本的に使つていく積りです。で、日本的の庭園建物にしようと思つてます。というのは、今迄京都には日本美術が豊富に色々ある様ですが、良く見ると日本美術が綜合されてないのです。部分的に散らばつているのです。ですから、此処は日本美術として良いという所は無いのです。それに時代々々に依つて変つて行つた部分的の物、局部的の物です。それを、もつと綜合した本当の日本美術としての綜合された良さ、要するに調和美と言いますか、そういう物を造りたいと思つている。今京都を見た処で、奈良朝時代の仏教美術です。之は京都、奈良に豊富にありますが、仏教美術は参考には見るが、観賞という事は出来ない。之は余程其道に深い人でなければ――。大衆は美術的には見ないわけです。後は平安朝の文化ですが、平安朝は要するに貴族文化です。極く、やんごとなき御方(オンカタ)の色んな風俗です。それから後は足利義満、義政――あの人が拵えた物ですが、代表的な物は金閣寺、銀閣寺です。そういう様な物で、あれは其時代に支那から受けた影響と仏教的の物と、それから平安朝の貴族文化――そういうのが綜合された様な物です。それに足利時代の特殊な文化です。其次は桃山で、之は秀吉の非常に豪華な、あの人の特異な性格――そういうものを良く現わした桃山式文化です。それからもう一つは、逆の佗(ワビ)――非常に豪壮絢爛たるものに反した茶道を作つた。あれも非常に良いです。今以て茶の佗(ワビ)の芸術としての生命は躍如としているわけです。で、近来アメリカなんかも非常に茶趣味が理解されて来て、いずれは世界的のものになります。と言つた処で、やはり部分的のものです。それから徳川時代に入つて一番華やかなのは元禄、享保です。あの時分には光琳なんて言う素晴しい名人があつて、それから絢爛たる素晴しい物が出来ましたが、そういう風に見て来ると、最初は仏教美術――奈良朝の仏教美術です。其次は平安朝の貴族文化です。其次は足利時代の東山芸術です。其次が桃山、それから後は徳川期に入つてからの元禄美術です。と言つた処で桃山時代迄は庭園建築というのに素晴しい物が出来たというのは、其当時の主権者――将軍や大名とかの階級が作つて楽しんだ物ですから、つまり平民の文化は無かつたのです。それが漸く元禄になつて、平民文化つまり町人の金持が作らせたという様になつたのです。それで庭園建築は、ずつと徳川時代の大名迄余り進歩がなかつたのです。今以て庭園と言えば、大名式の、真中に大きな池を作つて、廻りに石を配したのと、後は茶席なんかを作つて、茶庭もそういうものです。それから建築と言えば木造の大きな太い柱を作つて仏教的の形を採入れて、ソリ屋根の豪華な物を作つて、あとは唐紙とか、そういう様な絵を画いた、それでずつと続いて来たのです。処が今は、日本が世界的になつてあらゆる物が革新されたに拘らず、そういう物は時代感覚に合つていないのです。今、大名式の庭だとか建築だとかお寺芸術とかを見ても、どうもさつぱり現代の感覚にピッタリ来ないのです。だからどうしても日本的の良さ――日本的の特色のある、そういつた様な文化を作らなければならない。と、私はそう思つているのです。そういう意味に於て今度京都に拵えてみようと思つている。その代り建築でも庭園でも、今迄の良い物をみんな採入れて、そうして現代人の感覚にピッタリする様な一つの新しい、古い物の良い処をとつて新しい感覚によつて作る、という様な物を造りたいと思つている。庭園と建築です。美術館も造る積りですが、美術品は京都は大体仏教的です。あれを一々抹香臭いお寺をくぐつて坊さんの承諾を得たりする、あんな事でなく、仏教美術の傑作物を一堂に集めて見られる様な、そういう組織を拵え様と思つている。之は中々難しいのです。処が、各開祖――親鸞とか行基菩薩とか、そういうのは霊界で大いにやろうとして手ぐすね引いて居るのです。だからそういう偉い坊さん達が働き出しますから、之は案外旨くいくと思つてます。あゝいつた偉い坊さん達がそれ丈の手柄をしなければ自分達が救われないのです。つまり仏教は、救つた点もあるし、又つまり之は悪意ではない良いのですが、間違えた点も大いにある。だから大いにその御詫のしるしをしなければならない。ですから之は今にそういう風になりますから、面白いと思つているのです。その話はこの位にしてーー。

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