実談・虚談神がかりな話 日置昌一氏との対談続き (昭和二十七年十月二十五日) <サンデー毎日 昭和二十八年六月七日号>

 口寄せに頑固だったスターリン

  日置氏 : どうも新興宗教というと、霊媒とか口寄せとか、いささか神がかりなことが多いので、ついまゆつばみたいな感じになるんですが、私、璽光尊とは、いろいろ縁があったんで、何度か会ってますけど、これはどう見ても、立居振舞いがただの人間じゃない、神様ですよ。それに引きかえ、ここの教祖さんは、まあ、ただの人間ですね。

    明主様 : 私は大体神様ぶるのがきらいなんです。窮屈な、いやにてらったりするのはね。大体どんなに偉くても同じ人間なんだから、人間としての扱いをするのが、先きもよしこっちもよし、それで気に入らないやつは勝手にしろ、という気持だね。

      「もう少し重味をつけてくれなくちゃ、どうも有難味がないから困る」と、ちょい、ちょいそういうことを言われるが、いや、ワシはそういうことは大きらい、それで気に入らなかったら、よしたらいいじゃないか、と突っぱねてしまう。今でも教祖なんていうと、ナンか神々しくてね。

    日置氏: 璽光尊なんか、見ただけでも気どって、神々しく大変なんですよ。

    明主様: 私は、それをしない。今でもワイ談を大いにやりたいんですが、信者のいるところでは、どうも具合が悪い。

    日置氏 : しかし、ああいう口寄せという奴、璽光尊がよくやっていたが死んだ人を呼び寄せたり……本当に出来るんですか。こっちの戒名と死んだ人名をいうと、すぐ巫女さんが死んだ人になっていろいろやる。死んでから四、五年の人はすぐ十分ぐらいで呼び出すが、古い人は二十分もかかるらしい、地獄も大分混雑していると見えてね。(笑声)

    明主様: それは霊の階級による、よい霊だと早い、何百年前でも一分かからない。私も、そういうことはできるけれどもやらない。私は低級の霊とかはしないんです。その霊の中の親玉のやつをやる。二十五年に静岡の刑務所に入った時に退屈ですし、静かでちょうどいいと思って大いにやりましたよ。その時にスターリンの霊も呼んだ。共産主義は間違っているからどうしてもよせといったら、スターリンいかにしても、がんとしていうことをきかない。毛沢東は割合に素直だった。あれはいずれソ連と離れる。これは時間の問題だということになった。だから、とうとうスターリンは改心しないうちに死んじゃった。それから釈迦、キリスト、大本教祖、天理教の教祖もやったし、弘法大師も呼びました。

    日置氏: ホホウ、それでは教祖さんはソビエト語、中国語、ユダヤ語、なんでもペラペラというワケなんですな。(笑声)じゃ少しも退屈なさらなかったでしょう、むしろ出獄するのが惜しいくらい。(笑声)

生れながらの能力 

    明主様 : 全然退屈しません。ごく特殊な信者には話くらいできるが、あまり世間へ知られると、いわば璽光尊的な宗教視される。それではダメで、むしろ、さわりになるので、あくまでも普通にやってます。

    日置氏: 大本教の王仁三郎さんもやってたのですか。

    明主様: やってた。

    日置氏: ああしたことは修養をつめば出来るものですかね。

    明主様 : 修行をして出来るのと、生れながらの能力と二つある。璽光尊など、生れながら、そういう能力をもっている。修行したのでは、ある程度までしか出来ない。

    日置氏: ぼくなども出来ましょうな。ボクだったら迷宮入り殺人事件の被害者を片っぱしから呼び出すね。そして犯人の名を言ってもらう。そうすりゃ警察の捜査もヘチマもない、ピシピシ判ってしまうワケですからね。人助けだし、第一、こうなったら悪い事をする奴なんかいなくなりますよ。ところが石川五右ヱ門の歌じゃないが、浜の真砂と悪人の数はいっこう減らない。フシギですね。(笑声)

    明主様: あんたは口寄せの様なことは出来ない。ぽおっとしたバカみたいな人間がかえって、そういう能力があるね。わたしはある程度までやると、もう興味はなくなっちゃう。分っちゃうから。

    日置氏: 実際、璽光尊あたり、あまり偉くなって我々と違った世界の人になってしまっている。会うなり頭から「日置、しばらくであった」(笑声)はじめっからこれなんだから、こっちは「ははあ」とかしこまるほか処置なしですよ。

    明主様: 私は、それはきらいで、俗人でも結構だと思ってる。それに一切秘密なしというのが、私の主義だ。ところでメシヤ教だって、外国人が信仰し出したら日本のインテリも、みんなついてくるよ。日本人を認めさせるには、まず米国人を先にする方が早い。(笑声)だから、こんど米国に手をつけてみようと思っている。(昭和二十七年十月二十五日)

米国人をメシヤ教に帰依させる  (昭和二十七年十月二十五日)

    日置氏: 日本人は、日本人よりも米国人を信ずるからね。

    明主様: 何でも舶来という。宗教も舶来でなければだめだね。絵だって見るでしょう。いつも日本人は自分のよさが分らない。私は米国は機械文明は大したものだと思うが、芸術や、美術は日本が先だよ。マチスやピカソを大騒ぎするが、これは、日本の光琳から変って来たんだ。ルネッサンスは光琳がぶち壊した。フランスに “世界を動かす光琳”という本がちゃんとある。それを見ると光琳によって、新しい単純な形式が生れて来たんだね。そしていろんなものに影響した。とくに光琳の影響をうけたのは建築。最初にターポー、それからセセッションになって、次に未来派ができた。今度、私はコルビジューを一層進歩させたものを作っている。コルビジューには、ちょっと安っぽいところがあるけれど。それから画壇も印象派が出来てセザンヌ、ゴッホなどがはじめて生れたのだが、みんな光琳の影響をうけたわけだ。その後、写楽、北斎、歌麿などの影響で現在のピカソ、マチス、ルオーなどが出てきたんだが……。

    日置氏 :そこで『米国を救う』という本を書いたってわけなんですね。あれは第一、題がいい。

    明主様: 題に惚れて買ったという人がずいぶんあったよ。いずれ、そのうち『ソ連を救う』というのを出すかな。(笑声)いま、この本の英訳が出来たが、へたに出して先で無理解なことをされると、あとでこっちの宗教宣伝に差支えるといかんから、よく調査しようと思ってる。

    日置氏: 題が強すぎるから、米国人は題だけで反感をもつかもしれない。

    明主様: そうでもない、進駐軍の人が翻訳しているから、案外いいと思う。

    日置氏: 題材はなんですか?

米国医学を救う書 

    明主様: 今ね、米国は非常に病人が多い。年々増える傾向なんだ。というのは、まるっきり嘘をやっているから、ますます増える。だから、こうすれば減るということを具体的に教えるわけだ。米国の人間が、なんと日本の生意気な野郎だと思うかもしれんが、しかし、私のいう方が本当だ。

    日置氏: どういうような方法ですか?

    明主様: つまり薬です。米国の現代医学は病気を治すのでなく、作る結果になっている。そこを衝いてある。それもね、ただ独善的ではなくて、本当にいろんな根本的理論から説いて、どうしてもそうである、それが本当だということを思わないわけにいかないように書いてある。例えば手術は米国で非常に進歩しているが、手術の進歩というものは医学の退歩だ。治らないから手術する、仮りに盲腸が悪いという場合、盲腸をとる。ところが臓器をとるということは医学ではない。臓器をそのままにして病気だけをとるのが本当の医学だ。まあ、こういうことだね。この点は日本の医学でもわたしの説に対して困っている。病気はもともと毒素がそこへ固まって臓器を圧迫するんだ。だから、その圧迫する毒素だけをとって臓器をそのままにしておく。そうすれば元通りの健康体になる。盲腸をとるとか腎臓をとるとか内部を手術するということは患者を内部的不具者にする。それを医学の進歩とはとんでもない。医学が進歩したらとる必要はない。医学が進歩しないからやむを得ずそういう野蛮的行為をするんだ。米国人は読んで癪にさわるらしいけれどなんともいわない。とにかく、わたしの方では、外からとれるのだから威張れる。とれなかったら、ただ理屈だけに過ぎない。

    日置氏: 薬も使わずに、そんなことになるというんだから、やっぱり我々常人は、奇蹟扱いするほかないですね。奇蹟なんてものの存在を、教祖さんはいつごろから信じられたのですか。

関東震災の予言と奇蹟の体験 

    明主様: 大本教に入って神様があるということが分った。なんで分ったかというと、奇蹟が、すばらしい奇蹟が--これはどうしようもない。私が疑がったりすると、これでもか、これでもかと出てくる。

    日置氏: どういうような奇蹟ですか。

    明主様: 沢山あるがね。お筆先に「今に東京が火の海となる」ということがある。それを私は信じて、京橋の大鋸町(オガチョウ)に当時五、六万円の二階家があったのを三万六千円で売って、大森へ引越した。これが大正十年、それから二年経って大正十二年に、すっかり大鋸町(オガチョウ)辺は焼けてしまった。これが最初。その他に私の本にいろいろ書いてあるが、大本教に入って、信仰をやっているうちに、だんだん神様が分ってきた。大正天皇がおかくれになる時だったが、暮に私は、神がかりになった。夜十二時くらいになると、ナンカ非常にいい気持になるんだ。変だと思ってたが、なにか、しゃべりたくなる。口から出て来て、とめることが出来ないのだ。そうすると、いろんな知りもしないことをしゃべる。大体それが日本の五十万年から前の歴史で、それを書きとめておこうというんで、家内に書かした。その時、私が何のために生れたか、何の仕事をせねばならぬかをすっかり言われた。嘘とは思えないくらい、実に理路整然としている。そして満州事変とか、日本が今日のようになるということを、すっかり言われた。天皇制がなくなるということも分ったけれど、その当時は言うわけにいかない。あの時分だからね。罫紙に二、四寸ぐらい書いたね、約三カ月、十二、一、二と……。

    日置氏: ははァ、なるほど。

天皇制で悩まされる 

    明主様: そこで小間物屋を止めちゃって、神様の方をやった。それよりちょっと前から、私がやると病気がよく治る。私自身も自分でやっても、具合がいいし、これで食うだけは食えるという自信が出来た。食うだけは収入があったわけだ。そんなわけで大本教に入ったのだが、まあ、非常に重要な地位につかされて、出口王仁三郎さんから特別扱いされた。だんだんやっているうちに、どうも大本教にはいいところもあるが、欠陥もあると気づいた。欠陥というのは、あの人の個人的な行為になんかというと不敬にわたることがある。こりゃいづれは必ずやられると思った。ちょうど私が大本教から脱退した翌年、大本教事件が起った。で、私はつかまらずに済んだわけだ。それからそのころは岡田式指圧療法というのをやってた。

    日置氏: “生長の家”の谷口雅春さんも大本教にいたんじゃないですか。

    明主様: 一緒でした。あの人は、わたしより上の役をしていた。わたしは平信者で谷口さんのところへ訪ねて行って話を聞いたことがあった。ところが、あの人はインテリ型で、つまり大本教とはソリが合わない。大本教は古い神道だからね。

    日置氏: 戦争中はずいぶん苦労されたでしょう。

    明主様: 戦争中も苦労したが、宗教法人になるまで、これには苦労したよ。官憲に誤解されたのは根本は天皇制で、ともすれば、官憲は信者に向って『君の方の教祖は、教祖と天皇とどっちが有難いといったか』なんてやらかす。ですから拝むもとは生きた人間ではいけない。死んだものならいいわけだ。天理教も教祖が生きている時はやっぱり圧迫された。死んでしまえば、もういいのだ。ちょうど昔、徳川時代に偉い人が出ると、当局は恐れてだましちゃう、あの思想だね。

    日置氏: 敗戦で解放されたものは、国民ばかりでなく、メシヤ教が一番というわけですね。

    明主様: そう、前のようだったら、とてもだめだ。(昭和二十七年十月二十五日)

宿命と運命は別もの

    日置氏: 教祖さんは、運命ということをどうお考えですか。

    明主様: 人間には、宿命と運命と両方ある。よくこれを一緒にするが、これは大変違う。宿命はもう動かすことはできない。運命というのは宿命の中に運命という一つのワクがあるんだね。運命の方は下にいても上へ上ることもある、上にいても下に下ることもある。運がよくなることは出来る。つまり自分の与えられた最高に行くわけだ。しかし宿命というのはそうでない、天皇陛下の次に皇太子が出来る。これは宿命だ。それから人間で一番悪いのは、あせりだ、あせるから無理をする。一番心得べきことだ。大事なことは急所を発見する能力だ。いかなるものでも、どっかに急所が一つある。今の政治家など急所を知らない、だから、余計なことをしてしまう。

    日置氏: 鳩山さんに一度聞かせなければ。(笑声)もう遅いけれど。

    明主様: 鳩山さんが韮山から出てきて自由党でまごまごしている時に、少しあせりすぎた。あれでかえって、あの人の価値を下げたよ。それから広川弘禅もあせった。

私は不幸を免れた 

    日置氏: 私なども、幾度かいろんなことに遭遇してきたが、やはり自分は不幸にはならぬという自信をもっておった。だから、いつも最後の場合には、それを切抜けている。面白いのは大正十二年の夏、私は本所の大石という当時の東京府会議長の家に下宿していたが、八月の三十一日になったら、その家がなんだかいやになってしまって、ひまをもらいたいといったところ、ちょうど九月五日が府会議員の選挙で、今忙しいから、だめだと断わられた、しかしどうでもいやになって、その晩家出して岐阜の家へ行った。ところが、その次の日が大地震で、そこの家にいた十七人中、生きているのはボク一人だけだ。

    明主様: そこに霊的の意味がある。つまり一人一人の人間に守護神--外国では守護霊というが--それが、ついていて助ける。

    日置氏  もう一つは、昭和十九年の五月二十三日に豊橋の百六十部隊の工兵隊へ入るよう召集が来た。困ってしまったがいまさら隣近所に派手に送られるのは阿呆らしいし、こっそり一人で家を出て二十五日に豊橋駅前の宿屋へ行って、御飯を食べるときに、もって来てくれた静岡日報をひょっとみると、二十年ほど前に下谷での下宿で、隣の部屋に陸軍大学に行っている中西という人がおった。この人とは昔からとても懇意で、しまいには兄弟みたいにしていた。それがその静岡日報に偶然その人が、前日にシナの某地の部隊長からぼくの入る部隊長になって、いま宮中に参内して豊橋へ着いたという記事が出ている。驚いてぼくは、急いで電話をかけた。彼は出てくるなり『本当に日置か、オレは貴様に会いたかった』と言って、『すぐ行くからそこを動くな』と電話を切るや、ほどなく自動車でやって来た。そして靴のまま上って来て、ぼくを抱いてポロポロ泣いている。いろいろ話しているうち『実は召集が来て、しかもお前の部隊へ二等兵で入るのだ』と話したところ、『それは困るな。しかし、まあ今晩はうれしいから大いに飲み且つ食おう』というわけ。翌日は彼は一日休んで一緒に渥美半島を一回り回って帰ってみたら、表に馬が一頭つないである、応接間へ行くと軍医少佐が来ていた。部隊長の彼は、ぼくのことを軍医少佐に『上官としていうのでないが、自分の親しい友人でワシの部隊に入ることになっているが、ちょっと身体の具合が悪そうだから事前によく調べろ。この男はぼくの部隊へ入っては非常にぼくが迷惑するということだけいっておく』といって帰った。翌朝迎えの自動車が来て軍医の部屋へ連れて行かれたが、軍医は看護兵にそれぞれ用をいいつけて外へ出してしまい、私を診断して両肺浸潤、再起不能で兵役免除と判をおした。そして閣下の方は、自分からお知らせするからという。そんなことで、ぼくは、さっさと東京へ帰ってしまった。その部隊が、全員硫黄島で三、四カ月のちには玉砕です。

    明主様: だから助けるべき霊がついている。理屈では説明できないね。

    日置氏: こういうことはあまり信じないが、ぼくが璽光尊にはじめて会った時、『あんたには面白い人がついている、顔にホクロがあり肥って髪の毛が半白で六十前後の人だ』と言う。よく考えてみると叔父なんです。この叔父は、とにかく百姓をしながら歴史が好きでしようがない。郡一番の蔵書家で、長男のため自分は志をとげられなかったから、ぼくを引取っていろいろなことを教えはじめた。二、三歳でいろんな物語を話し、四つのころには大抵の字は書かせるようにし、五つでは漢文さえ読ませる、七つのころはもう日本外史などスラスラ読んだ。叔父は早く死んだが、そういう育て方をしたから、ぼくはどっこも学校を出ないで今日あるんです。

      それを璽光尊がパッとあてた。あんたは危ないところを切抜けて四回逃げている。叔父さんのおかげだと言った。

霊魂のある仏像 

    明主様: あなたの場合はその叔父さんが守護神なんだが、大抵これは一代おきのものだね。オヤジの霊というものは、ほとんどない。まあお祖父さんから孫です。病気もそう。お祖父さんの病気はよく孫に出てくる。隔世遺伝だが一つの法則だろうね。そうしたことは霊界のことが分るとよく分る。私なども面白いのは、いまでも、いろんな仏像が手に入る。なぜかというと、偉い寺の開祖とか仏教の開祖とかはメシヤ教の仕事をするということが大変な名誉なんだね。なんか手柄をたてたいので、自分の建てた寺の仏像などを、こっちへ入るように仕向ける。だから手に入ってくる。

    日置氏: 仏像は偶像といえば偶像かもしれんが、長い間の伝統で国民が拝んで来ている、その拝む魂が入っているのかもしれない。

    明主様: 大勢が拝むと魂も入るが、仏像は仏像で形作られるが、拝まなくなると消える。偉い高僧などの霊は霊界で修行できると、魂はその仏像へ入れるんだね。だから立派な寺のいい仏像は、みんなその霊が入っている。そこで仏像を美術館とか、いろんなところに並べることは、その霊は非常に苦しくなるんだ。

    日置氏: 人間でも仏像を趣味半分に集めた人は沢山いるが、みんな非命の最期をとげている。便所にまで古代仏像を飾っていた人があったが、ぼくなど、これはあぶないと思った。

    明主様: そういうことを知っている人は、いろんないいものを、ずい分集めても仏像だけは集めない。

    日置氏: 仏像を集めるのは明治になってからですね。徳川時代には、あんなことは絶対にしない。

    明主様: もったいないからねえ。寺では拝まれて丁重に人間以上に扱われる。

    日置氏: おしまいに、これからの御抱負を一つ聞かせて下さい。

米国を救うのは世界革命の第一歩 

    明主様: 世界を救うのです。いま論文を書いている。これだけは話したって分らないからよすが、共産主義はスターリンの死を契機として、だんだん没落して来る。それは割合に早い。それでは米国はどうか。米国の資本主義は、あれはまたなくなる。共産主義にあらず、資本主義にあらずという、そういう新しい思想が生れる。

    日置氏: 本当の自由主義思想ですね。

    明主様: そう、つまり、いままで右か左に片寄った。片寄るということは左が縦、右は横。そこで、これを組合せなければならない。その組合せる時期にまだ来てないが、組合せて、はじめて本当の大思想が生れるわけだ。それが生れて、はじめて世界国家ができる。それこそ戦争のない平和な、病気、貧乏、争いはなくなる世界で、わたしの方のバッジはそれを象徴したわけだ。これをわたしの方では伊都能売思想といっている。イズノメとは『五三』とも書くが『五』は即ち火、『三』は水、これが、世界の思想の中心になるという意味で、これからまず米国に働きかける予定になっている。というのは、とにかく今日、世界の覇権は米国が握っている、だから米国にそういう思想を打ち樹てるということが根本で『アメリカを救う』という本も、そのごく第一歩だ。

    日置氏: 結局、米国を救うことは、日本を救うことになるという寸法で……。

    明主様: また、世界を救うことになる。そこでは米国は横の国、横の中心になる。日本は縦の中心になっている。だから両方結ばなければならない。それをいろいろ学問的にやってみると、はっきり出てくる。まあ、ひと口にいうと世界革命だが、世界革命でも、精神的な革命だね。

    日置氏: どうもありがとうございました。(昭和二十七年十月二十五日)

            (サンデー毎日  昭和二十八年六月七日号)

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