現在の唯物医学が、如何に無力であるかという事は、左の御蔭話をみれば余りにハッキリしている。この事実を読んでも尚信じられない人があるとすれば、気の毒ながら其人の頭脳は、麻痺していると曰っても否とは言えまい。従って現代医学は一日も早く革命されなければ、如何に多くの人間が不幸に陥るか、多言を要しないのである。又専門家として之を読んだなら、自分の行っている医療が、恐ろしくならなければならない筈だが、若しそうならないとしたら、之又頭脳変質者と言っても差支えあるまい。としたら吾々は多くの病人を救うと共に、この木石の如き頭脳を何とかして切替えなければならないと痛切に思うのである。しかし凡ては神様の御心にあるのであるから、只祈って時を待つより外に致し方ないのであろう。
お位牌様も家族の一員
『栄光』161号、昭和27(1952)年6月18日発行
熊本県 M.M(23)
明主様日々御守護を戴き有難う御座います。一日も早く御報告申し上げねばと思いつつも遅くなり誠に申し訳ありません。
幼少の頃から数多くの兄弟とも次々に死別し、終戦間もなく杖とも柱とも頼む父にも永遠の別れを告げてからと言うものは淋しい家庭に母と二人暮しで御座いましたが、世の為人の為に少しでも役に立つ人間になりたいと、今から考えれば一番悪い道で御座いましたが看護婦を志願し、白衣をまとい病院に勤務し、わずかながらも我と吾が心をなぐさめていたもので御座いました。
ある時ふとした機会にお道の事を知りましたが、長年の医学迷信がすっかりしみ付いてしまった私の心に病気は浄化作用だと言うことは中々のみ込めませんでしたが、何回も何回もお聞きしている中に少しずつ分りかけて来るような気がして来ると共に私の現在している事が恐しくなって参り、一日も早く止めて本当に世の為人の為になるこのお道に入らせて頂きたいと言う気持に変って参りました。
丁度縁あって今のM家に嫁ぎましてからは大出血、流産と次々に病に犯され、病床に伏す日も次第に増えて来まして、夢多き青春もあまり楽しめない私で御座いましたが、前記のような経過を辿りつつ昨年十一月待望の入信をお許し頂き、会長先生よりお守様の御取次を頂いた時は感慨無量で胸一杯で御座いました。
幸い二回目の妊娠中でも御座いましたのでこれを機会にと病院を止め、主人や母と共に微力ながらもお道の為お使い頂いている今日この頃で御座います。丁度昨年の十二月五日急に腹痛を覚え、それこそ七転八倒の苦しみで御座いましたが主人の浄霊を頂いているうち、ふと主人が「そうだ流産をした子供の霊かも知れない。四カ月位で流産した子供でも祀って貰いたいと言って知らせる事がある」との会長先生の御導きを思い出し、早速御仏壇に御火をあげ、今日迄の事をお詫び申し上げ、お位牌をお祀りさせて頂きますと、善言讃詞を奏上している間にみるみるあれ程の激痛がうそのようにとれ、すっかり楽にさせて頂きました。
この時の嬉しさ有難さはたとえようも御座いませんでした。思わず、明主様のおいでになる東の空を伏し拝みました。もしも私があの盛病院生活を続けていたらそれこそ数十本の注射、あらゆる近代的医療を加えられ、それからと言うものは恐しい病魔のとりこになるのは必然であっただろうと思われるその事を考えますとゾッとして身の縮まる思いが致します。
それからと言うものは少しずつ自信がもてるようになり、近所の誰れ彼れを浄霊させて頂いている中に、隣の奥さんが乳経で困っておられるのを聞き、早速浄霊させて頂きましたところ、猛烈な激痛で一回二回と浄霊させて頂きましても少しも変化がありません。ふと自分の体験させて頂いた流産の子供の事をお話をしますと死産した子供の位牌のないのに気付かれ「それではないでしょうか?」とのお話に、早速お位牌を作り、お祭りさせて頂きましたところ、あれ程の激痛もピッタリと止り、翌日はもう起きてお掃除などをしておられる様子に、今更ながら明主様の偉大なる御神徳にただただ頭の下る思いで御座いました。この姿を見るにつけても病院では何かと言えばすぐ「手術手術」と言って魚でも料理するように簡単に切りますが、あの恐しい苦痛もなく救って頂けるとは本当にもったいないようで御座います。
又近所の一年生になる子供が顔半分腫らして学校も休んでいるから是非救って頂きたいと母親に連れられて参りましたが、聞けば妹さん(三つ)も毎日真黄色な小便をするとかでお困りの様子で御座いました。色々お道のお話をさせて頂き、私の体験などもお話をしている中に六ヵ月で早産されたお子さんが二人もおられるとのことで御座いました。お位牌をお求めになりお祭りなさるように申し上げたところ、翌日はすっかり顔の腫れもひき、妹さんの方の小便も普通になったとか、再三にわたるこの奇蹟に、今更のように信仰薄き私共に霊の実在をはっきりお示し頂き、感謝で一杯で御座います。
それにつけてもこうした患者は病院では何回となく接して見ましたが、いやがる泣く子を無理矢理に押え付けて注射をした事を思うと、全く寒心の到りでお恥ずかしい次第で御座います。再度お恵みを頂いた子供も無事三月二十日一貫二十匁と言う大きさで、お宮参りの日も過ぎたこの頃では一家笑いの中心で明け暮れを本当に有難く過ごさせて頂いております。先日の赤ン坊コンクールにも見事入選させて頂き、これもひとえに御霊徳の賜物と厚く厚く御礼申し上げます。
この上は主人、母と一家力を合せ、地上天国建設の御用の一端に御奉仕出来ますよう、精進させて頂く覚悟で御座います。明主様有難う御座いました。