岡田茂吉 [メシヤ講座]「最後の審判」真っ只中!狂っているようには見えず、もっと進歩的のように見える。これが実は精神病。2015年6月③ | 岡田茂吉を学ぶ

[メシヤ講座]「最後の審判」真っ只中!狂っているようには見えず、もっと進歩的のように見える。これが実は精神病。2015年6月③(私達の学び目からウロコの内容より)

2015.06.03  

 その精神病の一番精神病と思えない精神病の一つがですね、自分の子供に迷惑を掛けられないので、墓を始末して仕舞うとかいう考え方です。或いは墓を建てると子供が後責任が来るので、墓を建てずに散骨をする・・・海に行って散骨をするとかですね、樹木葬というのが最近流行ってきているので公園の木の根っ子に自分の骨を砕いて、そして砂のようにして其処に埋めていくとかいうような事が、今ずーっと拡がって来ております。これはですね子供に迷惑を掛けられないからという、その耳触りの良い言葉によって、実は皆狂って行って仕舞っている訳です。

 それはどういう事かというと、例えば献体をするとですね、献体というのは、医学的には非常に貢献度が高いと言われているのですけれども、献体をした人は、皆献体を決めて死んだ後、後悔します。それは何故かというと、葬式が行われない為に遺体の傍にいつも寄り添っておかないといけないので、遺体をいつも見ておかないといけない。遺体を見ているとアルコール漬けにされるので、バイトの学生がですね、アルコールの中に浮いてくる遺体を棒で沈めないといけない。それをずーっと傍で見ておかないといけない、霊は・・・。「こんな筈ではなかった」と言って、皆後悔していく訳ですね、献体をすると。真面目な学生であったら、両手でですね、棒で丁寧に沈めてくれるんですけども・・・。不真面目な学生とかは、“また浮いてきた”と片手でポンと押したりですね、そんな事で遺体を取り扱うので、実はそういう事をさせられると自分の亡骸についてですね、物凄く後悔をしますので、死んだ後非常に後悔をしていきます。

 そんな事が日本の中では覆われているのですけれども、宗教界はそれに対してですね、異を唱える発言が非常に少ないので、皆ズーッと“家族に迷惑を掛けられない”或いは“医学に貢献する”という事を以て、時代が流れております。こうした事を本来はメシヤ様の弟子が中心にしてですね、「そういう事ではいけない」という事で取り組まないといけないのですけれども、そういう事が疎かになってしまっている部分があります。

 之が狂っているようには見えない、もっと進歩的のように見える、実は精神病な訳です。この精神病に覆われているのが、実は『最後の審判』の型ですので、今はですね『最後の審判』の真っ只中に突入している。然し、それに気付かない日本人が非常に多くなってきておりますので、何とかですねメシヤ様を教祖と仰ぐ教団が悟りを開いて、日本が滅びて行く、そういう所から何とか引き戻す事が出来たら大変有り難いな、というふうに思っておりますので、そうした事を勉強していくのだと・・・。
メシヤ講座・出雲 2015年6月

2015年6月の御教えは『文明の創造』宗教篇「キリスト教」342ページです

<学び>
 数年前にメシヤ講座でこの話を聞いたときは、比較的人ごとだったのですが、この数年の間に私も墓じまいとか、仏壇じまいの話を聞くことがあり、どうやら高齢者の間では子供がかわいそうだからと、そのことについての話が、良く話題にのぼっていたらしいです。確かに仏滅が来るわけですから、そういう機運が高まってきて当然なのかもしれません。しかし、まだしっかり夜の世から昼の世に変わり切っていないからこそ、地獄にいる先祖の救いが間に合うかもしれない。昼の世になってしまうと地獄も無くなってしまうから、救われない先祖は抹消?、自分がその子孫だとしたらどうなるのだろう・・? 自分も抹消・・・? 怖!!
 地獄があるうちは、地獄にある御霊も供養によっては向上して、せめて中幽界に入れるかもしれない。せめて八街の世界に残れたら、天国に上がることもできる。夜の世界から昼の世界に変わる今だからこそ先祖供養がかなり重要であると言えるのではないだろうか。今がギリギリ、先祖を救う、イヤ、自分も救われる最後のチャンスなのかもしれない。
 そう考えると、世の中が墓じまい、仏壇じまいに向かっているのは、確かにこれも最後の審判に入っているからと言えるのでしょう。しかし、本来は今こそ救われていない先祖の救いに心をかけさせてもらう時だと思います。そうすることで、確かに私も数々の御守護をいただいてきています。自分たち家族が幸せに生き抜くためには、先祖供養は外すことのできない基本なのだと思います。

       2021年8月 八尾屋


 

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